広島駅では21分の待ち合わせです。駅の外に出てみましたが37度近い暑さです。
広島 13:18発
横川 13:22着 13:22発
西広島 13:25着 13:25発
新井口 13:29着 13:30発
五日市 13:32着 13:33発
廿日市 13:36着 13:37発
宮内串戸 13:39着 13:39発
阿品 13:42着 13:43発
宮島口 13:45着 13:45発
前空 13:47着 13:48発
大野浦 13:51着 13:52発
玖波 13:56着 13:57発
大竹 14:01着 14:01発
和木 14:03着 14:04発
岩国 14:09着
昼食は、三原駅で購入してきた「たこめし」と広島駅で購入した「夫婦あなごめし」です。
西広島駅を過ぎると進行方向左手を、広島電鉄宮島線が宮島口駅まで並行して走ります。
海岸線を走っているのですが、家並みが続いているため一瞬だけ、日本三景二つ目、厳島(宮島)が見えました。
宮島焼は、神砂焼、御砂焼とも呼ばれる宮島の砂を粘土に混ぜて焼き上げた物をいうそうです。
玖波駅までの区間は瀬戸内海を眺めることができます。
大竹駅が、広島県最後の駅です。大竹駅を出てすぐ渡る小瀬川が、山口県との県境になります。
岩国駅で岩徳線と分かれます地図を見た分かるとおり、櫛ヶ浜駅までは山陽本線より距離が短いため、完成当時は山陽本線となり、今の山陽本線を柳井線といていました。
しかしその後、山陽本線の複線化が計画された際、岩徳線のルートが勾配やカーブが多く、欽明路トンネルをもう1本掘らなければならないことから、複線化が完了して今のように呼び名が変わりました。
岩国駅で徳山行の列車に乗り換えますが、この列車は徳山駅で列車番号が変わるだけでそのまま新山口行になります。
岩国 14:10発
南岩国 14:14着 14:15発
藤生 14:17着 14:18発
通津 14:22着 14:23発
由宇 14:26着 14:26発
神代 14:30着 14:31発
大畠 14:35着 14:35発
柳井港 14:39着 14:40発
柳井 14:43着 14:43発
田布施 14:48着 14:49発
岩田 14:53着 14:54発
島田 14:58着 14:59発
光 15:03着 15:03発
下松 15:08着 15:09発
櫛ヶ浜 15:13着 15:13発
徳山 15:18着 15:21発
新南陽 15:25着 15:25発
福川 15:28着 15:28発
戸田 15:32着 15:33発
富海 15:40着 15:41発
防府 15:47着 15:47発
大道 15:53着 15:53発
四辻 15:58着 15:58発
新山口 16:04着
岩国駅を出て今津川を渡ります。
南岩国駅周辺は一面蓮畑のように見えました。
ここは瀬戸内工業地域の一角。遠くに、東洋紡績岩国繊維工場が見えます。
南岩国駅から柳井港駅までは、安芸灘に沿って進みます。
大畠駅の手前で、屋代島(周防大島)を結ぶ大島大橋が見えます。この橋が架かる大畠瀬戸は最大流速10ノット(時速約18.5km)と急流であるため、橋梁は世界初となる多柱式基礎の上に連続トラスを設置する構造だそうです。
なお、この橋ができるまでは国鉄が大畠駅・小松港間に大島連絡船(大島航路)を運行していました。
柳井金魚ちょうちん祭りがちかいためか、柳井駅のホームに金魚ちょうちんが飾られていました。今からおよそ150年前に青森の「ねぶた」をヒントに作られた物だそうです。
徳山駅の一つ手前、櫛ヶ浜駅で岩徳線と合流します。
福川駅のホームには今では珍しくなった木製のベンチがありました。
富海駅に着いたところで、隣のボックスに座っていた方から声をかけられました。直江津から長崎県壱岐市に向かう途中だそうです。聞けば、呉線に乗りたくて夜行バスで京都まで出て、その後新幹線に乗り三原駅まで、そこから呉線・山陽本線と乗り継いで、新山口から再び新幹線で早岐に向かうとのことでした。
防府駅手前で周防灘とお別れです。遠くに見えるのが、大津島でしょうか。太平洋戦争末期に日本海軍の特攻兵器の一つであった人間魚雷「回天」の訓練基地があったことで有名です。
防府駅が近づくと町工場群が見えますが、ここは鐘紡町です。鐘紡町という地名は全国に何カ所かありますが全て、繊維、化粧品、薬品の「カネボウ」に関連する町工場が集まっていると聞いたことがあります。
防府駅を出て17分ほど内陸を進むと終着新山口駅に到着します。
新山口駅は平成15年10月のダイヤ改正までは小郡駅という名前でした。地元の要望に応えて、改称に関わる費用億円余りのうち半分を山口県と関係自治体が負担したことでも知られています。
