レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

サッポロ北街ひとり日誌 (18-4) – ガンバレHokkaido!

2018-10-21 03:00:00 | 日記
「サッポロ北街ひとり日誌」の三週目になります。JALのCAさんとの「出逢い」-こちらから見ての一方的な描写でストーカーの気がありますが- また、食の王国サッポロでのダイエットの難しさ等、どうしようもないことを綴ってきました。今に始まったことではないか?

で、サッポロからの最終回の今回は少し真面目なことを書きます。実は札幌に着いた途端に感じていたことなのですが、ちょっと書くのに気が引ける面があります。それは他でもない、私は札幌ではただの「観光客」の仲間だからで、そこで生活を張っている人間ではないからです。

その感じていたことというのは地震に関わることです。九月三日未明に北海道を襲った胆振東部地震は、四十一名の犠牲者を含めて大きな被害をもたらしたことはご承知の通りでしょう。

私もこのニュースは発生間もなくして、ネットでキャッチしました。地震発生の午前三時過ぎは、アイスランドでは前日の午後六時過ぎ。まだまだ人々の活動時間内です。

私は母と兄一家が札幌にいますので、まずは母に電話を入れ、無事であることを確認しました。「東北大震災の時は、長い横揺れだったけど、今回は縦揺れ。すごい地鳴りがして、もっと怖かった」と母。

翌日返って来た兄からのメイルでは「大停電のため困っている」とのこと。兄は仕事上、あちこちの家庭を訪問する必要があるのですが、エレベーターが動かないため、すべて階段を使用しなくてはならない。自宅も八階にありますし、相当な苦労を強いられたようでした。

その後は、日本からのニュースもこの「ブラックアウト」に焦点が当てられていたようで、私の理解の方も、やれ冷凍品の放出セールだとか、コンビニの品不足だとかの方に向かいました。

しばらくして、北海道の最終の晩の宿泊を予約していた、千歳空港内の「ターミナルホテル」から「地震被害で、改修工事に時間がかかり、申し訳ないが予約をキャンセルさせていただきます」との通知が来た時には「え?そんなに被害があったのか?」と自分の認識の浅さを感じました。




2018年のファイターズのスローガンは「道」だったそうで
Myndin er ur sp.fighters.co.jp


札幌に来て三日後は十月五日。その翌日が地震発生以来一ヶ月目ということで、テレビ等のニュースでも「被災地の一ヶ月後」を扱うものが多くありました。

そのうちのひとつ、NHKのローカル版での「北海道クローズアップ」はとても印象に残るものとなりました。

番組の中では、土砂崩れで三十四人が亡くなるという、大きな被害の出た厚真町、そこから60キロ離れた札幌市内で地盤の液状化現象が多大な被害をもたらした清田区にスポットを当て、幾人かの住民の人たちの様子が紹介されました。

厚真町では、壮年期の姉弟の方がインタビューに答えていたのですが、その時点でおふたりのご両親は消息不明。辛い状況の人にマイクを突きつける非常識な取材には辟易するのが普通なのですが、この時の取材には弟さんはかなりしっかりと答えてくれていました。

その隣りの地区では、地区のリーダーというかまとめ役をされていた方と、その息子さんが亡くなったそうです。四十三人の住民がいる山間の地区だそうで、すべての住宅が被災したとのこと。

地震後三週間が経ち、村の田んぼは収穫の時期を迎えていました。悲しいのは亡くなったまとめ役の方の田は、刈り入れをする人がおらず、穂は頭を垂れたまま。

村の方々は「刈り入れを供養にしよう」と皆で借り入れを準備しました。しかし、その直前に来たのが台風24号。再び土砂崩れの危険があるということで、田んぼに出る道が封鎖されてしまいました。

大風が過ぎた後、案の定、土砂がまとめ役の方の田に流れ込み、刈り入れは不可能になってしまいました。

なんでもこの地区は、百二十年ほど前に、北陸と東北の人々が移住してきて、苦労して開墾したものだそうで、まとめ役の方と懇意にしていたという男性の方は非常に悔しそうにしていました。




厚真町の田園への土砂崩れ
Myndin er ur Asahi.com


この他、清田区で自宅にいられなくなり避難所生活を強いられているものの、その自宅は市によって「一部損壊」とみなされてしまい、それ故に非常避難住宅への申し込みなどが受け付けてもらえないという家族も紹介されていました。

これなどは「人災」ではないのか?と怒りさえ感じさせられましたね。もともと住宅を建てられるような土壌ではなかった、というようなことも別のところで耳にしました。だったら当然、許可を与えた市は責任があると思いますが。

いずれにせよ、この番組や他のニュース等を見ていると、私の理解の中では「犠牲者四十一人」という数値で表される概念でしかなかったものが、もっと名前や顔のある、そして家族や友人、さらに自身の生活のある人たちである -あった- ことが心に浸みてきました。

そうなるとまったく感じ方が変わってきます。

災害 -自然災害とテロ等の人為的な災害の双方- は、私たちの日常の中である程度定期的に起こっていることでしょう。身近なところで起きるものもありますし、別世界のようなところで起きるものもあります。

そうして、どうしても私たちが親身になって受け止めるものと、上辺だけの同情でやり過ごしてしまうものが分かれてきます。

私は別にそれがよくないことだ、と非難する気持ちはありません。すべての災害を自分のことのように親身に受けっといたら、自分自身があっという間に潰れてしまうことでしょう。

ある程度距離を置くこと、置けることは、神が与えてくれた恵みだと私は考えています。

それでも「ある程度距離を置くこと」と「気にもとめずにやり過ごすこと」はまったく違うことでしょう。私たちは、現代の情報過多ともいえる時代を生きているわけですが、多くの情報が、なんというか「漂白され」「無機質化された」「数値」になって届いているのではないか、という気もします。

だから、その情報の中にある「生きたもの」を捉えるには、「生のままのものを含んだ情報」を見つけるという、受け手の努力も必要になるのでしょう。そして、その前提になるのは、やはり「人の気持ちを知りたい」「共有したい」という心だろうと考えます。




自然災害か人災か?ブラックアウト
Myndin er ur Kyodotsushin images


北海道滞在の最後の夜は、「ターミナルホテル」に変えて「千歳ルートイン」で過ごしたのですが、ここのホテルでは地震直後、自身も被災者である従業員の方々は、それでも泊まり込みで宿泊客のサービスに努めたそうです。

だからなんだ、というわけではないのですが、そういうことを知ると、目に入る景色が違って見えてくる気がします。僅かの間しか滞在しない地であっても、そこにはそこに住んでいる人たちの生活があり、毎日があるのだ、ということが見えてくる気がするのです。

胆振東部地震で亡くなった方々のご冥福を祈ります。またご家族ご友人を亡くされた皆さん、様々な形でまだ困難を背負っていられる皆さんに心よりのお見舞いを申し上げます。月並みですが、頑張ってください。

ガンバレHokkaido!!


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is
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