レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

気がつけば「ない!」

2018-05-20 03:00:00 | 日記
ここ十日間ほど、あまり立て込んでいない日々が続き、自宅に定時に帰れ、さらに帰っても宿題がない、という怠慢を助長するような環境になりました。

創造的な趣味のないワタシは、必然的にネットで日本のテレビを見たりし始めたのですが、故渡瀬恒彦さんの「おみやさんスペシャル」に行き当たりました。2016年の秋に放映されたもののようですが、これはまだ見ていなかったのす。

ご承知とは思いますが、「おみやさん」は過去に迷宮入りした事件の資料を管理する資料課をベースとする物語りですので、当然「過去」がいろいろ関わってきます。

で、それを見ているうちにふと頭に浮かんだものがありました。「ワラバンシ」です。もう長い間「ワラバンシ」という言葉は見たことがありませんし、頭に浮かんだこともないと思います。そういえば、いつのまにかわら半紙なんて生活から消えていたんだ、ということに気がつきました。

そもそも今の若い世代の皆さんは、わら半紙なるものをご存知でしょうか?私が小中学校の頃は、消耗品的な使用目的のメモや学校の印刷物は、だいたいこのわら半紙なるもので賄われていました。

その頃はまだコピー機がそんなに一般的ではありませんでしたし、今ならどこにでもある上質のコピー用紙もそんなに普通にはなかった... と思います。「...」が入ったのは、記憶が定かではないからです。(^-^;

それにコピー機にも前段階がありましたね。「青色コピー」とかいうもので、インクも紙も青っぽい色で、コピーしたてはなんとなく湿っぽいヤツでした。この青色コピー機もいつの間にか消えていたんですね。

さて、わら半紙ですが、当然藁を原材料として作られていたもので、色も白ではなく、薄〜い茶色というかベージュというかという感じでした。薄いので、消しゴムで変に力を入れると破れてしまったりして。

小中学校生活の印刷物の相当な部分は、このわら半紙だったと記憶しています。それに「ガリ版」と呼ばれた謄写版印刷で、文章を印刷したのです。ガリ版の説明は複雑になりますので、興味のある方はご自分でGoogle願います。




長野の小学校に保存される謄写版印刷機
Myndin er ur ja.wikipedia.org


ちなみに「わら半紙」をGoogleしてみたら、今でも買おうと思えば買えるようです。多分、わら半紙を使うような職場もまだあるのでは?という気もします。低品質だから値段も安いだろう、と思って見てみたら、意外や、コピー紙の方が安いんです、これが。やはり量産するものの方が低価格になるんでしょう。

と、急に思いついて新聞紙はわら半紙と同じ質なのではないか? ネットで調べましたが新聞紙用の紙もわら半紙も「更紙(ざらかみ)」という紙の分類になるそうで、新聞用の更紙はその中では最高質なのだそうです。

すごく日常的に慣れ親しんできたものがいつの間にかなくなっていた、という経験は誰でも時にはするものだろうと思います。

私自身の経験したのは、まずカセットテープレコーダーですね。テープレコーダーというよりは、聴く方専門ですが。実は私にはお気に入りの落語というものがあり、テープを20本くらい持っています。落語ならなんでも好きというわけではなくて、三代目の三遊亭金馬師匠と二代目の桂小南師匠。

そのテープを聴く用の小さなレコーダーを持っていますが、その他には特に用がないので、その状態が続いていました。そして、ふと気がつくと身の回りから「ラジカセ」「カセットテープ」なるものが消えていたではありませんか!

正直、これはちょっと不意を突かれた気がしました。もし今あるちいちゃなSonyが壊れてしまったらどうすればいいか? まあ、落語はCDにもなっていますから、買い直せばいいいのでしょうが、お金がもったいない。それにそのCDだって、すでに消えていきつつありますよね。

私が二年ほど前に買ったマツダ車には、まだかろうじてCDプレーヤーもついていますが、使うことはありません。車用にiPodをひとつ買って置きっ放しになっています。CDが車から消えるのは目前と思います。




私の現役Sonyカセットコーダー 「カセットテープ」を知らない人もいるとか


もうひとつ、気づかぬうちに消えてしまわれて、不意を突かれたように感じたものはVHSプレーヤーです。

DVDとかが発展してきてからも、VHS−DVD兼用のプレーヤーがありましたので、私はそれで安心しきっていました。ところがある時、家電のお店でCDプレーヤーとかのコーナーをぶらぶらしていて気がつきました。VHS機能はもうついていないではないか... ガーン! でもこれはもうずいぶん昔の出来事です。

ついでに言っておきますと、こちらの家電量販店はElkoというのですが、日本のヨドバシカメラやビックカメラのような、「入ってウキウキ」感は持てません。普通のお店です。

このVHSプレーヤーの消滅は、正直言っていまだに痛手です。というのは子供達の小さい頃のビデオがかなりあるからです。娘はこちらで生まれたのですが、日本の両親に見せるためにせっせとビデオを撮っていたのです。おかげでスチール写真はほとんど残っていません。撮らなかったから。

毎日見るようなものではないのですが、どこかに取っておきたい気はします。確かにVHSからDVDにダビングしてくれるサービスはあるようなのですが、実際に使ってみたことはありません。

「いつか、そのうち」と思ってきましたが、多分そういうサービスも気が付いた時には消えてしまっているかも...

ちょっと考えてみたのですが、物事 –ある品物とか、それを使った作業- は進化していきますから、その品物がより優れたものの登場によって、だんだん衰退し消えていくのはごく自然なことだと思います。

ですが、何かが消えていくことにまったく気がつかないということがどうして起こるのでしょうか?

自分の経験を吟味してみると、「落語を聴く」とか「ビデオを見る」とかという環境の中で、自分が満足できる状況にいてずーとその状況を楽しんでいる時に、「気づかぬうちに周りが変わっていた」という不意打ちに会った気がします。

何かが気に入らない状況ですと、その不具合を改善したいという気持ちがありますから、周りの変化にも敏感になり、新しいシステムとかの情報も自然と吸収されるように思われます。

例えば、私はDVDで「相棒」や「NCIS」などを観る時、必ず始まりに入っている禁止事項や権利事項の通達、内容の案内等々が「長すぎる!」のにいつもイライラさせられて不満がありました。ですから、iTunesなどがスムースな流れでのオンライン画像を提供してくれるようになると、さっさとそちらへ移行しました。

実際、すでにDVDで持っているシリーズでさえ、お気に入りのものはiTunesで買い直したりしています。お金を使ってでも、あの「イライラ」は解消したいのでした。

この「消えゆく」運命は物品やシステムだけではなく、人間の行動とか習慣についても同じことが言えそうです。

先週の「未解決の女 警視庁文書捜査官」で、「おみやさん」の親戚でもありそうな特命捜査対策室6係の鳴海理沙警部補(演じるは鈴木京香さん)が言っていました:「今の若い人たちは『たたかう』に『斗う』という漢字は使わない」えっ? 知らなかった。そうなんですか...

というようなことを考えてくると、最後には必然的な結論に至ってしまいます。そのうち消えゆくのは周りの事物ではなく「オマエだー」ということ。そうですねえ、ワタシも誰も気がつかないうちに消えていくかも...

「レイキャビク西街のブログ、最近更新してないと思ったら、もうおいでにならなかったのねぇ」とか。なんかリアルなんですけど... (^-^;


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com


Home Page: www.toma.is

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