アイスランドで生活する上での言葉(言語)にまつわる難しさや逸話はこれまでにも何度もお伝えしてきました。「アイスランドでは何語を話すんですか?」と、よく日本の方に訊かれることがあります。
人口僅か三十二万の小国アイスランドですが、言葉は自前のアイスランド語を有しています。小国故のコンプレックス?の裏返しで母国語に対する愛着は相当なものがあります。
アイスランドに暮らす外国人に対しても「ここに住むならアイスランド語を話せ」というクレームは常に表に出てきますし、それが高じすぎると移民差別につながりかねない出来事も生じてきてしまいます。
最も最近では英語を基本とする優良企業も出てきていますし、観光業がどんどん伸びてきていますので、生活するということだけなら英語で済ませることも可能でしょう。
しかしこの国の文化やメンタリティ、深いところにあるものを理解したり、社会で現在進行中の出来事についていき、そこに参加するにはある程度のアイスランド語の力は不可欠のものになります。
私自身はこちらに定住することを目的として移ってくる外国人の人には、アイスランド語をともかく基礎だけでも学ぶことを勧めることにしています。ちょっときつい言い方になりますが、「英語を話しているうちはお客さん」という面があることは認めざるを得ないからです。
もちろん老齢に近くなってから移住してくる人もいますから、事実として言葉の習得が無理なこともありますし、アイスランド語の能力が人を審判する基準になってしまうことには反対します。あくまでも「学ぶ?学ばない?」という基本についての話しです。
私自身もそのように言われてきましたので、アイスランド語は相当一生懸命勉強しました。特にこちらに渡って一応仕事もパートで始めた頃(一年半くらいすでに経過していました)からの数年間は「よくあそこまでできたなあ」と、今の自分が関心するくらい勉強したと思います。
ところが私もすでに出来上がった年齢でしたので、素晴らしいという域にはいまだに達せないでいます。私の場合、読み書き、それにリスニングはまあまあなのですが、ともかく「トーク」には苦労します。
複雑な格変化や単語の性別をきちんと使い分けて「その場でしゃべる」ことは、知識云々の問題というよりは、もはや脳の反応の問題と思います。もうこれは仕方ないですね。これで生きていくしかない、と覚悟しています。
さて、アイスランド語で生活しようと自分なりに一生懸命言葉の勉強をしていた自分ですが、滞在十年を越え、何とかなりつつあった頃ひとつの発見をしました。「アイスランド人と対等に仕事がしたかったら北欧語をひとつは知らなきゃダメ」。
「北欧語」と言うとちょっと違いますね。ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語の中のどれかひとつです。フィンランド語、ゴメンナサイ。
m(_ _)m
なぜスカンジナビア語がここアイスランドで必要になるのかというと、まずデンマーク語は長らく義務教育の第一外国語でしたので、大抵のアイスランド人はデンマーク語を解します。(会話は別です)
ノルウェー語やスウェーデン語はデンマーク語(そしてアイスランド語の)兄弟言語なので、デンマーク語を学んだアイスランド人にとってはとてもくみしやすい言語です。つまりスカンジナビア語はアイスランド人にとっては一般教養の一部のようなものなのです。
近いうちにもう少し詳しく説明しますが、ある程度のスカンジナビア語の知識を前提とした場面は結構な頻度で登場します。ですからこちらの人と「対等に」渡り合うにはスカンジナビア語の知識も必然となってくるわけです。
もっともこれは「対等に」ということを重んじた場合の話しですので、絶対に必要だとは思いませんし、逆に日本人なら「日本語」という特種技能がありますので、その点を利用してプラスマイナスをチャラにするか、むしろ逆転することもあり得ると思います。
言葉にはホントに苦労させられますが、旧約聖書の冒頭「創世記」には「バベルの塔」のお話しがあります。昔、人類は結託して神に挑戦するかのようなバベルの塔を建てようとしたので、怒った神は人類の言葉を散り々りにされたのです。
そのツケを払ってるのがオイラたちかあ...そこまで 散り々りにしなくてもよかったんじゃないか...とは思いますねえ。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
人口僅か三十二万の小国アイスランドですが、言葉は自前のアイスランド語を有しています。小国故のコンプレックス?の裏返しで母国語に対する愛着は相当なものがあります。
アイスランドに暮らす外国人に対しても「ここに住むならアイスランド語を話せ」というクレームは常に表に出てきますし、それが高じすぎると移民差別につながりかねない出来事も生じてきてしまいます。
