こんにちは/こんばんは。
十月の最初の週末。ここ数日、レイキャビクは美しい秋の陽光に包まれる時を与えられています。やはり気持ち良いですね、風もないし。爽やかというか、平穏というか、ロバート・ブラウニングのPipa’s song という詩を思い浮かべてしまいます。
今朝の寝室兼仕事部屋からの景色
Pic by Me
時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀 なのりいで、
蝸牛 枝に這い、
神 そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(上田敏・訳)
まあ、これは春の詩(うた)だけど...
「すべて世は事もなし」この詩は小学校だか中学校の国語の教科書に出ていたもので、以来、最後のこの一句だけ覚えてしまっていました。今朝(5日の金曜日)のような、穏やかな日に時折思い出します。
ただし、「すべて事もない」のは、私の視野にあるごくごく限られた「世」というものであって、実際には「世」はこれでもか!と言わんばかりの「事」に満ち溢れてしまっています。ウクライナ、ガザ、レバノン そして今日のニュースによるとハイチでもひどい事件が... まったく、どうなるんでしょうね、世界は?
もう少し身近な「世」でも「事」はたくさんあります。前回ご紹介したように、アイスランドでも殺人事件が –しかも子供が巻き込まれた– 複数回起こってしまっていますし、傷害事件も増加しています。
もうひとつ気に入らないのは、アイスランド社会の中にある「反外国人キャンペーン」みたいなもの。最近、政治家やメディア関係でUtlendingamalウートレンディンガマウルという言葉が頻繁に使われます。Utlendingaというのは外国人(utlendingur)の複数連語形でmal(問題)が付いて「外国人問題」ということです。
清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Rory_hennessey@unsplash_com
「移民問題」でもなければ「難民問題」でもなく、「外国人問題」なのです。ということはオイラもその問題の仲間ということになります。
まあ、「外国人」と言っても人類の総人口は81億1900万人だそうですから、移民を差し引いたアイスランド人の総数を35万人程度とすると、81億1865万人を相手にしているわけで、まあ大きく出たもんだ、と感心させられます。
皆さんも日本のニュースとかで見聞きすることがあるかと思いますが、ヨーロッパの多くの国々では反移民感情が高まっています。反移民を掲げるいわゆる「民族主義的右派」の政党がドイツやフランスでも躍進してしまっています。
アイスランドにも、そういう主張をするグループはこれまでにもありましたが、政府の公式な見解やコメントレベルではそう顕著になることはありませんでした。
(*脱線しますが、私の使っているMacOS、最新のSequoia15.0.1. なのですが、ローマ字入力からの漢字への転換が信じられないほど間抜けです。これまでの転換の学習もしないし。しかも、転換なしでひらがなのままを入力したい時に、勝手に漢字に変えられてしまうことが多々あります。疲れる。どうにかしてほしい)
それが一年前くらいに、独立党の党首ビャルトゥニ氏(現首相)が「外国人問題」という言葉を使い始めて以来、メディアもその言葉を使い始めました。最近では他党の政治家までutlendingamalを口にします。
シィンクヴァットゥラ公園も秋めく
Myndin er eftir Vigdis V. Pallsdottir med leyfi
とりわけ率先してこの反外国人キャンペーンの音頭を取っているのが独立党系の大手新聞のMorgunbladidモルグンブラージィズ紙。
以前から党派性はありましたが、それでも一応クオリティペーパーだったのですが、今ではなりふり構わぬ感じの民族紙の感があります。連日、例えば難民に関する否定的記事のオンパレード。
これは、何も批判的な明言をしなくとも、「タクシー運転手が料金詐欺をしました。この運転手は元難民でした」的な書き方で、要するに「煽り記事」の範疇です。
こういう記事をですねえ、毎日々々目にしていると、それほど世の中の事情に通じていない人は「そういうものか」と信じ込んでしまうに違いありません。刷り込み成功。
こういうキャンペーンが発展するのは、まずいずれの場合も庶民の生活の窮状に関係しています。例えばアイスランド、特に首都圏では住宅事情がひどい状態です。「アイスランド人の間にホームレスが出ている一方で、難民は住宅を無料であてがわれている」「難民が住宅を我々から盗んでいる」こういうのが典型的な理屈。
住宅問題は今から十年も前から論じられています。政府は何もしていません。例えば新しく大きなマンションが建築されても、超富裕層が多くの部屋を「賃貸用」に買い取ってしまい、結局庶民には無縁。
また、観光業の発展につれて、従来の賃貸住宅が、儲けの良いツーリスト向けのAirBNBとかに変わってしまったことが住宅難に拍車をかけたのですが、それに対しても無制限のまま。
ウクライナ難民が増加した際も、住宅の需要がさらに増えるとわかっているのに、政府は仮設住宅等の建設よりは、すでに不足している賃貸アパート等の借り上げに奔走しました。結果は反移民・反難民の連中に「奴らが住宅を盗んでいる」と言わせる格好のネタを提供しただけ。
