5月31日の大人教室です。
今日は5人でした。
毎週火曜日はプロ棋士所司和晴七段による、大人を対象にしました将棋教室です。
教室の時間は14時~16時です。
指導対局を2局~4局ぐらい指します。
京成津田沼駅直結の駅ビルですので便利です。
5月31日の大人教室です。
今日は5人でした。
毎週火曜日はプロ棋士所司和晴七段による、大人を対象にしました将棋教室です。
教室の時間は14時~16時です。
指導対局を2局~4局ぐらい指します。
京成津田沼駅直結の駅ビルですので便利です。
4月26日の大人教室とコラムです。
今日は5人でした。
コラムは20回まで書きましたので、ちょうど切りの良いところになりました。
月曜日に2つの教室を担当することにもなりましたので、いったんコラムはお休みとさせていただきます。
大人教室も来週はゴールデンウイークでお休み、再来週は所用があり、連続お休みにさせていただきます。
第20回渡辺明名人の入門
小学4年生で小学生名人になった葛飾区在住の渡辺明君がお父さんと一緒に南流山の土曜教室に来ました。
渡辺君には「僕は将棋が強いんだ」というオーラをすごく感じました。
実際他の生徒さんと指して、超早指しであっという間に勝ってしまいます。
私とは飛車落ちで指しました。
早見えで才能を感じましたが、早指し過ぎるところもあり、上手が勝ちました。
負けてもひょうひょうとしているタイプと感じましたが、のちにテレビで「プロと飛車落ちで負けるとは思っていなかった」そうです。
渡辺君は他の生徒さんとたくさん指しましたが、ほとんど勝ちました。さすが小学名人です。
小学生4年生(収録は小学3年生のとき)で小学名人は史上初とのことで天才だと思いました。しかし宮田君も凄かったので、そこまでの驚きはありませんでした。
奨励会4級になっている中学1年生の宮田君との対局は渡辺君の負けでした。
宮田君は負けられない気持ちが強く、とても気合が入っていました。
2人の対局は毎週続きます。
私との対局は飛車落ちで私が2連勝2連敗で、教室に通って1月経ったところで、今年の奨励会試験を受けることで決まり、それからは平手か香落ちの対局になりました。
渡辺君が教室に通い3回目のときでしょうか、お父さんも教室に入る形になりました。
棋力は明くんと同じぐらいということなので、お父さんとも飛車落ちで指しましたが強かったです。
聞いてみますと五段で指していますとのことで、それからは角落ちの手合いにしました。
当時はまだお父さんの方が強かったようです。
4月19日の大人教室とコラムです。
今日は3人でした。
第19回松尾歩八段の入門
1993年4月末に中国から帰ってきて、たくさんのシャンチーの本を読み始めました。
私は序盤研究が好きなことから、シャンチーも開局(定跡)の本に多く興味を持ちました。
布局(駒組み)は体系的にまとまっていて、膨大な量に圧倒されました。
このとき将棋の本も、もっと充実したものが必要ではと感じました。
前のコラムでも少し触れましたが、昨夏奨励会試験を落ちてしまった後藤元気君が土曜教室に同じ研修会仲間の松尾歩君を連れてきました。
学年は1つ下で中学1年、名古屋に住んでいますが、関西ではなく関東研修会にしたそうです。
奨励会に入会している宮田君とも以前から仲良しのようでした。
後藤君からあとで聞きましたが、松尾君のお父さんはうちの子ではプロ棋士を目指すのは難しいという理由で関東研修会に行かせたようです。
関東研修会は人数が多いのでレベルが高い、ということですが、逆に厳しい中で戦って上がっていければ本物という見方かも。
夏の奨励会試験では後藤君は合格し、松尾君は落ちてしまいました。
奨励会試験の会場には私も行きましたが、後藤君からは松尾君は負けて泣いてしまったそうです。
このつらさはきっと糧になると思いました。
松尾君は名古屋なので、南流山の教室や当時北習志野での金曜研究会に研修会の行か帰りにたまに来るぐらいでした。
そのようなことで、私としては一番指していない弟子です。
将棋を見ると、振り飛車党で穴熊も多かったです。
当時、松尾君のすごいところは、終盤の寄せ合いではすごい集中力がありました。
何としても相手玉を寄せるという、執念のような気迫を感じました。
松尾君は次の奨励会試験を待たず、3月に研修会から奨励会に入ることができました。
もちろん関東所属です。
のちに中学を卒業したら、東京に住もうかという相談もしました。
