御馬場曲輪から南へ進むと、かなり広いエリアへと到着した。ここが岱崎出丸、別名 岱崎城の中枢部だ。
途中で見てきた御馬場曲輪や、南端に位置する すり鉢曲輪までを含めた総面積は2万400㎡。南北に長い
曲輪で、西側には土塁が積まれ沼津方面を一望できる。迫りくる豊臣軍を警戒する最重要点だったのだろう。
![岱崎出丸説明](http://art4.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/203562855.v1399902936.jpg)
この出丸の守備を任されたのは北条軍の副将 間宮豊前守康俊。豊臣軍7万の前に討死した。
西側の土塁には、2ヶ所ほど見張り台が設けられている。南側、出丸先端に位置する見張り台は
すり鉢曲輪見張台と呼ばれ、三島・沼津方面から韮山城までが見渡せられるように工夫がなされた。
![山中城跡一ノ堀](http://art5.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/203562903.v1399902936.jpg)
展望台の真下には南北に長い堀が設けられている。これが、一ノ堀だ。
標高550mほどの見張台から眺めるパノラマの景色。晴れていれば正面に愛鷹山と富士山が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7d/018495ce32385cec10ee0364f204863d.jpg)
![岱崎出丸から眺める富士山](http://art4.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/203562948.v1399902936.jpg)
温暖化の影響からか今冬は富士山の雪も少なく、とくに宝永山付近の禿げが目立つ。
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途中で見てきた御馬場曲輪や、南端に位置する すり鉢曲輪までを含めた総面積は2万400㎡。南北に長い
曲輪で、西側には土塁が積まれ沼津方面を一望できる。迫りくる豊臣軍を警戒する最重要点だったのだろう。
![岱崎出丸](http://art2.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/203562829.v1399902936.jpg)
![岱崎出丸説明](http://art4.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/203562855.v1399902936.jpg)
この出丸の守備を任されたのは北条軍の副将 間宮豊前守康俊。豊臣軍7万の前に討死した。
西側の土塁には、2ヶ所ほど見張り台が設けられている。南側、出丸先端に位置する見張り台は
すり鉢曲輪見張台と呼ばれ、三島・沼津方面から韮山城までが見渡せられるように工夫がなされた。
![山中城跡一ノ堀](http://art8.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/203562875.v1399902936.jpg)
![山中城跡一ノ堀](http://art5.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/203562903.v1399902936.jpg)
展望台の真下には南北に長い堀が設けられている。これが、一ノ堀だ。
標高550mほどの見張台から眺めるパノラマの景色。晴れていれば正面に愛鷹山と富士山が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/7d/018495ce32385cec10ee0364f204863d.jpg)
![岱崎出丸から眺める景色](http://art3.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/203562929.v1399902936.jpg)
![岱崎出丸から眺める富士山](http://art4.photozou.jp/pub/351/1746351/photo/203562948.v1399902936.jpg)
温暖化の影響からか今冬は富士山の雪も少なく、とくに宝永山付近の禿げが目立つ。
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