3月10日俳優座劇場で、J.B.プリーストリー作「夜の来訪者」を見た(脚本:八木柊一郎、演出:西川信廣)。
1940年(昭和15年)の春。娘の婚約者を迎え、一家団欒の夜を過ごす倉持家。そこに影山と名乗る警部(瀬戸口郁)が突然訪れる。影山はある女の死を告げ、
家族に質問を重ねていく。
初めに倉持幸之助(柴田義之)。企業の経営者である彼は、かつていわれのない理由で彼女を解雇していた。次に娘の沙千子(尾身美詞)、婚約者の黒須(脇田康弘)、
母親のゆき(古坂るみ子)、そして息子の浩一郎(深堀啓太朗)と・・・彼女はなぜ死んだのか?!
疑問を投げかけ影山は去るが、残された家族のドラマはそこから始まるのだった・・・(チラシより)。
1945年ロンドンで初演された社会派ミステリーの傑作。
ネタバレあります。注意!
影山によって次第に明かされる真実に、一家は戦慄する。
父親ばかりか娘も、その婚約者も息子も母親も、何と全員が、哀れな女の運命の転落に深く関わっていたのだった。
死んだ女は美しいばかりでなく、まっすぐな気性の持ち主だったようだ。浩一郎のくれる金が会社から盗んだものだと知ると、受け取ることを拒むだけでなく、
部屋に入れてもくれなくなった。その時彼の子を宿していたというのに。その結果、当然ながら困窮し、婦人慈善協会に助けを求めたが・・・。
あとになって皆が気がついたように、警部は死んだ女の写真を一人ずつ別々に、他の人から隠すようにして見せていた。
つまりそれが同一人物でない可能性もあるわけだ。
警察手帳も見せなかったし、娘の婚約者には写真を見せず、女の偽名を言うだけだった。
このことをどう解釈したらいいのか。謎は謎のまま残る。
初めはギスギスしていた姉と弟の関係は、この衝撃的な出来事の後、互いの心の傷を理解し合い、温かいものへと変わっている。
すべてを穏便に済ませようとする他の3人と対立する形で。
この作品は、2009年2月に紀伊國屋ホールで見たことがある。
演出は段田安則。高橋克実、渡辺えり、段田安則、岡本健一、梅沢昌代、八嶋智人ら、そうそうたる座組だった。その時のチラシには、はっきり「翻案」とあり、
それぞれの役名も今回とは違う。
内村直也氏による翻案で、舞台を1972年(昭和47年)の日本に置き換えたものだった。
今回の演出家によると、作者は冒頭のト書きで「時は1912年春」とはっきり指定しているという。
そのため、初演時(1945年)の現代ではなく、今回、脚本家はその少し前の1940年(昭和15年)に設定した由。
今回も、脚本家の名前はあるが、やはり「翻案」と書いた方がいいのではないだろうか。国も時代設定も原作とは全然違うのだから。
役者はみなピッタリ。
母親役の古坂るみ子は堂々と尊大な奥様を演じるが、少々オーバーかも。
「アカ」とか「曖昧宿」とか若い人にわかるだろうか。
劇団チョコレートケーキみたいに「用語解説」が必要かも。
ラストのひとひねりが効いている。
死んだ女は、影山がこの家を訪問した時点では、まだ死んではいなかった。影山は未来に起きることを伝えにやって来たのだった。
時間を超えてやって来た彼は、ただの怪しい男ではない。超自然的な存在だ。
よくできた戯曲だと思う。
1940年(昭和15年)の春。娘の婚約者を迎え、一家団欒の夜を過ごす倉持家。そこに影山と名乗る警部(瀬戸口郁)が突然訪れる。影山はある女の死を告げ、
家族に質問を重ねていく。
初めに倉持幸之助(柴田義之)。企業の経営者である彼は、かつていわれのない理由で彼女を解雇していた。次に娘の沙千子(尾身美詞)、婚約者の黒須(脇田康弘)、
母親のゆき(古坂るみ子)、そして息子の浩一郎(深堀啓太朗)と・・・彼女はなぜ死んだのか?!
疑問を投げかけ影山は去るが、残された家族のドラマはそこから始まるのだった・・・(チラシより)。
1945年ロンドンで初演された社会派ミステリーの傑作。
ネタバレあります。注意!
影山によって次第に明かされる真実に、一家は戦慄する。
父親ばかりか娘も、その婚約者も息子も母親も、何と全員が、哀れな女の運命の転落に深く関わっていたのだった。
死んだ女は美しいばかりでなく、まっすぐな気性の持ち主だったようだ。浩一郎のくれる金が会社から盗んだものだと知ると、受け取ることを拒むだけでなく、
部屋に入れてもくれなくなった。その時彼の子を宿していたというのに。その結果、当然ながら困窮し、婦人慈善協会に助けを求めたが・・・。
あとになって皆が気がついたように、警部は死んだ女の写真を一人ずつ別々に、他の人から隠すようにして見せていた。
つまりそれが同一人物でない可能性もあるわけだ。
警察手帳も見せなかったし、娘の婚約者には写真を見せず、女の偽名を言うだけだった。
このことをどう解釈したらいいのか。謎は謎のまま残る。
初めはギスギスしていた姉と弟の関係は、この衝撃的な出来事の後、互いの心の傷を理解し合い、温かいものへと変わっている。
すべてを穏便に済ませようとする他の3人と対立する形で。
この作品は、2009年2月に紀伊國屋ホールで見たことがある。
演出は段田安則。高橋克実、渡辺えり、段田安則、岡本健一、梅沢昌代、八嶋智人ら、そうそうたる座組だった。その時のチラシには、はっきり「翻案」とあり、
それぞれの役名も今回とは違う。
内村直也氏による翻案で、舞台を1972年(昭和47年)の日本に置き換えたものだった。
今回の演出家によると、作者は冒頭のト書きで「時は1912年春」とはっきり指定しているという。
そのため、初演時(1945年)の現代ではなく、今回、脚本家はその少し前の1940年(昭和15年)に設定した由。
今回も、脚本家の名前はあるが、やはり「翻案」と書いた方がいいのではないだろうか。国も時代設定も原作とは全然違うのだから。
役者はみなピッタリ。
母親役の古坂るみ子は堂々と尊大な奥様を演じるが、少々オーバーかも。
「アカ」とか「曖昧宿」とか若い人にわかるだろうか。
劇団チョコレートケーキみたいに「用語解説」が必要かも。
ラストのひとひねりが効いている。
死んだ女は、影山がこの家を訪問した時点では、まだ死んではいなかった。影山は未来に起きることを伝えにやって来たのだった。
時間を超えてやって来た彼は、ただの怪しい男ではない。超自然的な存在だ。
よくできた戯曲だと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます