4月2日は一日中快晴の予報で、調布市の深大寺・神代植物公園行きを決めました。

先ずは深大寺近くの手打ちそば屋へ。木のぬくもりのある落ち着いた店で、天ざるをいただく。深大寺そばは江戸時代からの400年の歴史があり、徳川家光が鷹狩の帰りに立ち寄り賞賛したと云われています。

深大寺水車館。
この辺は武蔵野台地の湧水の流れを利用し水車がいくつもあったそうですが、最後に残された水車を復活させた小屋がこの水車館です。
展示回廊には武蔵野台地の暮らしや水車での粉の挽き方の説明が展示されていました。

展示回廊には「武蔵野台地の湧水池分布図」(矢嶋仁吉「武蔵野の集落」(1970)より作成)がありました。武蔵野台地中央部の標高50~60m辺りには深大寺周辺の野川、仙川の湧水や井の頭池、善福寺池、三宝寺池など多くの湧水が見られ、そこを源とした川が東の方向に谷を作って流れています。
僕は幼少より青年時代まで武蔵野台地(村山、鷺宮、練馬、石神井)で過してきたので、この地図を見て故郷近くに来た懐かしさを感じました。

深大寺の門前には手打ちそば屋や甘味処などの店が軒を連ねています。鬼太郎茶屋は甘味処兼鬼太郎グッズの店です。

鬼太郎茶屋の屋根にはリモコン下駄が乗っかり、その下で目玉のおまんじゅうなどが売られています。

深大寺近くで手打ちそば屋が並ぶ風景。中央の店は昭和30年代を想い起こさせます。全部で30軒程の店があります。

深大寺に咲くシデコブシ。今まで見た中でもっとも紫色の濃い花でした。
前日に遊歩道で行き会った婦人が「深大寺のシデコブシはとてもきれいだった」と言っていたのがここに来る切っ掛けになりました。

境内には句碑・歌碑がたくさんあります。これは中村草田男の句碑。
萬緑の中や 吾子の歯 生え初むる

深大寺の釈迦堂。その後、本堂をお参りして神代植物公園へ。 (続く)

先ずは深大寺近くの手打ちそば屋へ。木のぬくもりのある落ち着いた店で、天ざるをいただく。深大寺そばは江戸時代からの400年の歴史があり、徳川家光が鷹狩の帰りに立ち寄り賞賛したと云われています。

深大寺水車館。
この辺は武蔵野台地の湧水の流れを利用し水車がいくつもあったそうですが、最後に残された水車を復活させた小屋がこの水車館です。
展示回廊には武蔵野台地の暮らしや水車での粉の挽き方の説明が展示されていました。

展示回廊には「武蔵野台地の湧水池分布図」(矢嶋仁吉「武蔵野の集落」(1970)より作成)がありました。武蔵野台地中央部の標高50~60m辺りには深大寺周辺の野川、仙川の湧水や井の頭池、善福寺池、三宝寺池など多くの湧水が見られ、そこを源とした川が東の方向に谷を作って流れています。
僕は幼少より青年時代まで武蔵野台地(村山、鷺宮、練馬、石神井)で過してきたので、この地図を見て故郷近くに来た懐かしさを感じました。

深大寺の門前には手打ちそば屋や甘味処などの店が軒を連ねています。鬼太郎茶屋は甘味処兼鬼太郎グッズの店です。

鬼太郎茶屋の屋根にはリモコン下駄が乗っかり、その下で目玉のおまんじゅうなどが売られています。

深大寺近くで手打ちそば屋が並ぶ風景。中央の店は昭和30年代を想い起こさせます。全部で30軒程の店があります。

深大寺に咲くシデコブシ。今まで見た中でもっとも紫色の濃い花でした。
前日に遊歩道で行き会った婦人が「深大寺のシデコブシはとてもきれいだった」と言っていたのがここに来る切っ掛けになりました。

境内には句碑・歌碑がたくさんあります。これは中村草田男の句碑。
萬緑の中や 吾子の歯 生え初むる

深大寺の釈迦堂。その後、本堂をお参りして神代植物公園へ。 (続く)
植物園とあるだけに広大な公園内を歩きましたが、植物の名前も書いてあって良かったです。
当時中村草田男の句碑に気がつきませんでした。
子どもの成長を喜ぶ親心がありますね。
教えていただいてありがとうございました。
当時は、深大寺そばの所まではいかなかったと思います。由緒ある門前町で良いところですね。
句碑・歌碑はあまり時間がなくてじっくりと見られませんでしたが、草田男の句碑は目に止まりました。