ここから山陽本線を乗り継いでいくと、今日の宿泊地下関駅には1時間程でつきますが、ここから海側を通る、宇部線と小野田線を通って行くため、下関まではあと3時間ほど要します。
宇部線のホームにある駅名票は、宇部線専用の駅名票でした。
新山口 16:28発
上嘉川 16:31着 16:32発
深溝 16:36着 16:36発
周防佐山 16:39着 16:39発
岩倉 16:41着 16:42発
阿知須 16:44着 16:45発
岐波 16:48着 16:49発
丸尾 16:52着 16:53発
床波 16:57着 16:58発
常盤 17:00着 17:01発
草江 17:03着 17:04発
宇部岬 17:06着 17:09発
東新川 17:11着 17:12発
琴芝 17:13着 17:13発
宇部新川 17:16着
幹線の山陽本線から一転して、景色も代わりローカル線になりました。上嘉川駅、深溝駅、周防佐山駅、岩倉駅と田園地帯の中を進みます。
阿知須駅は、西日本最大の4コース72ホールをもつ宇部72カントリークラブの最寄り駅。もちろん列車で来る人もいないとは思います。
常磐駅の手前周防灘が再び姿を現しました。波静かなところと見えて海水浴場も開かれていました。
草江駅は1面1線のホームの停留所のような無人駅ですが、スーツケースを持ったビジネスマン3人が降りていきました。踏切を渡って真っ直ぐ先にあるのは山口宇部空港、ここから徒歩10分だそうです。
ここ草江駅から宇部岬駅、東新川駅、琴芝駅、そして下車する宇部新川駅までは、駅間が1km強で続きます。
宇部岬駅では、新山口行とすれ違いました。
小野田線の起点は一つ先の居能駅ですが、全ての列車が宇部新川駅発着になっていますから、ここで下車します。
宇部市はその名から分かるとおり、宇部興産の宇部本社や各種の工場が立地しています。
駅前を直進すると、その宇部興産本社地区があります。
改札口付近の広さから、かつては多くの通勤客で賑わったことがうかがわれます。
宇部新川 17:56発
居能 17:59着 18:00発
妻崎 18:04着 18:04発
長門長沢 18:06着 18:06発
雀田 18:09着 18:09発
小野田港 18:12着 18:13発
南小野田 18:14着 18:15発
南中川 18:17着 18:18発
目出 18:20着 18:21発
小野田 18:25着
停車中は半自動ということで、手で開け閉めします。
1両の列車の乗客のほとんどは、高校生でした。
居能駅を出ると、厚東川を渡り妻崎駅に着きます。
周防灘に爪の先のように岬が突き出ていたことから付いた地名とされる妻崎駅。沖にあった島まで開墾し陸続きとなっていて、今では想像もつきません。
雀田駅は、長門本山駅に向かう小野田線支線との分岐駅です。
向かいのホームには、1日3往復の下り最終列車が停まっていました。
小野田港駅は、軽便鉄道時代「セメント町駅」というだけあって「小野田セメント」の工場もあったようですが、今ではセメントの製造が行われていないとのことでした。
この後、南小野田駅、南中川駅、目出駅と停まり進んでいくと、右から山陽本線が迫ってくると、終着小野田駅に到着します。
今日最後の列車です。
小野田 18:38着 18:39発
厚狭 18:44着 18:45発
埴生 18:52着 18:52発
小月 18:58着 18:58発
長府 19:03着 19:03発
新下関 19:08着 19:09発
幡生 19:13着 19:13発
下関 19:18着
座って間もなく、隣のおじさんが写真を取ってあげるよと声をかけてきました。
写真を撮ってもらっている間に、新幹線と美祢線が乗り入れている厚狹駅に到着しました。
和泉式部のお墓がある埴生駅を過ぎ、木屋川を渡ると左手に日清食品下関工場が見えました。
すでに時刻は午後7時を過ぎていましたが、まだ日は沈んではいませんでした。
午後7時18分、定刻下関駅に到着しました。
明日の朝は、5時39分の列車に乗ります。せっかく下関まで来たので、ホテルの周辺を歩いてみました。
ホテルの先にあった大歳神社は、平家追討のため源義経が武運の守護神と仰ぐ富士浅間神社氏神、大歳御祖大神に祈願したことから、壇ノ浦の戦いの翌年、地元のの漁民が神祠を祀ったことが由緒とされる神社だそうです。
海峡ゆめタワーは、高さ153m、球状の展望室は143m。展望室からは瀬戸内海、関門海峡、巌流島、九州の山々が見えるそうです。夜景も楽しめるとのことでしたがガラスが曇っていてよく見えませんでした。
3日目の移動距離380.8km、乗車時間8時間16分。
つづく
広島 13:18発
