ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

老婆心の使い方改めて確認して

2018-10-08 23:27:39 | エッセー
老婆心の使い方改めて確認して
 ベッドに入ってから今日友人の長電話で「私達もう老婆なのよね。でも、また
一段落したら、また外国へ行きたいね」と言う言葉を思い出した。
 どう考えても今は死語に近くなったが、年齢的は老婆に違いないと思った。
そんなことを考えていたら、急に「老婆心」が気になり、飛び起きてパソコンのスイッチ
を入れ、辞書を調べた。立ち上がったパソコンで検索してみたら、「老婆と言うのは
誰が見ても年を取っている女性」だったが、老婆心と言う意味は「必要以上に世話を焼く」
「度を超してあれこれ面倒をみる」意味で、女性は年とともに心配性になる、その気持ち
がこの言葉の語源のようだ。

また、他人に対して「老婆心ながら」と言えるのは、アドバイスする人より年長で
経験豊かな人が、謙遜したり、へりくだって使う言葉だそうだ。
 また老婆心だから、男性は使えないと思っている人もあるようだが、これは性別に
関係なく使える。それは、「念のため」「余計なお世話だと思うが」「お節介は分って
いるけれど」などなどの意味だ。でも自分より年長に人には使えないので、その場合は
「僭越ですが」「少々おこがましいのですが」などが、それに代わる言葉だ。
 しかし言葉は本当に面白い。私は辞書を引くのが大好きで、電子辞書もあるが、やっぱ
り紙をめくるのが好きだ。でもこの頃ネットで調べることが多くなったが、でもすべてが
真実ではないようで「玉石混淆」で、それ文章にしたり、人前で話す時には、鵜呑みに
せず必ず他のもので調べることにしている。

 それにしても・・・自分にはほとんど「老婆心がない」ことに気づいたが、年長な
だけで偉い訳でもないのに、お説教やお節介をする人もいるが、それは言われた人が
多分不快に感じるのではないだろうか?私は聞かれれば丁寧に答えるが、他人に「私は
こう思う」とか「こうすべき」など、言ったことは只の一度もない。
 ついでだから申し上げますが、その反対語は「無関心」「無頓着」「おかまいなし」
「放任」だそうだけど。それを書きながら、それってちょっと極端過ぎないかしらと感じた。
これを書いていたら1130分時半、明日の分早いけど投稿する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり努力しかない

2018-10-08 08:12:07 | エッセー
  昨夜もその前々夜も夜中に目が覚めて眠れなかったが、その間何とトイレへ
5回も行った。今朝「それはもしかしたら?」と突然気づいて、「これはあれの
使い過ぎで神経が可笑しくなったのかも、でもまさか」と思った。
 そのために質問メールをした。その器具は1年前以上に先生がプレゼントして
下さったが、見かけより高価なもので、「ホットブルーン」と言う、バイブレーション
が付いた小さな温灸器だった。せっかく頂いたが、私は肩こりや腰痛など、体のどの部分
も全く気にならないので、しばらくそのままにしていた。
 でもこれは振動のある温灸なので、体に当てれば、必ず血液循環も、リンパの流れも
良くなると素人判断して、それからは毎日休みなく使い続けた。

 すると先生からすぐ電話があり「生理学的にも、刺激のし過ぎは自律神経が乱れ
神経が昂ぶる、そのために眠れなかったり、トイレが近くなったりしたのだよ」と
説明された。私は一応生理学、大脳生理学などを勉強したので、多少の知識はあ
るので「やっぱり、そうだったのだ」と、大変よく理解できた。
 何でも一所懸命になるのがクセで、それも「これ絶対に良いはず」と信じていた
のが、実はいけなかったようだ。「ホットブルーン」は、大きな器具ではなく、片手
で持てる軽く使いやすいもので甘く見たようだ。

 昔は美容のために、ヴァイブレーター、マッサージ器、また体のためにはベルト
マッサージャー、その他いろいろな器具を使ったことがあったが、でも、やはり
あまり良くないと判断して、全部廃棄したのに・・・
 また同じようなことをくり返した愚かな私。お肌も、体も、自分でやるのが
一番、そんなイージーなものではない、「お手入れ」とも言うが、若さと健康を
保つのは、やはり努力が一番、と、またまた反省しきりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とても大切な相棒