最も最近では英語を基本とする優良企業も出てきていますし、観光業がどんどん伸びてきていますので、生活するということだけなら英語で済ませることも可能でしょう。
しかしこの国の文化やメンタリティ、深いところにあるものを理解したり、社会で現在進行中の出来事についていき、そこに参加するにはある程度のアイスランド語の力は不可欠のものになります。
私自身はこちらに定住することを目的として移ってくる外国人の人には、アイスランド語をともかく基礎だけでも学ぶことを勧めることにしています。ちょっときつい言い方になりますが、「英語を話しているうちはお客さん」という面があることは認めざるを得ないからです。
もちろん老齢に近くなってから移住してくる人もいますから、事実として言葉の習得が無理なこともありますし、アイスランド語の能力が人を審判する基準になってしまうことには反対します。あくまでも「学ぶ?学ばない?」という基本についての話しです。
私自身もそのように言われてきましたので、アイスランド語は相当一生懸命勉強しました。特にこちらに渡って一応仕事もパートで始めた頃(一年半くらいすでに経過していました)からの数年間は「よくあそこまでできたなあ」と、今の自分が関心するくらい勉強したと思います。
ところが私もすでに出来上がった年齢でしたので、素晴らしいという域にはいまだに達せないでいます。私の場合、読み書き、それにリスニングはまあまあなのですが、ともかく「トーク」には苦労します。
複雑な格変化や単語の性別をきちんと使い分けて「その場でしゃべる」ことは、知識云々の問題というよりは、もはや脳の反応の問題と思います。もうこれは仕方ないですね。これで生きていくしかない、と覚悟しています。
さて、アイスランド語で生活しようと自分なりに一生懸命言葉の勉強をしていた自分ですが、滞在十年を越え、何とかなりつつあった頃ひとつの発見をしました。「アイスランド人と対等に仕事がしたかったら北欧語をひとつは知らなきゃダメ」。
「北欧語」と言うとちょっと違いますね。ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語の中のどれかひとつです。フィンランド語、ゴメンナサイ。
m(_ _)m
なぜスカンジナビア語がここアイスランドで必要になるのかというと、まずデンマーク語は長らく義務教育の第一外国語でしたので、大抵のアイスランド人はデンマーク語を解します。(会話は別です)
ノルウェー語やスウェーデン語はデンマーク語(そしてアイスランド語の)兄弟言語なので、デンマーク語を学んだアイスランド人にとってはとてもくみしやすい言語です。つまりスカンジナビア語はアイスランド人にとっては一般教養の一部のようなものなのです。
近いうちにもう少し詳しく説明しますが、ある程度のスカンジナビア語の知識を前提とした場面は結構な頻度で登場します。ですからこちらの人と「対等に」渡り合うにはスカンジナビア語の知識も必然となってくるわけです。
もっともこれは「対等に」ということを重んじた場合の話しですので、絶対に必要だとは思いませんし、逆に日本人なら「日本語」という特種技能がありますので、その点を利用してプラスマイナスをチャラにするか、むしろ逆転することもあり得ると思います。
言葉にはホントに苦労させられますが、旧約聖書の冒頭「創世記」には「バベルの塔」のお話しがあります。昔、人類は結託して神に挑戦するかのようなバベルの塔を建てようとしたので、怒った神は人類の言葉を散り々りにされたのです。
そのツケを払ってるのがオイラたちかあ...そこまで 散り々りにしなくてもよかったんじゃないか...とは思いますねえ。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
でも、言葉でコミュニケーション出来ない故に現れる、言葉以外の世界共通したコミュニケーション方法もあるなぁと実感します。
いろいろコミュニケーションのことを考えると、「コミュニケーション出来る(というか、コミュニケーション出来ているという実感する)って実はすごくないか?」と感じます。
コメントありがとうございます。
確かにコミュニケーションの全体を見れば言葉によらないコミュニケーションも多々ありますよね。音楽、絵画、スポーツ、自然、さらにはボデイランゲージ等々。
でも残念ながら、私の意見では「言葉はいらない」というのは実に特殊な状況での出来事だと思います。言葉という厳しい現実があるから、言葉によらないでもいい状況が輝いているのでは、と思えるのです。
ETみたいに指と指を合わせれば...というのがあったら、嬉しいような、怖いような... (^-^;