横川 13:22着 13:22発
西広島 13:25着 13:25発
新井口 13:29着 13:30発
五日市 13:32着 13:33発
廿日市 13:36着 13:37発
宮内串戸 13:39着 13:39発
阿品 13:42着 13:43発
宮島口 13:45着 13:45発
前空 13:47着 13:48発
大野浦 13:51着 13:52発
玖波 13:56着 13:57発
大竹 14:01着 14:01発
和木 14:03着 14:04発
岩国 14:09着
昼食は、三原駅で購入してきた「たこめし」と広島駅で購入した「夫婦あなごめし」です。
西広島駅を過ぎると進行方向左手を、広島電鉄宮島線が宮島口駅まで並行して走ります。
海岸線を走っているのですが、家並みが続いているため一瞬だけ、日本三景二つ目、厳島(宮島)が見えました。
宮島焼は、神砂焼、御砂焼とも呼ばれる宮島の砂を粘土に混ぜて焼き上げた物をいうそうです。
玖波駅までの区間は瀬戸内海を眺めることができます。
大竹駅が、広島県最後の駅です。大竹駅を出てすぐ渡る小瀬川が、山口県との県境になります。
岩国駅で岩徳線と分かれます地図を見た分かるとおり、櫛ヶ浜駅までは山陽本線より距離が短いため、完成当時は山陽本線となり、今の山陽本線を柳井線といていました。
しかしその後、山陽本線の複線化が計画された際、岩徳線のルートが勾配やカーブが多く、欽明路トンネルをもう1本掘らなければならないことから、複線化が完了して今のように呼び名が変わりました。
岩国駅で徳山行の列車に乗り換えますが、この列車は徳山駅で列車番号が変わるだけでそのまま新山口行になります。
岩国 14:10発
南岩国 14:14着 14:15発
藤生 14:17着 14:18発
通津 14:22着 14:23発
由宇 14:26着 14:26発
神代 14:30着 14:31発
大畠 14:35着 14:35発
柳井港 14:39着 14:40発
柳井 14:43着 14:43発
田布施 14:48着 14:49発
岩田 14:53着 14:54発
島田 14:58着 14:59発
光 15:03着 15:03発
下松 15:08着 15:09発
櫛ヶ浜 15:13着 15:13発
徳山 15:18着 15:21発
新南陽 15:25着 15:25発
福川 15:28着 15:28発
戸田 15:32着 15:33発
富海 15:40着 15:41発
防府 15:47着 15:47発
大道 15:53着 15:53発
四辻 15:58着 15:58発
新山口 16:04着
岩国駅を出て今津川を渡ります。
南岩国駅周辺は一面蓮畑のように見えました。
ここは瀬戸内工業地域の一角。遠くに、東洋紡績岩国繊維工場が見えます。
南岩国駅から柳井港駅までは、安芸灘に沿って進みます。
大畠駅の手前で、屋代島(周防大島)を結ぶ大島大橋が見えます。この橋が架かる大畠瀬戸は最大流速10ノット(時速約18.5km)と急流であるため、橋梁は世界初となる多柱式基礎の上に連続トラスを設置する構造だそうです。
なお、この橋ができるまでは国鉄が大畠駅・小松港間に大島連絡船(大島航路)を運行していました。
柳井金魚ちょうちん祭りがちかいためか、柳井駅のホームに金魚ちょうちんが飾られていました。今からおよそ150年前に青森の「ねぶた」をヒントに作られた物だそうです。
徳山駅の一つ手前、櫛ヶ浜駅で岩徳線と合流します。
福川駅のホームには今では珍しくなった木製のベンチがありました。
富海駅に着いたところで、隣のボックスに座っていた方から声をかけられました。直江津から長崎県壱岐市に向かう途中だそうです。聞けば、呉線に乗りたくて夜行バスで京都まで出て、その後新幹線に乗り三原駅まで、そこから呉線・山陽本線と乗り継いで、新山口から再び新幹線で早岐に向かうとのことでした。
防府駅手前で周防灘とお別れです。遠くに見えるのが、大津島でしょうか。太平洋戦争末期に日本海軍の特攻兵器の一つであった人間魚雷「回天」の訓練基地があったことで有名です。
防府駅が近づくと町工場群が見えますが、ここは鐘紡町です。鐘紡町という地名は全国に何カ所かありますが全て、繊維、化粧品、薬品の「カネボウ」に関連する町工場が集まっていると聞いたことがあります。
防府駅を出て17分ほど内陸を進むと終着新山口駅に到着します。
新山口駅は平成15年10月のダイヤ改正までは小郡駅という名前でした。地元の要望に応えて、改称に関わる費用億円余りのうち半分を山口県と関係自治体が負担したことでも知られています。