要するに住宅難は政府の失政・怠慢と、住宅難からウハウハの利益を得ている一部の富裕層の貪欲のせいであって、移民や難民の故ではありません。
これは思いつきのアングルで撮った教会
Pic by Me
日本と同様に、ウクライナ侵攻の煽りで物価が上昇していることも庶民の生活を苦しめています。そこで言い始めたのが「ウクライナ支援が我々の生活を苦しめている」
アイスランドがウクライナを支援しているのは、何も人道上の理由からだけではなく、ウクライナに持ちこたえてもらわないと、政治的にも長い目で見ればアイスランドの権益にマイナスになると見込まれるからです。
民族主義的右派は、そういうことにはまったく触れず、あたかもウクライナ人のせいでアイスランド人の生活が圧迫されているかのように問題を取り上げ、吹聴します。これも一般大衆への刷り込み戦略ですね。
以前、日本史や世界史を学んでいた際に、「なんで日本は戦前ファシスト政権をゆるしてしまったのだろうか?」とか「頭の良いはずのドイツ人が、なんでヒトラーなんぞを盲信したのだろうか?」と不思議に思ったことがあります。
今、こうしてアイスランドでの「反外国人」キャンペーンを毎日目にしていると、「なるほど」と以前からの疑問に対する答えのようなものを見出す気がします。
こういう状況を認識しながらも、「疲れるから反論しない」知識人や、「反外国人の方が支持を得やすいから」という目算でものを言う連中も少なからずあるようです。
私自身、これまで随分ものは言ってきた方なので認めますが、確かに反論するのは疲れるんです。だけど「黙ったまま」っていうのは、やっぱりダメだよな。民主主義とか、人権とか、勝手には来てくれないし、放っておくとどこかへ雲散霧消ということもあり得ます。
日本の皆さんも、いろいろと似たような状況が思いあたるかもしれませんが、言論の自由を含めて、権利は行使しないと減っていってしまうものです。頑張りましょうね。
というような時勢だからこそ、それが許される時には穏やかな天気の下、散歩でもしながら「すべて世は事も無し」と落ち着くひと時も必要か?そういうことにしておきましょう。(*^^*)
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
十月の最初の週末。ここ数日、レイキャビクは美しい秋の陽光に包まれる時を与えられています。やはり気持ち良いですね、風もないし。爽やかというか、平穏というか、ロバート・ブラウニングのPipa’s song という詩を思い浮かべてしまいます。
今朝の寝室兼仕事部屋からの景色
Pic by Me
時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀 なのりいで、
蝸牛 枝に這い、
神 そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(上田敏・訳)
まあ、これは春の詩(うた)だけど...
「すべて世は事もなし」この詩は小学校だか中学校の国語の教科書に出ていたもので、以来、最後のこの一句だけ覚えてしまっていました。今朝(5日の金曜日)のような、穏やかな日に時折思い出します。
ただし、「すべて事もない」のは、私の視野にあるごくごく限られた「世」というものであって、実際には「世」はこれでもか!と言わんばかりの「事」に満ち溢れてしまっています。ウクライナ、ガザ、レバノン そして今日のニュースによるとハイチでもひどい事件が... まったく、どうなるんでしょうね、世界は?
もう少し身近な「世」でも「事」はたくさんあります。前回ご紹介したように、アイスランドでも殺人事件が –しかも子供が巻き込まれた– 複数回起こってしまっていますし、傷害事件も増加しています。
もうひとつ気に入らないのは、アイスランド社会の中にある「反外国人キャンペーン」みたいなもの。最近、政治家やメディア関係でUtlendingamalウートレンディンガマウルという言葉が頻繁に使われます。Utlendingaというのは外国人(utlendingur)の複数連語形でmal(問題)が付いて「外国人問題」ということです。
清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Rory_hennessey@unsplash_com
「移民問題」でもなければ「難民問題」でもなく、「外国人問題」なのです。ということはオイラもその問題の仲間ということになります。
まあ、「外国人」と言っても人類の総人口は81億1900万人だそうですから、移民を差し引いたアイスランド人の総数を35万人程度とすると、81億1865万人を相手にしているわけで、まあ大きく出たもんだ、と感心させられます。
皆さんも日本のニュースとかで見聞きすることがあるかと思いますが、ヨーロッパの多くの国々では反移民感情が高まっています。反移民を掲げるいわゆる「民族主義的右派」の政党がドイツやフランスでも躍進してしまっています。
アイスランドにも、そういう主張をするグループはこれまでにもありましたが、政府の公式な見解やコメントレベルではそう顕著になることはありませんでした。
