「夏」が続くレイキャビクです。先週は多少雲が多くなり、水曜日と木曜日には一時的に雨も相当降りました。それでも一日中、というわけではなく、非常に限られた時間でした。
しかも、アイスランドでは普通の「右から左へ」降る雨ではなく、日本のように「上から下へ」「ざあざあ」と降る雨でした。珍しや!
木曜日は夕方から外へ出る用事があったので、雨には上がってもらいたかったのですが、昼前後にはかなり降っていたものの、幸い五時くらいには雨が止み、その後日も差してくれました。
その夕方からの「用事」というのは、例のごとく難民の強制送還に反対する抗議集会に参加することでした。木曜日の集会には、人数は見当がつかないのですが相当数の人々が集まりました。今まで経験した中でも、最大級に人が集まったもののひとつでした。
これには前史があり、ちょっと不思議な?経験でもあったので、今回はこのことについてお話ししてみたいと思います。
先週木曜日 ハットゥルグリムス教会前に集まった人々
Myndin er ur Visir.is/Eigill
中心にあるのはふたつのアフガニスタンからの難民の家族です。家族Aはファタマさんというお母さんと十四歳の娘マルヤちゃん、そして八歳の男の子の三人。家族Bはアドラさんという父親と十歳と九歳の男の子がふたりいる三人家族です。
この二家族は、別に知り合いではなく別々にアイスランドへやってきました。昨年の冬前でした。それでも共通点もあります。
まずアフガニスタンの「ハザラ」という民族であること。アフガニスタンはタジク民族、パシュトゥーン民族ら七つ、八つの民族を持つ多民族国家なのですが、その中でハザラ族への差別と迫害が激しく、特にタリバンの下でハザラは虐殺の標的にされてきています。
当然ヨーロッパ中に広がるアフガン難民の相当数がこのハザラ民族となります。ちなみにこのハザラの人たちは、顔立ちがモンゴル系で日本人にとても似ている人が多いと感じます。
ファタマさん、アドラさんの家族に共通するもうひとつのことは、共にギリシャに逃れ、そこで難民申請をして難民認定を受けていることです。実はこれが問題なのです。
ギリシャという国は、イタリアやハンガリーと並んで難民がもっとも押し寄せる国のひとつです。地理的に、アフリカや中近東からヨーロッパへの入り口となっているからです。難民数でさえ相当なのに加えて、自身の経済がうまくいっていません。
当然のことながら難民は疎んじられ、たとえ難民認定を受けた難民であっても家を借りたり、仕事を得たりするのが非常に困難な状況になっています。
で、早い話しが、ギリシャで難民認定を受けてしまうと、むしろ状況がますます悪くなってしまう、ということが日常化してしまっているのです。
難民申請中は、まだ国連関係の団体から援助を受ける可能性があります。しかし認定されてしまうと、そのような援助は打ち切り。かといって、家はなし、仕事はなし、言葉はわからない。どうやって生きていけば良いのか?
生活できない「認定難民」はさらに他国へ逃れざるを得ません。しかし一度「認定」されてしまっていると、他のヨーロッパの国ではもはや「難民」としては受け取ってもらえないのです。
というわけで、ファタマさん家族も、アドラさん家族も、アイスランドでは「経済的理由による移住希望者」として扱われ、「難民認定拒否」の通告を受けてしまいました。
二家族が、別々に私のところへ連絡してきたのは今年の三月中頃くらいでした。移民局から拒否回答を受けた後でした。私の教会グループにいるアフガン人(ほぼ全員ハザラ族)の紹介できたものです。
両家族とも、別に教会に関心があるわけではなく、なにかしらの援助を求めてきたケースなので、私にもできることは限りがあります。双方にメディアを紹介しました。別の新聞社が、それぞれにファタマさん、アドラさんの経緯を紹介する記事を掲載しました。
ファタマさんの長女のマルヤさんは、日本の中学に相当する学校に行っていたのですが、良い教師と学友に恵まれたようです。同じ三月に学校中の生徒六百人が難民申請の再審査を受け持つ、アピール委員会のオフィスまで市内を行進し、アドラさん一家への滞在許可を求めました。
にもかかわらず、二家族とも再審査でも「拒否」の回答。これが四月上旬か中旬だったと記憶しています。
この春、マルヤさんのために行進する中学生たち
Myndin er ur Stundin.is/DavidThor
それ以降、あまり接触はなかったのですが、先々週の木曜日になって、アドラさんが教会に訪ねてきました。「来週の月曜日の朝に送還される。なんとかしてください」
