六月中旬となりました。昨日の土曜日は17.juni ソイチャンダ·ユニと呼ばれる独立記念日でした。子供たちが小さかった頃は、町中へ出て出店をのぞき、フーセンなどを買うのがしきたりでしたが、今ではそういう必要性もなくなり、住んでいながらわりと縁遠い祭日と化してしまっています。
レイキャビクでは予想された通り?ここまでのところ良い夏となっています。先週からはコート類を着ることなく、レザージャケットだけで外に出られるようになりました。願わくはしばらくはこの感じでいってほしいものです。
さて今回は、先々週の日曜日のことについて書きます。多少、というかベッタリ教会関係の話になりますが、かんべんしてください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a7/c37b8b7b1532a5511b46fb212b9878a4.jpg)
何度目かの登場 ヒャットラ教会
先々週の日曜日は「復活祭」と呼ばれるキリストの復活を祝う祭日から五十日目にあたり、この日は「聖霊降臨祭」または「ペンテコステ」と呼ばれる別の祭日になっています。
キリスト教会が誕生する以前から「五殉節祭」というユダヤ教の祭りとしても祝われてきた祭りに、キリスト教が「乗っかった」形の祭日です。
で、キリスト教的にこの日がどんな祭りかというと、復活したキリストが天に昇ってから十日が経ち、イエスの弟子たちが五殉節の祭りに集まっていました。すると神の「聖霊」が弟子たちに降り、彼らは知るはずのない外国の言葉で話し始めた、と記されています。
この日を境に、イエスが捕縛された時には恐れから見捨てて逃げてしまったような頼りない弟子たちが、逆境にもめげず宣教を始めるようになったのです。そういうことから、このペンテコステをキリスト教会の誕生日と言うこともあります。
また、弟子たちが多くの国の言葉で語り出した、ということから、この日をキリスト教がユダヤ民族という囲いから世界へ向かい始めた日と考えるのも定番です。そういう関連から、この日は教会の中での「マルティカルチュラルデー」的な日になってきています。
というわけで、アイスランドの教会で、このペンテコステの日曜日の礼拝でよく行われるのが聖書をいくつもの言語で読む。あるいは祈りを様々な言語で捧げる、というようなことです。
私自身「日本語で読んで」とか頼まれて参加したことは何度もあります。アイスランドでもちょっと声をかければ、七つ八つの異なった言語はすぐに集まります。
ただ私の個人的な感想を正直に言わせてもらうと、こういうのってちっとも面白くないんですよね。何というか、上っ面というか、「取り敢えずやっとこうか」感が拭えないというか。
今年は五月の中旬くらいに、ホームグラウンドであるヒャットラ教会の新任女性牧師さんから「ペンテコステにインターナショナル礼拝をしたいのだけど、参加して」と頼まれました。私は移民牧師ですので、当然いろいろな国の人と繋がりはあります。
女性牧師から頼まれたら(しかも可愛い)「受けるしかないよなぁ」と突然寅さん化した私はもちろんOKしましたが、ただ言語を集めるだけよりも、もうちょっと内容があるようにしたいと思いました。
そこで「インターナショナル」からかなり幅を狭めて「ペルシャ語、英語、アイスランド語」での礼拝にすることを提案しました。このヒャットラ教会では私が担当して「難民の人との祈りの会」が月に隔週くらいの定期で持たれています。ただ、日曜日の午後なので、あまり教会の他の人との接触がないのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/2e/14b78807bc5b68311debf25f8fe4e756.jpg)
ヒャットラ教会での難民の人との祈りの会
そこで同じ教会に集っているふたつのグループが知り合う機会にすれば、多少は実際的な意義が出てくるだろう、と思い「祈りの会」を礼拝に招こうと思ったわけです。ペルシャ語が出てきたわけは、祈りの会の参加者の八割方はイラン人、もしくはアフガン人のペルシャ語を話す人だからです。
それから結構いろいろ考えてプログラムを作ったのですが、結局「参加する」どころか、すっかり責任者にされてしまった感があります。うまうまと新任ちょっと可愛い女性牧師さんに乗せられてしまう結果となりました。でも寅さんはそういうことは愚痴らない。
