ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

私の宝物 献血手帳

2023-08-18 06:20:13 | エッセー
私の宝物 献血手帳
 心の宝石箱を出して見ていたら、献血手帳が出てきた。献血を始めたのは
40歳代でだった。その時代はすでに大変忙しかったが、時代が追い風
となり仕事はあまりにも好調だった。(これほど運が良いのは、きっと
何方かが導いて下さるに違いない)と思い、幸運や健康を感謝して、自分
の体でお役に立てる献血をするようになった。実は私は先端恐怖症のため
生まれてから一度も注射を見たことがないので、本当はとても怖かった。
 でも、勇気を出して初めて行ったのは、その頃渋谷の日赤病院にあった
献血センターだった。
※献血手帳

 それから定期的にするようになり、勧められて献血登録もした。
もともと低血圧気味だったが、日赤から献血の緊急依頼があり、急いで
駆け付けたが血圧が低かった。すると先生が「お腹空いているのではあ
りませんか?売店でパンを買って、必ず牛乳も飲んでから、もう一度来て
下さい」と言われた。牛乳は嫌いだけど、せっかく来たのだからと、売店
で買って食べてからもう一度行ったら、血圧が献血できる数値にまで
上がり、献血ができたこともあった。1度だけ400CC献血をしたし
成分献血も何度かしたが、全部200ccで計算すると167回なので
33.400リットルになるようだ。それだけ自分の体の中の血液は人様のお役
に立っていたのだと、嬉しかったし、また誇らしかった。
 献血の制度が変わり、私は帝王切開で出産したので、ただ一度だけ輸血
したのでそれ以来できなくなったが、それは大変残念だった。
※右150回目 左50回目の功労賞

 何度か表彰され、確か100回目でパーティにも招待され、どんな
人達が献血しているのだろうと、興味本位で出席したこともあった。
 これを書きながら、有楽町の交通会館にある献血センターへ行って
帰りは必ず親友と待ち合わせ、銀座で食事をしたり、有楽町マリオンで
映画を見たりし楽しかったことを、懐かしく思い出した。
 その親友は亡くなってから10年近いが、月日の流れは恐ろしいように
早かったが、そんな昔もあったのだと、しみじみ眺めていたが、ご紹介
した今朝でした。
コメント
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