ここから山陽本線を乗り継いでいくと、今日の宿泊地下関駅には1時間程でつきますが、ここから海側を通る、宇部線と小野田線を通って行くため、下関まではあと3時間ほど要します。
宇部線のホームにある駅名票は、宇部線専用の駅名票でした。
新山口 16:28発
上嘉川 16:31着 16:32発
深溝 16:36着 16:36発
周防佐山 16:39着 16:39発
岩倉 16:41着 16:42発
阿知須 16:44着 16:45発
岐波 16:48着 16:49発
丸尾 16:52着 16:53発
床波 16:57着 16:58発
常盤 17:00着 17:01発
草江 17:03着 17:04発
宇部岬 17:06着 17:09発
東新川 17:11着 17:12発
琴芝 17:13着 17:13発
宇部新川 17:16着
幹線の山陽本線から一転して、景色も代わりローカル線になりました。上嘉川駅、深溝駅、周防佐山駅、岩倉駅と田園地帯の中を進みます。
阿知須駅は、西日本最大の4コース72ホールをもつ宇部72カントリークラブの最寄り駅。もちろん列車で来る人もいないとは思います。
常磐駅の手前周防灘が再び姿を現しました。波静かなところと見えて海水浴場も開かれていました。
草江駅は1面1線のホームの停留所のような無人駅ですが、スーツケースを持ったビジネスマン3人が降りていきました。踏切を渡って真っ直ぐ先にあるのは山口宇部空港、ここから徒歩10分だそうです。
ここ草江駅から宇部岬駅、東新川駅、琴芝駅、そして下車する宇部新川駅までは、駅間が1km強で続きます。
宇部岬駅では、新山口行とすれ違いました。
小野田線の起点は一つ先の居能駅ですが、全ての列車が宇部新川駅発着になっていますから、ここで下車します。
宇部市はその名から分かるとおり、宇部興産の宇部本社や各種の工場が立地しています。
駅前を直進すると、その宇部興産本社地区があります。
改札口付近の広さから、かつては多くの通勤客で賑わったことがうかがわれます。
宇部新川 17:56発
居能 17:59着 18:00発
妻崎 18:04着 18:04発
長門長沢 18:06着 18:06発
雀田 18:09着 18:09発
小野田港 18:12着 18:13発
南小野田 18:14着 18:15発
南中川 18:17着 18:18発
目出 18:20着 18:21発
小野田 18:25着
停車中は半自動ということで、手で開け閉めします。
1両の列車の乗客のほとんどは、高校生でした。
居能駅を出ると、厚東川を渡り妻崎駅に着きます。
周防灘に爪の先のように岬が突き出ていたことから付いた地名とされる妻崎駅。沖にあった島まで開墾し陸続きとなっていて、今では想像もつきません。
雀田駅は、長門本山駅に向かう小野田線支線との分岐駅です。
向かいのホームには、1日3往復の下り最終列車が停まっていました。
小野田港駅は、軽便鉄道時代「セメント町駅」というだけあって「小野田セメント」の工場もあったようですが、今ではセメントの製造が行われていないとのことでした。
この後、南小野田駅、南中川駅、目出駅と停まり進んでいくと、右から山陽本線が迫ってくると、終着小野田駅に到着します。
今日最後の列車です。
小野田 18:38着 18:39発
厚狭 18:44着 18:45発
埴生 18:52着 18:52発
小月 18:58着 18:58発
長府 19:03着 19:03発
新下関 19:08着 19:09発
幡生 19:13着 19:13発
下関 19:18着
座って間もなく、隣のおじさんが写真を取ってあげるよと声をかけてきました。
写真を撮ってもらっている間に、新幹線と美祢線が乗り入れている厚狹駅に到着しました。
和泉式部のお墓がある埴生駅を過ぎ、木屋川を渡ると左手に日清食品下関工場が見えました。
すでに時刻は午後7時を過ぎていましたが、まだ日は沈んではいませんでした。
午後7時18分、定刻下関駅に到着しました。
明日の朝は、5時39分の列車に乗ります。せっかく下関まで来たので、ホテルの周辺を歩いてみました。
ホテルの先にあった大歳神社は、平家追討のため源義経が武運の守護神と仰ぐ富士浅間神社氏神、大歳御祖大神に祈願したことから、壇ノ浦の戦いの翌年、地元のの漁民が神祠を祀ったことが由緒とされる神社だそうです。
海峡ゆめタワーは、高さ153m、球状の展望室は143m。展望室からは瀬戸内海、関門海峡、巌流島、九州の山々が見えるそうです。夜景も楽しめるとのことでしたがガラスが曇っていてよく見えませんでした。
3日目の移動距離380.8km、乗車時間8時間16分。
つづく
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