レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

難民申請者だった「ホントは天使」

2022-03-26 23:52:50 | 日記
こんにちは/こんばんは。

しつこくへばりついていた残雪もようやく消え始めてくれています。久々に道路というか地面が見えてくれるのはありがたいのですが、道路のそこここに大きな穴が空いてしまっていて、これは困りものです。

氷、低温、凍結防止用の塩とかが相互作用を起こして、路面を破壊してしまうのだそうです。さらにいうと「安価なアスファルトを使っているから」という意見も専門家から聞かれていました。

毎日通る道ですと、どこに穴があるか承知しているのですが、たまにしか通らない道だと、突然目前に穴が現れたりして、これは危険。早急になんとかしてもらいたいものです。




美しいキーウ(キエフ)の夜景
Myndin er eftir Masym_Tymchyk@unsplash.com


さて、前回はウクライナからの難民の人たちのことについて書きましたが、今回もその関連です。正直言って、このところこの問題/課題にかかりきりで他に話題がありません。

まあ、でも今日ご紹介したいエピソードは、直接にはウクライナ難民のことではありません。

二週間ほど前に、ウクライナ難民の救済活動のベースのようになっている場所を訪問しました。広告会社の社員用カフェテリアが開放されているものであることは前回ご紹介した通りです。

私が訪問した時は、七、八十人が集まりかなりごった返していました。その時は難民の人たちが半分、ボランティアの人たちが半分くらいの感じでした。そして、そのボランティアの人たちの中には、戦争に反対するロシア人の人たちもかなりいたわけです。

私が立って、周囲を眺めていると、ひとりの若くて結構きれいで、髪の毛の黒い女性が「Toshiki...?」と尋ねてきました。そうですよ、と答えると「ああ、やっぱり」とにっこり。

若くてきれいな女性に話しかけられ、にっこりされて悪い気がするわけもないのですが、なんで?という気持ちが顔に現れたのだと思います。

「何年も前に、ケフラビク(空港のある町)で会ったことがあるんです。私はロシア人で、難民申請者でした。あなたは私たちを訪問してくれ、サポートしてくれたんですよ」




キーウのAndrew’s Descent
Myndin er eftir Ilya_Cher@unsplash.com


なんと!?

そう言われても、正直言ってまったく思い当たる節がありません。率直にそう伝えたのですが、その女性 – 仮にナターシャさんとしておきます– は気分を害した風もなく、滞在許可を得た後、大学へ行ったこと、現在は魚関係の会社で働いていること、母親も一緒に暮らしていること等を話してくれました。

難民だった人が、今では元気に普通の生活をしている。しかも、こうして他の難民を助けるために来てくれている。これは、私としてもとても嬉しいことでした。

その後、いろいろ考えたのですが、どうしても思い出せません。歳を取るというのはこういうことか?まいったな...

ですが、ケフラビク、ロシア、母親、というような言葉がひっかかって、よくよく考えているうちに、おぼろげな記憶が浮かび上がってきました。

私がケフラビクの難民申請者のところへ、定期的な訪問をしていたのは赤十字のボランティアとしてでした。それは2005年から2014年ぐらいまでのことです。それ以降は、難民申請者の人たちの宿舎がレイキャビク近郊へ移ったのです。

そして、このケフラビク訪問の最後の一、二年には、訪問先がいくつかに分かれるようになりました。最初の頃は、訪問先はFitというホステルだけだったのですが、女性の申請者や家族での申請者が増えるにつれ、宿舎も複数になっていったのです。

そして、その頃に女性だけが滞在している宿舎がありました。ケフラビクの病院のすぐ前の一軒家。そこにも何度か訪問に行ったことがあります。

ちなみにこの訪問は私がひとりで行くものではなく、四人一チームで行くものでした。時にふたりだったり三人だったことはありますが、「ひとり」は避けるようなルールとなっていました。まあ、理由はわかりますよね、トラブル回避です。

そして、その「女性の館」にロシア人の親娘がいたような記憶があります。娘さんは、女性というよりは子供でした。髪の毛が黒かったことはなぜか覚えています。




これはアイスランド 清涼感アップ用
Myndin er eftir Kenneth_Kuan@unsplash.com


もう八年か九年は前のことになりますから、その時その女の子が十四歳としても、現在は二十二、三にはなっているはずです。多分、その時の女の子が、ナターシャさんではないか?と思い当たりました。

そうだとしたら、突然目の前に現れたきれいな女性と、当時の女の子を結びつけることができなかったのは無理もないと思います。自己弁護ですが。

ところで、ナターシャさんは私が「サポートをした」と言ってくれたのですが、もしその女の子がナターシャさんだったとすると、実際は私はたいしたサポートはしていません。訪問し、その親娘に不足していた物品等を、赤十字に伝えただけのことと思います。

で、これが面白いというか、大切なことなのですが、にもかかわらず、女の子だったナターシャさんは、私のことを何年も覚えていてくれていました。名前も忘れていなかったし、偶然出会った場所で、私の顔も識別してくれたわけです。

どういうことかというと、当時女の子だったナターシャさんにとっては、見知らぬ人が訪問に来てくれて、気にかけてくれて、親切にしてくれた、ということが大きな感謝の思い出となって残っていた、ということなのでしょう。




レイキャビクはフェットゥラ オグ ホーラ教会のチャリティコンサート
Myndin er ur Visir.is


私たちが「たいしたことはしていない」と考えても、そして実際にたいしたことはしていないとしても、「来てくれる」「気にかけてくれる」「一緒にいてくれる」ということだけで、大きな意味を持つこともあるということです。

これは、誰にでも一般に当てはまることでしょうが、難民の人たちのように、母国を離れて、見知らぬ土地で見知らぬ環境にあり、強制的な孤立状態に置かれている人たちにとっては、より一層当てはまるものです。

ウクライナ難民の人たちについての、教会からの支援活動のオルガナイズを始めた矢先に、私がこの女性との再会を通して、このような気づきをすることができたことは不思議なことで、私は「神の計らい」と感じています。

「気にかける」「一緒にいる」という単純なことが、私たちがする難民の人たちに対する支援活動の基礎となっていなければなりません。募金も必要ですし、食物の供給や住居環境の整備も大切です。

ですが。それらの支援を、とてつもない困難な状況にある人たちの本当の「支え」とするものは、「気にかけること」であり「共にいる」ことなのです。

そして、この単純なサポートは、お金がない人にも、言葉が通じない人にも、支援するような物資がない人にも、誰にでもできることです。その気持ちがあるならば。

今の私に、このことを知らしめてくれた、ナターシャさんは「ホントは天使」だったに違いありません。感謝。


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
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