(*脱線しますが、私の使っているMacOS、最新のSequoia15.0.1. なのですが、ローマ字入力からの漢字への転換が信じられないほど間抜けです。これまでの転換の学習もしないし。しかも、転換なしでひらがなのままを入力したい時に、勝手に漢字に変えられてしまうことが多々あります。疲れる。どうにかしてほしい)
それが一年前くらいに、独立党の党首ビャルトゥニ氏(現首相)が「外国人問題」という言葉を使い始めて以来、メディアもその言葉を使い始めました。最近では他党の政治家までutlendingamalを口にします。
シィンクヴァットゥラ公園も秋めく
Myndin er eftir Vigdis V. Pallsdottir med leyfi
とりわけ率先してこの反外国人キャンペーンの音頭を取っているのが独立党系の大手新聞のMorgunbladidモルグンブラージィズ紙。
以前から党派性はありましたが、それでも一応クオリティペーパーだったのですが、今ではなりふり構わぬ感じの民族紙の感があります。連日、例えば難民に関する否定的記事のオンパレード。
これは、何も批判的な明言をしなくとも、「タクシー運転手が料金詐欺をしました。この運転手は元難民でした」的な書き方で、要するに「煽り記事」の範疇です。
こういう記事をですねえ、毎日々々目にしていると、それほど世の中の事情に通じていない人は「そういうものか」と信じ込んでしまうに違いありません。刷り込み成功。
こういうキャンペーンが発展するのは、まずいずれの場合も庶民の生活の窮状に関係しています。例えばアイスランド、特に首都圏では住宅事情がひどい状態です。「アイスランド人の間にホームレスが出ている一方で、難民は住宅を無料であてがわれている」「難民が住宅を我々から盗んでいる」こういうのが典型的な理屈。
住宅問題は今から十年も前から論じられています。政府は何もしていません。例えば新しく大きなマンションが建築されても、超富裕層が多くの部屋を「賃貸用」に買い取ってしまい、結局庶民には無縁。
また、観光業の発展につれて、従来の賃貸住宅が、儲けの良いツーリスト向けのAirBNBとかに変わってしまったことが住宅難に拍車をかけたのですが、それに対しても無制限のまま。
ウクライナ難民が増加した際も、住宅の需要がさらに増えるとわかっているのに、政府は仮設住宅等の建設よりは、すでに不足している賃貸アパート等の借り上げに奔走しました。結果は反移民・反難民の連中に「奴らが住宅を盗んでいる」と言わせる格好のネタを提供しただけ。
要するに住宅難は政府の失政・怠慢と、住宅難からウハウハの利益を得ている一部の富裕層の貪欲のせいであって、移民や難民の故ではありません。
これは思いつきのアングルで撮った教会
Pic by Me
日本と同様に、ウクライナ侵攻の煽りで物価が上昇していることも庶民の生活を苦しめています。そこで言い始めたのが「ウクライナ支援が我々の生活を苦しめている」
アイスランドがウクライナを支援しているのは、何も人道上の理由からだけではなく、ウクライナに持ちこたえてもらわないと、政治的にも長い目で見ればアイスランドの権益にマイナスになると見込まれるからです。
民族主義的右派は、そういうことにはまったく触れず、あたかもウクライナ人のせいでアイスランド人の生活が圧迫されているかのように問題を取り上げ、吹聴します。これも一般大衆への刷り込み戦略ですね。
以前、日本史や世界史を学んでいた際に、「なんで日本は戦前ファシスト政権をゆるしてしまったのだろうか?」とか「頭の良いはずのドイツ人が、なんでヒトラーなんぞを盲信したのだろうか?」と不思議に思ったことがあります。
今、こうしてアイスランドでの「反外国人」キャンペーンを毎日目にしていると、「なるほど」と以前からの疑問に対する答えのようなものを見出す気がします。
こういう状況を認識しながらも、「疲れるから反論しない」知識人や、「反外国人の方が支持を得やすいから」という目算でものを言う連中も少なからずあるようです。
私自身、これまで随分ものは言ってきた方なので認めますが、確かに反論するのは疲れるんです。だけど「黙ったまま」っていうのは、やっぱりダメだよな。民主主義とか、人権とか、勝手には来てくれないし、放っておくとどこかへ雲散霧消ということもあり得ます。
日本の皆さんも、いろいろと似たような状況が思いあたるかもしれませんが、言論の自由を含めて、権利は行使しないと減っていってしまうものです。頑張りましょうね。
というような時勢だからこそ、それが許される時には穏やかな天気の下、散歩でもしながら「すべて世は事も無し」と落ち着くひと時も必要か?そういうことにしておきましょう。(*^^*)
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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>日本では今は中国の日本人学校の生徒が殺された話で煽っている人がいます。私も日中緊... への返信
kuwasanさん、コメント、いつもありがとうございます。
そうですね、日本には反中国、反韓国・朝鮮の煽り屋は必ず一定の割合で存在しますね。
ネットの書き込みなんかを見ていると、本当にウンザリさせられます。
最近小樽へ行かれたのでしょうか?私も以前訪ねた際に、小樽のオルゴール屋さんが中国からのお客さんで満杯だったのに驚かされました。
実際の触れ合いを促進、支援するお働きをどうかお続けください。