四月になりましたー!新入学生、新入社員の皆さんおめでとうございます。という時季ですよねえ。日本では3月31日と4月1日の間には大晦日と元旦以上の涙、決意、希望の大河が流れている気がします。
なんていうと多少鼻につきますが、やっぱり日本人的にはきっちり線が引かれる区切りの時であるとは思います。
ところがです。恥ずかしながらアイスランドでの生活が長くなってきた私は、この3月31日と4月1日の区切りがすっかり消えてしまいました。全く他の月変わりと同じなのです。
これには理由があって、おそらくその前後にあり、毎年日付けが変わる復活祭というものの方に私の注意が向いてしまっているからだと思うのです。牧師ですからね、職業的義務感?です。今年の場合はたまたま復活祭の日曜日が3月31日ということがあり、4月1日にも自然に注意が戻ってきました。
さて、四月といえば桜、桜といえば花見でしょうか?「いいよねー!」とこちらの邦人の皆さんの間では盛り上がるのですが、実をいうと公園に敷物を広げて、という花見の酒盛りは私はしたことがありません。いえいえ、牧師だからではないですよ。酒盛りは毎週のようにしましたが、花見の宴会は経験がないんです。
私自身は花見は大好きですが、別に宴会付きでなくても構いません。たこ焼きと缶ビールがあればそれにこしたことはないでしょうが、まずは桜の花を見る、ということそのものがいいなあ。
桜というのは不思議なムードを持っていますよね。特に桜が咲き乱れているような空間の雰囲気というのはそれ自体が人を酔わせるというか、夢に引き込むというかうまく描写できないものがあります。
で、この桜が満開の素晴らしさをこちらの人たちに伝えようとするのですが、散々四苦八苦してもうまくいかないんです。まず、桜の満開というものに遭遇するのがどれほど周到な準備を必要とするものであるか、桜がいかにパッと来てパッと行ってしまうものであるかがよく分かってもらえません。
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」親鸞聖人の歌だそうです。私が知ったのは三代目三遊亭金馬師匠の「花見の仇討ち」という演目ででしたが。巧い歌ですよね、桜の華と儚さ。歌の真意は人の生のはかなさで、「嵐」の来る前に仏様の慈悲にあずかるように、ということだそうな。
言葉でうまく伝えられないなら、その場へ連れてきて「ほら、これ。これが桜」というのがベストだと思います。しかし、悲しいかな、そんな桜ここにはありません。市内の植物園には一本だけけなげな桜の木があり花も咲かせます。
他にもあそこに一本、こちらに一本という風に、全然ないわけではないのですが、いずれも大きく育つ桜の種類ではなく、闇を明るくする如くの桜花という風情からは遠く離れています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/14/008e5a75899ac836bbf38b2bae4c5b23.jpg)
レイキャビク「花見の夢」公園?夢の担い手の若い桜たち
二年前の五月、日本アイスランド協会の創立二十周年、そのアイスランドでの姉妹協会のアイスランド日本協会の三十周年を記念して市内中央の池のほとりの公園に桜の苗木の植樹が行われました。30本くらいあるのでしょうか?
これも普通イメージするソメイヨシノのような桜とは違う小振りな種類だということです。まだ子供のイメージですが、昨年は花も咲いたんですよ。
小さくてもサクラ!
なるべく大きく元気に育ってお花見の機会を提供して欲しいものです。私が地上にいる間には無理か?(*_*)
なんていうと多少鼻につきますが、やっぱり日本人的にはきっちり線が引かれる区切りの時であるとは思います。
ところがです。恥ずかしながらアイスランドでの生活が長くなってきた私は、この3月31日と4月1日の区切りがすっかり消えてしまいました。全く他の月変わりと同じなのです。
これには理由があって、おそらくその前後にあり、毎年日付けが変わる復活祭というものの方に私の注意が向いてしまっているからだと思うのです。牧師ですからね、職業的義務感?です。今年の場合はたまたま復活祭の日曜日が3月31日ということがあり、4月1日にも自然に注意が戻ってきました。
さて、四月といえば桜、桜といえば花見でしょうか?「いいよねー!」とこちらの邦人の皆さんの間では盛り上がるのですが、実をいうと公園に敷物を広げて、という花見の酒盛りは私はしたことがありません。いえいえ、牧師だからではないですよ。酒盛りは毎週のようにしましたが、花見の宴会は経験がないんです。
私自身は花見は大好きですが、別に宴会付きでなくても構いません。たこ焼きと缶ビールがあればそれにこしたことはないでしょうが、まずは桜の花を見る、ということそのものがいいなあ。
桜というのは不思議なムードを持っていますよね。特に桜が咲き乱れているような空間の雰囲気というのはそれ自体が人を酔わせるというか、夢に引き込むというかうまく描写できないものがあります。
で、この桜が満開の素晴らしさをこちらの人たちに伝えようとするのですが、散々四苦八苦してもうまくいかないんです。まず、桜の満開というものに遭遇するのがどれほど周到な準備を必要とするものであるか、桜がいかにパッと来てパッと行ってしまうものであるかがよく分かってもらえません。
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」親鸞聖人の歌だそうです。私が知ったのは三代目三遊亭金馬師匠の「花見の仇討ち」という演目ででしたが。巧い歌ですよね、桜の華と儚さ。歌の真意は人の生のはかなさで、「嵐」の来る前に仏様の慈悲にあずかるように、ということだそうな。
言葉でうまく伝えられないなら、その場へ連れてきて「ほら、これ。これが桜」というのがベストだと思います。しかし、悲しいかな、そんな桜ここにはありません。市内の植物園には一本だけけなげな桜の木があり花も咲かせます。
他にもあそこに一本、こちらに一本という風に、全然ないわけではないのですが、いずれも大きく育つ桜の種類ではなく、闇を明るくする如くの桜花という風情からは遠く離れています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/14/008e5a75899ac836bbf38b2bae4c5b23.jpg)
レイキャビク「花見の夢」公園?夢の担い手の若い桜たち
二年前の五月、日本アイスランド協会の創立二十周年、そのアイスランドでの姉妹協会のアイスランド日本協会の三十周年を記念して市内中央の池のほとりの公園に桜の苗木の植樹が行われました。30本くらいあるのでしょうか?
これも普通イメージするソメイヨシノのような桜とは違う小振りな種類だということです。まだ子供のイメージですが、昨年は花も咲いたんですよ。
小さくてもサクラ!
なるべく大きく元気に育ってお花見の機会を提供して欲しいものです。私が地上にいる間には無理か?(*_*)
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