雨曇子日記

エイティライフの数々です

浦和(さいたま市)を歩く

2019-11-06 13:20:39 | 関東の小都市歩き

         (南区役所のコンコースからの風景)

 

初めて武蔵野線「武蔵浦和駅」に降りて、方向感覚が狂った。調(つきのみや)神社に行くのだが、地図を持っているのに、自分の位置すら分からなくなったのだ。聞くしかないと思って、まず自転車で信号を待っていた高校生に聞いた。彼は熱心に教えてくれ、曲がり角に来た時、忽然と現れ、ここを左折するのだと教えてくれるほど親切だったが、私は彼の厚意に背き直進した。(ごめん。この時は自分の進む方向が分かり始めていたのだ)

次に、家の前を掃いていた年配の女性に聞いたら、神社は 100m ほど先だった。私は、この街がいい街だと思った。親切な人の住む街だ。

 

  (どれも、調「つきのみや」神社の写真・狛犬の代わりに兎が鎮座する・歴史のある神社)

 

神社の近くに住む方の短歌がある。

          調神社向かいの魚寅の葉桜の頃に店を閉じたり

          切干や高野豆腐や芋がらは二人の夕食にほどよくお菜

          跡をつぐものなき夫婦の小商ひ七十代の余力あるうちにと

 

 

朝日新聞「ひととき」欄に載った「魚寅」の女将さんの投書にこの短歌があった。この店のお得意さんがこの句の入選を知らせてくれたという。店を閉めて、テレビで 80 歳を過ぎて生き生きと働く人を見てなんだか悪いことをしたような気持になっていたが、この短歌を見て心が軽くなった。と書いてあった。

 

私は、この神社(律令制の時代、関東一帯の「調」がこの地にあった倉庫に集められ、京に運ばれたとか。東山道から東海道へとルートが変更され、集散地としての役割を終え神社になったとのこと)の広い境内を見て回り、近くの、埼玉県庁に行った。

 

                (県庁前の花時計)

 

県庁の食堂のある第二庁舎を探していたら、若い職員が声をかけてくれ、親切に教えてくれた。

食堂は、おいしそうで、リーズナブルだったが、大通りに面した店でもなく、浦和駅隣接の伊勢丹 7 階の和食の店”いっさい”にした。

 

        (食指が動いたが立ち寄らなかった県庁通りの店)

     (浦和伊勢丹 7 階”いっさい”窓際の席よりの展望、スカイツリーが見えた)

       (海鮮丼・信州そばのセット 1255 円・Isetan いっさい)

 

遅い昼食の後は、電車で帰るだけである。