「三日後に送還?なんとかしろったって、できるわけないだろ?」と思いました。別に私は政府にコネがあるわけでも、権力があるわけでもないのです。「諦めるしかないだろ」と内心思っていたのですが、「もう一回、ジャーナリストに話したい」と言うアドラさん。
無駄だとは思ったのですが、以前アドラさん家族について記事を書いたジャーナリストに連絡してみると、即刻インタビューしてくれるとのこと。そして、翌々日の土曜日にはその記事がネットに流れました。
するとその記事を読んだひとりの女性が連絡をしてきました。難民援助の非常な活動家で、特に難民の子供たちを守ることに情熱を持っている人です。彼女はアドラさんの家族とは面識がなかったのですが「連絡して訪ねてみる」と申し出てくれました。ありがたや。
で、送還の前夜、日曜日の夜なのですが、アドラさんの長男十歳が、送還への不安から神経症のようになってしまい病院へ運ばれました。ドクターストップで送還は「取り敢えず」延期。
私の想像ですが、これらにはその活動家の女性の助言や援助があったものと思います。また、これらの事情が難民支援団体のNo BordersのFacebookページにも掲載されました。
すると「子供を神経症になるまで脅かして送還するとは、子供の権利をなんと思っているのか?」というような声があちらでもこちらでも上がってきたのです。
すると、それがまた次を触発します。別の新聞の「ファタマさん一家も、翌週の送還を通告されている」というニュースが覆いかぶさって流れました。すると国中のメディアがこのトピックを「難民の子供の権利」という「くくり」で取り上げ始めました。
「アイスランドは国連の『子供の権利条約』に加盟しているではないか?約束している義務を果たせ!」という怒りと要求がまさに巷に溢れた感がありました。
No Bordersはすかさず木曜日の集会を企画。彼らの行動力にはまったく感心させられます。わずか二日間の前置きでしたが、いざ蓋を開けてみると「よくまあ、これだけ集まった」という感じの群衆が参集したのでした。
UNICEFアイスランド支局も、難民の子供について声明を発表
Myndin er ur Unicef.is
今現在、これでファタマさん一家と、アドラさん一家の運命に変化がもたらされるかどうかはわかりません。移民局は強弁姿勢を変えませんが、法務省内には妥協を見出そうとする動きがあるとも聞いています。
「無関心」を決め込む緑の党のカトリーン首相にも批判が向き始めています。当然でしょうね。私もかなり失望しています。
今回の一連の出来事で感じたことがあります。先々週の木曜日にアドラさんが会いにきた時、私は正直「無理。諦めな」と思いました。それでも「害はない」くらいの気持ちでジャーナリストに連絡したのですが、それもまだまだ「細〜い糸」だったと思います。
それがある活動家の一個人に繋がり、そこからまたどんどんコンタクトが増えていきました。
結果から言うと、私は間違っていたのです。諦めるべきではなかった。
その間違いを考えてみると、「自分だけでなんとかしよう」という気持ちは私にはあったのだろうと思います。「自分では、どうしようもないから諦めたほうがいい」。自分ではできなくとも、何かできる人が周りにいるかもしれない、ということを私は考慮しませんでした。
自分とは異なった能力、才覚、エネルギーを持った人が多く周囲にはいるのでした。「自分だけでことをなそうとするな。助力を求めることを忘れるな」というのが今回の私自身への教訓です。
「神は奇跡を起こせるかもしれないが、それよりも神は人の手を通してものごとを変えられる」というのが私がいつも集会で言っていることなのですけどね。まずは自分自身がこの言葉を忘れないようにしないといけないですね。自戒。
ファタマさん、アドラさん家族に人の手を通して奇跡がもたらされますように。
PS.
このブログを書き終わった直後の金曜日の夜、法務大臣が外国人法の規則を変更し、この二家族のケースがアイスランドでもう一度難民申請のケースとして扱われるということが保障された、というニュースが入りました。
今回は人道主義の熱意が、冷たい規則の壁を破ることに成功したようです。人々の熱意に、そしてその上に働く神に感謝。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
しかも、アイスランドでは普通の「右から左へ」降る雨ではなく、日本のように「上から下へ」「ざあざあ」と降る雨でした。珍しや!
