先日ダンススタジオの元スタッフから「フレーヴォ・カポエイラ・パッソ」
というダンスに関する学術的な立派な本が送られてきた。
その数日前に急に彼を思い出して懐かしくなり、ブログ投稿記事を付け
て手紙を出したので、そのお礼かとも感じた。「謹呈 小池能里子先生」と
伏せんがついていて、ブラジルの作者の専門的な翻訳本だった。
「彼はやっぱり優秀だな」と驚いてしまった。現在T君は
東京学芸大学教育学部教授で、博士(スポーツ科学)だ。
アシスタントだった彼が、得意で好きなダンスを専門的に研究し
大学教授になったとき、私はとても嬉しく、また大変誇らしかった。
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T君がダンススタジオへ入ったのは、デイスコダンスが大流行の頃
まだ大学生だったが、ダンスは抜群だと感じ採用した。
後で聞いたらディスコダンス大会で優勝したそうで、まじめで教え方も
上手だったが、娘も大学生でアルバイトで教えていて、同じ年だったので
仲良しだった。ダンススタジオはいつも盛況で、ディスコを教える若い
スタッフが数人いて、ダンスパーティーの日は、梅丘北口前にあった
「梅丘ヨーガ教室」に全員が泊まった。それもみんながとても楽しそう
だったが、朝になると自宅までご飯を食べに来て、ワイワイがやがやと
賑やかでよく食べてくれ、私達も本当に楽しかった。
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それ以来頻繁ではないが、交流は続いているが、手紙は手書きで
懐かしい文字だった、昨年と今年と続けてご両親が亡くなったそうだが
私達と同世代だったはずだ。手紙には「私の頭の中の小池先生は、40年
以上前に能里ダンススタジオでお会いした頃の小池先生なのです」
まだ彼の頭の中の私は、現役のダンス教師なのだと嬉しくなった。
「定年退職まで残り1年半余り、授業では学生達とと踊っていますが
体が言うことを聞いてくれません」、さらにぜひお会いしたいので、梅丘へ
お伺いしたいと書いてあった。懐かしい昔を思い出して、気持ちがふんわり
とほぐれた。娘も呼んでT君の最新の情報も聞きたいし、我が家で手料理
をいろいろご馳走したい。「また楽しいことができたな」と、すっかり
ご機嫌になって、すぐに返事を出すつもりでいる。