東武健康ハイキング第 376 回は、4.13 ~ 4.28 までの春日部ハイキング。この期間、スタートの「プラットかすかべ」で地図をもらい、勝手に歩けばよいのだ。コースは 13 ㎞なので、その一部を歩くことにした。私が歩いたのは 4 月 24 日で、小雨~やや本格的な降りという天気だった。
駅東口を出て、彫像の立つ街角から、新田義貞の家臣で北朝の忠臣春日部重行の墳墓のある最勝寺あたりまでは、霧雨だった。
それが、大落古利根川に注ぐ古隅田川べりあたりからはやや強くなり、北春日部駅に至って本降りの様相を呈してきた。
(古隅田川にかかる十文橋 江戸時代、渡り賃として十文取ったたらしい)
(古隅田川沿いの遊歩道)
(東武スカイツリーラインの鉄橋の下を通る)
(鉄橋の手前にあった梅田女體神社)
「梅田」という地名は、このあたりが湿地で、埋め立てられた土地ということからついた名らしい。
「女體神社」はめずらしい名だが埼玉県にはかなりある。この神社は最近整備されたようだが、10 世紀初頭の創建らしい。敷石や合祀された浅間神社の痕跡をみれば、少なくとも江戸時代にはかなりの尊崇を受けていたらしいことが窺える。
(北春日部駅)
(駅前の「かえで通り」・これだけ閑静な大通りは最近見たことがない)
(内牧に向かうハイキングコースをカットして市街地に入る)
(古隅田川にかかる工事中の橋・橋の名を確かめなかった)
(市役所通りに出て、民家の庭からあふれ出て咲く藤)
(春日部市役所の雄姿)
(市役所前庭の彫像)
(駅の東西を結ぶ地下道の壁画)
(駅東口街角の彫像)
春日部市にはブロンズ像が街のあちこちに建ち、どれもよく街並みにマッチし、違和感がない。これらの彫像に会いにまたこの街を訪れたくなる。
とにかく、今日はハイキングコースを大幅にカットして歩いたが、それでも一万歩を越し、帰りの電車では熟睡した。
雨曇子さまは、よく歩かれますね。
朝起きて、ひげそって、身支度して、駅まで行く。
そのエネルギーが素晴らしいです。
谷氏は起きたら用意された朝食を食べて、テレビとPCで半日終わります。午後は徘徊です。
春日部って、埼玉でも印象が薄い「イもの街」。
メトロ日比谷線に接続すると祐天寺、自由が丘、田園調布から横浜へ繫がる有数の高地価の街になりますね。
当時、サラリーマンが家を買う際、最も安価だったのが春日部でした。
もう何十年にもなる前ですけれど、仕事で学芸大学に行った際、帰りの電車の行き先が「春日部」と表示すされていました。「えっつ、田園調布と春日部がつながっているなんて、許せないなんて」訳の分からないセリフを呟きながら……。
その春日部にもいろいろ見所があることを教えていただきました。
奥の細道では第一夜の宿泊地にも関わらず、芭蕉は草加と勘違いしているのは、取り柄のない田舎だったからでしょうか。(今は立派な文化都市と思います)
あのあたりは、どこまでも平坦で起伏が一切ありませんね。 7 千年前は海だったそうですが、その海の水が引いたまま現在に至っているという地形です。治水が大変だったろうなと思います。
江戸時代は粕壁と表記していたのを春日部に改めたのは、大正のはじめだそうです。