木曜日は夕方から外へ出る用事があったので、雨には上がってもらいたかったのですが、昼前後にはかなり降っていたものの、幸い五時くらいには雨が止み、その後日も差してくれました。
その夕方からの「用事」というのは、例のごとく難民の強制送還に反対する抗議集会に参加することでした。木曜日の集会には、人数は見当がつかないのですが相当数の人々が集まりました。今まで経験した中でも、最大級に人が集まったもののひとつでした。
これには前史があり、ちょっと不思議な?経験でもあったので、今回はこのことについてお話ししてみたいと思います。
先週木曜日 ハットゥルグリムス教会前に集まった人々
Myndin er ur Visir.is/Eigill
中心にあるのはふたつのアフガニスタンからの難民の家族です。家族Aはファタマさんというお母さんと十四歳の娘マルヤちゃん、そして八歳の男の子の三人。家族Bはアドラさんという父親と十歳と九歳の男の子がふたりいる三人家族です。
この二家族は、別に知り合いではなく別々にアイスランドへやってきました。昨年の冬前でした。それでも共通点もあります。
まずアフガニスタンの「ハザラ」という民族であること。アフガニスタンはタジク民族、パシュトゥーン民族ら七つ、八つの民族を持つ多民族国家なのですが、その中でハザラ族への差別と迫害が激しく、特にタリバンの下でハザラは虐殺の標的にされてきています。
当然ヨーロッパ中に広がるアフガン難民の相当数がこのハザラ民族となります。ちなみにこのハザラの人たちは、顔立ちがモンゴル系で日本人にとても似ている人が多いと感じます。
ファタマさん、アドラさんの家族に共通するもうひとつのことは、共にギリシャに逃れ、そこで難民申請をして難民認定を受けていることです。実はこれが問題なのです。
ギリシャという国は、イタリアやハンガリーと並んで難民がもっとも押し寄せる国のひとつです。地理的に、アフリカや中近東からヨーロッパへの入り口となっているからです。難民数でさえ相当なのに加えて、自身の経済がうまくいっていません。
当然のことながら難民は疎んじられ、たとえ難民認定を受けた難民であっても家を借りたり、仕事を得たりするのが非常に困難な状況になっています。
で、早い話しが、ギリシャで難民認定を受けてしまうと、むしろ状況がますます悪くなってしまう、ということが日常化してしまっているのです。
難民申請中は、まだ国連関係の団体から援助を受ける可能性があります。しかし認定されてしまうと、そのような援助は打ち切り。かといって、家はなし、仕事はなし、言葉はわからない。どうやって生きていけば良いのか?
生活できない「認定難民」はさらに他国へ逃れざるを得ません。しかし一度「認定」されてしまっていると、他のヨーロッパの国ではもはや「難民」としては受け取ってもらえないのです。
というわけで、ファタマさん家族も、アドラさん家族も、アイスランドでは「経済的理由による移住希望者」として扱われ、「難民認定拒否」の通告を受けてしまいました。
二家族が、別々に私のところへ連絡してきたのは今年の三月中頃くらいでした。移民局から拒否回答を受けた後でした。私の教会グループにいるアフガン人(ほぼ全員ハザラ族)の紹介できたものです。
両家族とも、別に教会に関心があるわけではなく、なにかしらの援助を求めてきたケースなので、私にもできることは限りがあります。双方にメディアを紹介しました。別の新聞社が、それぞれにファタマさん、アドラさんの経緯を紹介する記事を掲載しました。
ファタマさんの長女のマルヤさんは、日本の中学に相当する学校に行っていたのですが、良い教師と学友に恵まれたようです。同じ三月に学校中の生徒六百人が難民申請の再審査を受け持つ、アピール委員会のオフィスまで市内を行進し、アドラさん一家への滞在許可を求めました。
にもかかわらず、二家族とも再審査でも「拒否」の回答。これが四月上旬か中旬だったと記憶しています。
この春、マルヤさんのために行進する中学生たち
Myndin er ur Stundin.is/DavidThor
それ以降、あまり接触はなかったのですが、先々週の木曜日になって、アドラさんが教会に訪ねてきました。「来週の月曜日の朝に送還される。なんとかしてください」