2018-10-07 09:41:25 | エッセー
 日差しがとても強くて暑かったが、洗濯を沢山干していてふと気づいた。
それは「いつもじめじめしているまな板を日光に当てよう」と思って、急いでクレンザー
で磨いてベランダに干した。これは一昨年の梅まつりに駅のコンコースに出た売店
で買ったが、桐の木なのでとても軽い。いつもPCの重たいまな板を使っていたが、力が
ないので両手で出して使っていた。桐のまな板は嘘のように軽く、とても使い勝手が
よかった。長年のくせでつい両手を出しては、自分で笑っていた。

※お昼はカレーライス

明るい日差しでよく見ると傷だらけだ。実は今年また売店で買うつもりだったが
まだ大丈夫だったので、来年の梅まつりまで使うつもりだ。
 大きさも手ごろで、料理好きの私が毎日使っているが、このまな板からいろいろな
お料理ができる。水分がすっかりなくなったまな板は、より軽くなったような気がした。
 私は何だかとても愛しくなり、胸に抱えてキッチンまで運んだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現実を踏まえて

2018-10-06 05:01:48 | エッセー
 秋は日に日には深まって行く。今ベランダに出たら外は真っ暗で、空には
明けの明星が輝いていた。11月生まれの私は、来月はまた年齢を重ねる。
いつも現在に生きていると思っていたが、さんざん自問自答しながら、実は
そうでないことに気づいた。今でも、その残像を私は引きずっていたのだ。
 厳しい現実に直面しながらも、今を生きているつもりだったが・・・
真夜中にいろいろ考え、自分に期限を定めた。もしもその期限が過ぎても自分が
望んだ発展がなかったら潔く諦めようと・・・
 これはもっと若い世代の発想かも知れないが、価値感や考え方が、自分の年齢と
比例しないからかも知れない。
 「いつまで夢を持ち続けるのはよそう」、そう割り切ったら肩の力が抜けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これ一生の不作

2018-10-05 08:07:56 | エッセー
 子供の頃から整理整頓が苦手で、いつも母親に叱られていたが、それはこの
年齢になっても変わらない。汚いのは嫌いだが、自分で納得ができるまで、キチン
ときれいに片づけられたことが全くないのは、本当に情けないと思う。
 海外旅行へ一緒に行った友人達に「よくそんなに散らかせるわね」と、よく
笑われた。でも、相手に迷惑をかけない自分のエリアだけだったが・・・
 
もしも夫が口うるさかったり、きれい好き過ぎる人だったら、いつも文句を言われた
だろう。でも、夫は過去に只の一度も、文句を言ったことはなく、いつも心の中で
私は感謝していた。家に30年間以上来ていたお手伝いさんが、やはり私と同じタイプ
だった。彼女は家政婦協会から来た人だったが、主婦のため毎日は来られず、その間
何人かの家政婦さんが来た。約10年間通ってくれたKさんは、凄く整理整頓や掃除
が上手で、Kさんが来ると家の中がサッと変わり、本当に感心させられ驚くほどだった。
私は30年以上料理と買い物以外は、全然しなかったけど、今はすべての家事は一人
でやっているが、主婦業はとても大変だと思う。

あんな達人にはなれなくても、せめてふつうの人並でよいが、これって死ぬまで
変わらないのかしら?でも、お掃除は苦手だが、料理、食器洗い、鍋磨きなどは大好
きで、飽きずにいつまでできる。それなのに、お掃除をすると、普段は全く痛く
ないのに、すぐに腰が痛くなるのは何故だろう?でも雑巾がけは大好きだ。
妻には「掃除型女房」と「料理型女房」あるそうだが、私は完全に料理型女房で
夫はその方が幸せらしい。でも、散らかし魔の私は、せめて、もう少し整理や整頓
が上手になりたいといつも思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする