所司一門将棋センター (津田沼店)

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津田沼子供将棋教室 スタッフブログ

大人教室コラム

2021年12月21日 | 大人教室

毎週火曜日の大人教室の日もブログを書いていきます。

当面火曜日のブログでは下記のようにコラムを載せていきます。

第1回はまいぷれのニュースにも載せました。

所司和晴 第1回コラム  
将棋をはじめたころ
私は東京都江東区出身で将棋6年生のとき、船橋市に引っ越しました。
将棋を覚えたのは小学1年生のころです。
私が小学生のころはもう縁台将棋は見かけない時代でした。
将棋は百科事典で覚えたのですが、周りで本将棋を指す方がいなくて、中学2年生までほとんど指す機会がなかったです。
このころようやく学校の友達で4~5人好きな方ができて、将棋にのめり込みます。
友達と指すだけでなく、公民館の将棋サークルにも行くようになりました。
友達の中では2年生のうちに行き道場の話を聞いていましたが、私はやや遅れて中学3年生の6月に将棋道場に行きました。
自分や友達以外は将棋サークル同様大人の方ばかりでしたが、当時の将棋道場はお客さんが多く大盛況でした。
私はアマチュア6級に認定されました。
中学2年生のとき本を読んでたくさん指してきたので、もう少し上の級があるかなと思いましたが、当時のレベルは高かったです。
将棋道場に通いだしたころ奨励会というプロの卵の6級(その後に兄弟子となる)方と二枚落ち(飛車と角を落とす)で対局しましたが負けで、プロを目指す方はすごく強いんだなと感じました。
私はこんなに遅いスタートでしたので、とてもプロを目指す位置になく、小さいころから将棋を学べる環境があればと思いました。
またそれが棋士になってから多くの指導をしてきた理由でもあります。
この点はまだ他にも理由がありますので、次回以降のコラムでも述べていきます。

第2回 晩学スタート

中学生3年生、将棋道場のアマチュア6級でスタートした私は将棋の魅力にのめり込んでいきました。

それでも特別早い昇級ペースではありませんでした。

当時の道場初段はレベルが高く、アマ有段者にあこがれました。

高校入学のときはアマ1級でした。

受験では親から学費が安い県立に受かれば良いとのことで、家から距離を測って一番近い船橋旭高校に入学しました。

それでも自転車で脚力はありますが、20分かかりました。

受験勉強は3年生の冬休みあたりからで遅いです。

県立に受かれば彫り駒と、足つき将棋盤のセットを買ってもらえるというのががんばった理由の1つです。

普段学校の成績は小学生のころからずっと中か、中の上ぐらいで平凡でした。

得意な科目は図画工作から美術と、体育といいますか、運動能力ぐらいでした。

百科事典で将棋を覚えましたのでインドアタイプのようですが、自転車でどこでも遊びに行く方でした。

普通プロ棋士は数学が得意ですが、私は平凡な成績でした。

局面を考えるときに深く読むより、感覚や感性を重視する方です。

つまり局面を見てきれいな形なので、うまくいくだろうという感じです。

このあたりは得意科目が美術だったことが影響しているかもしれません。

ただ将棋はやはり数学が得意なタイプが有利に感じます。

高校での友達もできましたが、中学のときの将棋仲間と一緒の方が多かったです。

土曜日、日曜日は将棋道場に行き、高校2年のときはアマ四、五段になりました。

ただアマとしての実績は赤旗名人戦の県大会の前、船橋地区大会で2位というのが最高ぐらいです。

高校選手権ではライバルの友達に勝てば県代表になれると思い込んでいましたが、一回戦で敗退でした。

将棋の世界を知るようになればなるほど、小さいころから将棋を専門に学んでプロ棋士の道を目指したかったという思いが膨らみました。

このように晩学だったのが、のちに若い方に夢を託したいと、教える側になることを望んだのかもしれません。

高校2年の夏休みは大工の父の仕事を手伝ったりして、将来父のあとを継ぐのだろうか。

あるいは美術の関係の学校に行くのだろうかと、まだ将来のことは漠然と考えるぐらいでした。

しかしその後、急に転機が訪れました。


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