ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

もしもすべて自然体だとしたら?

2021-07-14 18:34:27 | エッセー

「自然体で生きる」「ありのままで生きる」それはとても良いことだと思えるが

人生100歳時代と言われる現代、もしもみんながそうであれば、世の中は随分

索漠とした風景になると思う。見た目がよくない老人が増えるしだけではなく

介護される人だらけになるだろう。毎日のように流れるテレビのコマーシャル

新聞広告、折込みチラシなどは、若さと健康と美しさに関するものばかりだ。

 つまり、すべて自然に逆らっているとも言えるが、それが人情だと思う。

何もしないで自然体でいたら、その結果は、お金と手間をかけて努力した

人のみが、若々しく見えるし、健康も保てるのは自明の理だ。

※活躍していた頃

 40歳代後半から50歳位は明らかに向老期だが、それを全然意識せず「この

ままでいいや」と、今までと同じ生活状態でいたとしたら、その結果は60歳

過ぎには、ツケになって表れる。また身体面だけでなく、精神的にもそれ

なりに努力している人は、人間としての重みが感じられる。

 大昔ある講演会で「その道で成功している人は、必ず人知れず努力をして

いる。白鳥は水面を滑るように泳いでいるが、見えない水の中では必死に

足を動かしているように」と聞いたことを思い出した。

 

 私は仕事が大好きでいつも努力していて、色々な意味で満足した人生を

送れるはずだった。でも、私の人生の設計は、想像できないほど大きく

変わった。その一つは夫が認知症になり、その介護のために、私のエネルギー

のかなりをそれに当てなければならないことだった。

 それ以来その介護のため、絶えずアンテナを張り、最新の情報をキャッチし

それらを元に自分なりに考え実行している。その努力の成果は自他共にも

十分感じられるから、大変遣り甲斐がある。能力はないが、努力を継続

できる人間だと思っているが、やはり自然体でいたら、もうとうにこの世

にはいないと思う。でも、まだ夢追うのは困ったものだが、心の中で

「ラストステージのためにがんばって!」とささやくのだから、もうしばらく

努力しようと思っている。時にはやり過ぎもありますが・・・

 

 

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いい歳をして運動のやり過ぎなんて!

2021-07-14 15:31:11 | エッセー

 昨日は下北沢にある菩提寺に、お盆の供養の会に参加したが、本堂で

座っているとき「腰が痛い、何故だろう」と思った。

 今朝起きたらもっと痛かったので、朝のオンザベッドレッスンは精神面

だけにした。私は長年何もしない日など一日もないが、考えたら最近その

やり方を一部変えて毛細血管法にしていた。

それはあおむけに寝て、手足をまっすぐ上に上げてブラブラと動かす方法だが

 以前やっていたが最近しばらくぶりなので、100回位から始めるつもり

だった。でも意外と簡単で、気づいたら毎日500回以上ずっと続けていた

ので「もしかしたら、そのために腰が痛いのかも」と気づいた。

※これがその方法

 そして我が家の前にある長年お世話になっている治療院で、先生に事情を話し

たら、「多分そのため、筋肉を傷めたのでしょう」と言われて、1時間の治療を

何年かぶりで受けた。80歳までは定期的に治療を受けていたが、あまり指導も

しなくなったし、ある程度自分の体はコントロールできる、40年以上定期的に

続けた治療は一切止めた。先生は大変研究熱心で、何時も一度行くと痛みは

すぐに良くなったが、果たして今回はどうだろう?

 今日から3日間は絶対に運動はしないと、心に決めたが、この年齢で運動

のやり過ぎなんてと、バカみたいと少々呆れた。

 

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