ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

新宿歌舞伎町には思い出があり過ぎて

2020-03-09 06:55:50 | エッセー

 久しぶりに歌舞伎町界隈を歩いたせいか、色々なこと思い出したためか、昔の夢を

見た。毎日必ず夢を見るが、何故か現在の年齢ではなく、もっとずっと若い昔の自分

なのは何故かしら不思議でならない。大きな思い出は3つある。

 23歳と26歳の私達はコマ劇場の前で、真剣にジャンケンをしていた。それは西部劇を見るか

「裸の大将 山下清画伯」でその頃評判だった映画を見るかで。日本映画など滅多に見ないが

私はそれをどうしても見たかった。娘を身ごもっていた5月頃、爽やかな風が吹いていた、私は

花柄の妊婦服を着ていた。結局私は勝って「裸の大将」を見たが、それは本当に面白かった。

 二つ目は結婚15年目の記念日、コマダンスホールでのこと。二人で乾杯した後夫が

こう言った。「絶対に悪妻になると分かっていたけど、どうしても結婚したかった

でも、まさかこんな良い女房になるなんて思わなかったよ」と・・・

 私自身もこれ程家庭的な女になるとは思わなかった、何故なら若い頃はかなり

派手で目立つ方だったから。夫は地味な女性はタイプではなく、私は彼がもっとも

好むタイプだったようだ。そのため散々夫を振り回したけど。

 子供達が幼い頃に、継母が「もしかしたらガンかも知れない」と、兄に言われ背筋が寒くなった。

大久保病院へ入院した継母を毎日見舞ったが、夜しか見ていない歌舞伎町界隈を通って、病院へ

行ったが、昼間はこんな感じなのだと改めて感じたこと。でも継母はガンではなく、およそ1週間で

退院したが、毎日通ったのも忘れない。およそ60年ほど前からのことでも、そのイメージは私の脳裏

にハッキリ焼き付いている。それにしても神経が細い私がこの年齢まで生きているのは、ヨーガと

心理学などを学習したためだと思う。真面目だけど、ちょっと悪女タイプだった私。夫と結婚して性格

までかなり変化したのは、ベストパートナーだったかも知れない。それにしても・・・

月日の流れは恐ろしいように早いが、人間はこれほど変れるし、変わったからこそ、平和な毎日を

過ごせるのかも知れないと痛感した今朝だった。(これ書き上げたの僅か20分、早いでしょ!)

コメント
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