そしてすぐあとの1994年5月に、渡辺明君が小学生名人になってすぐのころ土曜教室に来ました。
4月12日の大人教室とコラムです。
今日は3人でした。
第18回シャンチーの世界選手権に出場
1992年末、趙国栄さんの奥さんの牛牛力さんからシャンチー世界選手権の会場で将棋の普及活動をするのなら、大会にも出場してみてはという話がありました。
大会はいろいろな国からの参加がありますが、中国系でない外国人にはあまり普及していないそうです。
中国系強豪とノンチャイニーズが一緒で戦う大会ですが、ノンチャイニーズ部門の表彰があるそうです。
牛力力さんから「将棋のプロ棋士でしたらちょっと勉強すればノンチャイニーズ部門で優勝できますよと」おだてられ出場することに決めました。
それから趙さんとは将棋とシャンチーの2面指しの相互指導で教わる形になりました。
4~5か月のにわか仕込みで北京でのシャンチー世界選手権に出場しました。
海外旅行には行ったことがありますが、もちろん中国は初めてです。
日本選手は私だけでなく、数人チームで出場です。
中国系の方が各国2人で、ノンチャイニーズの方は多く出場して良いという形です。
趙さんは2名の中国代表選手の1人で前回(隔年開催)の覇者、世界チャンピオンです。
大会の模様は後日将棋マガジンに私がレポートとして書きました。
結果は3勝6敗でノンチャイニーズ部門の入賞はなりませんでしたが、素晴らしい大会でとても楽しめました。
この年ベトナムが初参加でしたが、とても強かったです。
それもそのはずで、ベトナム将棋のカートンがそのままシャンチーとほぼ同じなのでレベルが高いわけです。
外国人としてはドイツのチェスのトッププレイヤーでロバートフューブナーさんという方が一番いい成績でした。
今回世界チャンピオンになった特級国際大師(将棋で言えばA級やタイトル保持者のようなトップ棋士)の徐天紅さん(超さんは2位)とロバートフューブナーさんの対戦があり、徐天紅さんから馬1枚は落とせない高いレベルと絶賛されていました。これは将棋では角落ちに相当する感じで、プロの名人とアマ名人の勝負の手合いあたりでしょうか。
この対局は多くのシャンチーの専門雑誌などに紹介されたようです。
この大会を終えた後は、中国棋院を中心にして将棋の紹介をし、2週間ぐらいの滞在でした。
帰りにはシャンチーの本をたくさん買い込んだのですが、これがのちに東大将棋ブックスのシリーズを書いていく原動力にもなりました。
日本に帰ってから将棋のプロも勉強すればシャンチーが強くなれるはず。次の大会ではロバートフューブナーさんのような活躍をしたいと思うようになりました。
4月5日の大人教室とコラムです。
今日は4人でした。
第17回 シャンチー特級国際大師の趙国栄さんとの出会い
1992年の秋は新しい出会いがありました。
当時将棋マガジンという月刊誌がありましたが、ここにシャンチー(象棋)の世界チャンピオンの趙国栄さんという方が将棋を覚えたらどのように上達するのかという企画があり、毎月対局が載っていました。
場所が千葉市ということで、比較的近かったので観戦に行ってみました。
趙国栄さんの対局姿勢はとてもすばらしく、また一局毎に強くなる上達スピードにもビックリでした。
それで私も交流するようになり、将棋のアドバイスをするようになりました。
趙さんの奥さんの牛力力さんは中国棋院のプロ五段ですが、日本に長く滞在していて日本語が上手です。
対局は牛力力さんが師範の碁会所で、他の囲碁棋士ともお会いしました。
日本棋院の中山典之先生(現七段)からは囲碁の世界という本をいただきました。
内容は囲碁の解説書でなく、囲碁の歴史や魅力などです。
そして中山先生の海外普及の活動にとても興味を持ちました。
私の師匠が東北地方などに普及に行ってましたが、これからの時代は海外かなと漠然と考えました。
趙さんとの交流では一度シャンチーのルールを教わり面白いと思いましたが、そのころはその後の進展はありませんでした。
このときはまさかこんなにシャンチーにのめり込むとは。
中山先生と次にお会いしたとき、アメリカ人のマイケルレドモンドさん(現九段)もいらしたりして海外普及の話題などになりました。
すると翌年の1993年4月に北京でシャンチー世界選手権があるので、この機会に将棋を紹介していけば世界中から選手が集まるのでいい普及活動になれのではとのことです。
将棋連盟に話を持っていきましたら国際交流基金から助成を得られるとのことで、中国に将棋の普及で行くことになりました。