「三日後に送還?なんとかしろったって、できるわけないだろ?」と思いました。別に私は政府にコネがあるわけでも、権力があるわけでもないのです。「諦めるしかないだろ」と内心思っていたのですが、「もう一回、ジャーナリストに話したい」と言うアドラさん。
無駄だとは思ったのですが、以前アドラさん家族について記事を書いたジャーナリストに連絡してみると、即刻インタビューしてくれるとのこと。そして、翌々日の土曜日にはその記事がネットに流れました。
するとその記事を読んだひとりの女性が連絡をしてきました。難民援助の非常な活動家で、特に難民の子供たちを守ることに情熱を持っている人です。彼女はアドラさんの家族とは面識がなかったのですが「連絡して訪ねてみる」と申し出てくれました。ありがたや。
で、送還の前夜、日曜日の夜なのですが、アドラさんの長男十歳が、送還への不安から神経症のようになってしまい病院へ運ばれました。ドクターストップで送還は「取り敢えず」延期。
私の想像ですが、これらにはその活動家の女性の助言や援助があったものと思います。また、これらの事情が難民支援団体のNo BordersのFacebookページにも掲載されました。
すると「子供を神経症になるまで脅かして送還するとは、子供の権利をなんと思っているのか?」というような声があちらでもこちらでも上がってきたのです。
すると、それがまた次を触発します。別の新聞の「ファタマさん一家も、翌週の送還を通告されている」というニュースが覆いかぶさって流れました。すると国中のメディアがこのトピックを「難民の子供の権利」という「くくり」で取り上げ始めました。
「アイスランドは国連の『子供の権利条約』に加盟しているではないか?約束している義務を果たせ!」という怒りと要求がまさに巷に溢れた感がありました。
No Bordersはすかさず木曜日の集会を企画。彼らの行動力にはまったく感心させられます。わずか二日間の前置きでしたが、いざ蓋を開けてみると「よくまあ、これだけ集まった」という感じの群衆が参集したのでした。
UNICEFアイスランド支局も、難民の子供について声明を発表
Myndin er ur Unicef.is
今現在、これでファタマさん一家と、アドラさん一家の運命に変化がもたらされるかどうかはわかりません。移民局は強弁姿勢を変えませんが、法務省内には妥協を見出そうとする動きがあるとも聞いています。
「無関心」を決め込む緑の党のカトリーン首相にも批判が向き始めています。当然でしょうね。私もかなり失望しています。
今回の一連の出来事で感じたことがあります。先々週の木曜日にアドラさんが会いにきた時、私は正直「無理。諦めな」と思いました。それでも「害はない」くらいの気持ちでジャーナリストに連絡したのですが、それもまだまだ「細〜い糸」だったと思います。
それがある活動家の一個人に繋がり、そこからまたどんどんコンタクトが増えていきました。
結果から言うと、私は間違っていたのです。諦めるべきではなかった。
その間違いを考えてみると、「自分だけでなんとかしよう」という気持ちは私にはあったのだろうと思います。「自分では、どうしようもないから諦めたほうがいい」。自分ではできなくとも、何かできる人が周りにいるかもしれない、ということを私は考慮しませんでした。
自分とは異なった能力、才覚、エネルギーを持った人が多く周囲にはいるのでした。「自分だけでことをなそうとするな。助力を求めることを忘れるな」というのが今回の私自身への教訓です。
「神は奇跡を起こせるかもしれないが、それよりも神は人の手を通してものごとを変えられる」というのが私がいつも集会で言っていることなのですけどね。まずは自分自身がこの言葉を忘れないようにしないといけないですね。自戒。
ファタマさん、アドラさん家族に人の手を通して奇跡がもたらされますように。
PS.
このブログを書き終わった直後の金曜日の夜、法務大臣が外国人法の規則を変更し、この二家族のケースがアイスランドでもう一度難民申請のケースとして扱われるということが保障された、というニュースが入りました。
今回は人道主義の熱意が、冷たい規則の壁を破ることに成功したようです。人々の熱意に、そしてその上に働く神に感謝。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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