ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

ちょっと面白かったこと 

2024-01-10 16:35:32 | エッセー
 人並なことだけでは加齢現象は防げないが、私は隙間時間を有効に
使うのが得意だ。電車で買い物に行く時はできるだけ、駅の階段を上
るようにしている。電車が行ったばかりなので、ホームには誰もいない。
 電車が来るまで後10分ある、昔羽根木公園でよくやったバックウオーク
をした。何年ぶりかなのに、全く怖くなく、かなりのスピードで歩いたが
なんだか嬉しくなったが、人が増えてきたので止めた。

 最近身体的な衰えを感じるのは、足の疲れを感じるからだ。
9センチのダンスシューズで、何時間ダンスを教えても全く疲れなかった
のに・・・このところ身体的老化と、精神的な老化が加速している。
 忘れると言うより、日常使う単語がすぐに出てこない。
「人の時間を奪うのは罪悪に等しい」価値観なので、より一層注意している。
でも、梅丘駅のホームを「ちょっと運動場」にできたのは、楽しかった。
 後で考えたら、反対のホームには人がいたのに、変なことしていると
思われたかも知れないが、まっいいか!

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心と年齢とのアンバランス

2024-01-10 10:11:58 | エッセー
 目覚めたのは3時半それからどうしても眠れず、いろいろ考えてしまった。
長い人生を振り返っても、想定外だった平凡ではない生活だった、でも
少女時代はそんな兆しはなかった。自分の本質に目覚めたのは、子育てを
していた20歳代後半頃からかも知れない。私は「早く30歳になりたかった」
すると子供達から少し手が離れ、「自分の求める何かに邁進できる」ので
はないかと、思ったからだ。でも,それを待ちきれず、夫をそそのかして
28歳で再びソシアルダンスを始めた。競技ダンスを踊り、結果ソシアルダンス教師試験を受け、公認の社交ダンス教師の資格を取得。
 それから、私の人生はガラリと変わった
 長年大家族の軋轢に耐えていた私が、夫の許可を得て行動を起こし
それからはまるで走っているような毎日の連続だった。
でも、家族の目を気にせず行動できるのが楽しくて仕方なかった。
ダンスを教えながら色々なことを研鑽し、どんなに忙しくても、食事は決して手抜きせはしなかった。すると、次から次へと私のフィールドは広がって
いった。40歳代の初めには、あまりの激しさに、「自分の情熱のブラック
ホールに吸い込まれるような恐怖感」さえ感じた
 
年齢と共に激しい情熱はなくなったが、その時代とあまり変化がない自分
がまだ存在している。末期高齢者で、社会的には衰退しているのに、未だ
に衰えない向上心は、一体何故なのか不思議でならない。
 年齢相応に体力や記憶力は衰えたが、過去に培った能力は落ちている
とは思えない。同世代前後の作家の著書を読んで感じるのは、その
「精神性」の違いだ。心の中で様々な感情が交差する今。
いつも自分に言い聞かせる「現在の私は夫の介護が最優先だから」と・・・
 でも、ホンネは何歳になっても心燃やして生きたい、本当に困った
自分である。
 
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