最終的には、難民申請中の青年にイランでの教会の歴史や状況を語ってもらいました。信じ難いでしょうが、イランではイスラム教から他の宗教に改宗することは禁じられており、違反者への罰は死刑相当です。この青年もイスラム裁判所からの「公式の」死刑宣告文を受け取っています。
私はことさらにイスラム教を批判するつもりはありませんが、批判せざるを得ない点も相当あることは確かです。特にイスラム教がその国の公権力と結びついている場合には、かなり深刻な批判となるように思われます。
ヒャットラ教会のペンテコステ礼拝では、さらにひとりのイラン人青年が洗礼を受けました。この青年の家族の中にはイランで地下教会に参加したかどで逮捕され、刑に処せられた人がいると聞いています。
他には、イラン人の人たちが「イラン人なら誰でも知ってるよ」という古い国民唱歌をYouTubeをBGMにして合唱。教会の祈りは、英語、ペルシャ語、アイスランド語を取り混ぜて、マンチェスター、カブール、ロンドン等でのテロの被害者の方々らも覚えてのものとなりました。
さらに礼拝後には、あるイラン人家族の人たちがスープ、ライス、サラダのイラン料理を相当人数分差し入れてくれ、一同で賞味させていただきました。もちろん、とても美味しかったです。感謝。
このペンテコステの祭日。月曜日までも祝日化しているアイスランドでは、実はこの週末は家族がサマーハウス等へ出かけるのが一般化しており、礼拝出席は44人と少な目でした。その半分が「祈りの会」からの参加者。
と、残念な点もありましたが、内容的には身がありました。で、聖霊が囁いたというか、インスピレーションを得たというか「他の教会でもやろう。かつ、一度だけではなく、定期的にやろう」と心に決めました。
教会というのは基本的に、様々なバックグラウンドを持つ人々が、そういう世間的なしょいものものを下ろして集う場です。集うには「知り合える機会」を待つだけではダメで、機会を創って行かなくてはなりませんね。
教会から急に話しが落ちますが、女性との出会いも同じですよねえ。「待ちではダメ。機会を創りに出て行かねば」というのはわかりますが、そっちの方は正直、聖霊様も「諦めたっ!」ぽいです。(^-^;
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
レイキャビクでは予想された通り?ここまでのところ良い夏となっています。先週からはコート類を着ることなく、レザージャケットだけで外に出られるようになりました。願わくはしばらくはこの感じでいってほしいものです。
さて今回は、先々週の日曜日のことについて書きます。多少、というかベッタリ教会関係の話になりますが、かんべんしてください。
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何度目かの登場 ヒャットラ教会
先々週の日曜日は「復活祭」と呼ばれるキリストの復活を祝う祭日から五十日目にあたり、この日は「聖霊降臨祭」または「ペンテコステ」と呼ばれる別の祭日になっています。
キリスト教会が誕生する以前から「五殉節祭」というユダヤ教の祭りとしても祝われてきた祭りに、キリスト教が「乗っかった」形の祭日です。
で、キリスト教的にこの日がどんな祭りかというと、復活したキリストが天に昇ってから十日が経ち、イエスの弟子たちが五殉節の祭りに集まっていました。すると神の「聖霊」が弟子たちに降り、彼らは知るはずのない外国の言葉で話し始めた、と記されています。
この日を境に、イエスが捕縛された時には恐れから見捨てて逃げてしまったような頼りない弟子たちが、逆境にもめげず宣教を始めるようになったのです。そういうことから、このペンテコステをキリスト教会の誕生日と言うこともあります。
また、弟子たちが多くの国の言葉で語り出した、ということから、この日をキリスト教がユダヤ民族という囲いから世界へ向かい始めた日と考えるのも定番です。そういう関連から、この日は教会の中での「マルティカルチュラルデー」的な日になってきています。
というわけで、アイスランドの教会で、このペンテコステの日曜日の礼拝でよく行われるのが聖書をいくつもの言語で読む。あるいは祈りを様々な言語で捧げる、というようなことです。
私自身「日本語で読んで」とか頼まれて参加したことは何度もあります。アイスランドでもちょっと声をかければ、七つ八つの異なった言語はすぐに集まります。
ただ私の個人的な感想を正直に言わせてもらうと、こういうのってちっとも面白くないんですよね。何というか、上っ面というか、「取り敢えずやっとこうか」感が拭えないというか。
今年は五月の中旬くらいに、ホームグラウンドであるヒャットラ教会の新任女性牧師さんから「ペンテコステにインターナショナル礼拝をしたいのだけど、参加して」と頼まれました。私は移民牧師ですので、当然いろいろな国の人と繋がりはあります。
女性牧師から頼まれたら(しかも可愛い)「受けるしかないよなぁ」と突然寅さん化した私はもちろんOKしましたが、ただ言語を集めるだけよりも、もうちょっと内容があるようにしたいと思いました。
そこで「インターナショナル」からかなり幅を狭めて「ペルシャ語、英語、アイスランド語」での礼拝にすることを提案しました。このヒャットラ教会では私が担当して「難民の人との祈りの会」が月に隔週くらいの定期で持たれています。ただ、日曜日の午後なので、あまり教会の他の人との接触がないのです。
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ヒャットラ教会での難民の人との祈りの会
そこで同じ教会に集っているふたつのグループが知り合う機会にすれば、多少は実際的な意義が出てくるだろう、と思い「祈りの会」を礼拝に招こうと思ったわけです。ペルシャ語が出てきたわけは、祈りの会の参加者の八割方はイラン人、もしくはアフガン人のペルシャ語を話す人だからです。
それから結構いろいろ考えてプログラムを作ったのですが、結局「参加する」どころか、すっかり責任者にされてしまった感があります。うまうまと新任ちょっと可愛い女性牧師さんに乗せられてしまう結果となりました。でも寅さんはそういうことは愚痴らない。
最終的には、難民申請中の青年にイランでの教会の歴史や状況を語ってもらいました。信じ難いでしょうが、イランではイスラム教から他の宗教に改宗することは禁じられており、違反者への罰は死刑相当です。この青年もイスラム裁判所からの「公式の」死刑宣告文を受け取っています。
私はことさらにイスラム教を批判するつもりはありませんが、批判せざるを得ない点も相当あることは確かです。特にイスラム教がその国の公権力と結びついている場合には、かなり深刻な批判となるように思われます。
ヒャットラ教会のペンテコステ礼拝では、さらにひとりのイラン人青年が洗礼を受けました。この青年の家族の中にはイランで地下教会に参加したかどで逮捕され、刑に処せられた人がいると聞いています。
他には、イラン人の人たちが「イラン人なら誰でも知ってるよ」という古い国民唱歌をYouTubeをBGMにして合唱。教会の祈りは、英語、ペルシャ語、アイスランド語を取り混ぜて、マンチェスター、カブール、ロンドン等でのテロの被害者の方々らも覚えてのものとなりました。
さらに礼拝後には、あるイラン人家族の人たちがスープ、ライス、サラダのイラン料理を相当人数分差し入れてくれ、一同で賞味させていただきました。もちろん、とても美味しかったです。感謝。
このペンテコステの祭日。月曜日までも祝日化しているアイスランドでは、実はこの週末は家族がサマーハウス等へ出かけるのが一般化しており、礼拝出席は44人と少な目でした。その半分が「祈りの会」からの参加者。
と、残念な点もありましたが、内容的には身がありました。で、聖霊が囁いたというか、インスピレーションを得たというか「他の教会でもやろう。かつ、一度だけではなく、定期的にやろう」と心に決めました。
教会というのは基本的に、様々なバックグラウンドを持つ人々が、そういう世間的なしょいものものを下ろして集う場です。集うには「知り合える機会」を待つだけではダメで、機会を創って行かなくてはなりませんね。
教会から急に話しが落ちますが、女性との出会いも同じですよねえ。「待ちではダメ。機会を創りに出て行かねば」というのはわかりますが、そっちの方は正直、聖霊様も「諦めたっ!」ぽいです。(^-^;
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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