11月21日芝居砦 満点星で、シェイクスピア作「マクベス」をみた(新宿梁山泊公演、演出:金守珍)。
スコットランドの将軍マクベスは王の忠実な臣下だったが、魔女の予言を聞いて野望が目覚め、勝気な妻と共に王を暗殺する。うまく国王となるが、
その後も地位を守るために悪事を重ねることとなり、人心は離れてゆき、あれほど強力な同志だった妻も罪の重荷に耐えかねて・・・。
一人の魔女の背中から仲間の魔女たちが蜘蛛の巣のようなものを取り出し、それを舞台中央に張った赤い糸に張り付ける。そこにマクベスが
引っかかる。こういうところは面白い。
セリフ(小田島雄志訳)の順番を変えている。
たとえば、バンクォーの「何をそんなに驚いている?」は、マクベスが魔女たちの予言を聞いた直後に発するから面白いのであって、彼が蜘蛛の巣
に引っかかった時に言ったってしょうがない。
「あの女の亭主はアレッポに行っている」というセリフの後、他の魔女たちがすかさず「シリアの?」と口を挟む。なるほど。
ダンカン王の役は、老人っぽく動きが鈍くなくてはいけない。そしてもっと大事なのは温和で柔和で部下に対してやさしく、皆に愛されて
いるという雰囲気があること。でないと、王を殺す前にマクベスがあれほど躊躇するのが説得力に欠けてしまう。
マクベス夫人は声が大き過ぎてニュアンスに乏しく品がない。
王殺しの後、次のシーンで何の説明もなくマクベスが王座に着いているのはいけない。王子じゃないんだし、どうして彼が王に選ばれたのか説明
しないと。ちゃんとそういうセリフが書かれているのだから、それをカットするのはよくない。
暗殺者たちは手枷にかけられたまま登場。動物のような奇妙な声を発する。奇怪な演出。
マクダフ夫人は赤ん坊のおむつを替えている。すると男の子だったらしく、赤子が放物線を描いておしっこする!あらあら、と笑いながらその辺を
拭き拭きする夫人。奥方なのにそんなことまで自分でするのか?侍女はいないのか?というか、そもそもこのシーンに赤ん坊がいるのは初めて見た。
マクベスの残虐さを強調するためか?
バーナムの森のシーンは何かの映像をとってきて背景のスクリーンに映し出す。そりゃそうだ。あの狭い空間では他に方法はない。
その時紗幕の後ろに死者たちが現れる。ダンカン王、バンクォー、マクダフ夫人とその息子、つまりマクベスに殺された人々の亡霊がじっと
舞台を見ている。
マクベス夫人の狂気が唐突に感じられる。どこかカットし過ぎたせいかと思ったが、そうではなかった。もっと深い、別のところにその原因が
あるようだ。
マクベス役の申大樹は熱演。この役には少々若過ぎるが、今後が楽しみな役者だ。
ただ、マクベスは前半はごく普通に人間的だが、後半では開き直って恐怖を隠し、自分を欺いて強がっていて、どんどん後戻りできないところに
追い詰められているのだ。そこをもう少し表現してほしい。
イングランドに渡った王子マルカムと彼を訪ねて行ったマクダフは、何と剣で戦っている!これも珍しい。
普通このシーンは、マクダフの本心を疑う王子が彼を試そうと、女たらしで政治にはまるで関心がないふりをしたりするが。
マクベス夫人の「地獄は暗い」というセリフがある。
このセリフは他の話の間に突然出てくるが、この時、彼女は狂ってはいても、支離滅裂なことを口走っているのではない。
彼女は夫が自分の手を離れてどんどん悪事の深みにはまり、罪もない女子供まで殺したことを知って、自分たちが地獄落ちだと悟った。
そしてそのことに耐え切れずに発狂したのだ。
つまりここでの「地獄・・・」は自分がそのうち必ず落ちねばならぬ所として口にしているのだ。
決してワルらしく、他人をそこに落としてやろうとか思っているのではない。だから笑いながら言うことなどあり得ない。他ならぬ自分自身
の運命だと思っているのだから、最高度の恐怖心と絶望から身を震わせながら言うべきだ。
ああ、どうしよう、もう今となってはどうしようもない、やってしまったことはもう取り返しがつかない・・・。
だからこそ彼女は真夜中に、手についてとれないと思い込んだ罪の血を洗い落とそうと必死なのであり、見ている我々も、その絶望に胸が
締めつけられるのだ。
今回のマクベス夫人は終始元気一杯。前半は夫を叱咤激励し、後半は狂って歩き回りながらも夫を叱咤し続ける。彼女は絶望していない。
音楽はアランフェス協奏曲ばかり。いつでもどこでもしつこく流れる。しかも音量がでかい。はっきり言って邪魔。
スコットランドの将軍マクベスは王の忠実な臣下だったが、魔女の予言を聞いて野望が目覚め、勝気な妻と共に王を暗殺する。うまく国王となるが、
その後も地位を守るために悪事を重ねることとなり、人心は離れてゆき、あれほど強力な同志だった妻も罪の重荷に耐えかねて・・・。
一人の魔女の背中から仲間の魔女たちが蜘蛛の巣のようなものを取り出し、それを舞台中央に張った赤い糸に張り付ける。そこにマクベスが
引っかかる。こういうところは面白い。
セリフ(小田島雄志訳)の順番を変えている。
たとえば、バンクォーの「何をそんなに驚いている?」は、マクベスが魔女たちの予言を聞いた直後に発するから面白いのであって、彼が蜘蛛の巣
に引っかかった時に言ったってしょうがない。
「あの女の亭主はアレッポに行っている」というセリフの後、他の魔女たちがすかさず「シリアの?」と口を挟む。なるほど。
ダンカン王の役は、老人っぽく動きが鈍くなくてはいけない。そしてもっと大事なのは温和で柔和で部下に対してやさしく、皆に愛されて
いるという雰囲気があること。でないと、王を殺す前にマクベスがあれほど躊躇するのが説得力に欠けてしまう。
マクベス夫人は声が大き過ぎてニュアンスに乏しく品がない。
王殺しの後、次のシーンで何の説明もなくマクベスが王座に着いているのはいけない。王子じゃないんだし、どうして彼が王に選ばれたのか説明
しないと。ちゃんとそういうセリフが書かれているのだから、それをカットするのはよくない。
暗殺者たちは手枷にかけられたまま登場。動物のような奇妙な声を発する。奇怪な演出。
マクダフ夫人は赤ん坊のおむつを替えている。すると男の子だったらしく、赤子が放物線を描いておしっこする!あらあら、と笑いながらその辺を
拭き拭きする夫人。奥方なのにそんなことまで自分でするのか?侍女はいないのか?というか、そもそもこのシーンに赤ん坊がいるのは初めて見た。
マクベスの残虐さを強調するためか?
バーナムの森のシーンは何かの映像をとってきて背景のスクリーンに映し出す。そりゃそうだ。あの狭い空間では他に方法はない。
その時紗幕の後ろに死者たちが現れる。ダンカン王、バンクォー、マクダフ夫人とその息子、つまりマクベスに殺された人々の亡霊がじっと
舞台を見ている。
マクベス夫人の狂気が唐突に感じられる。どこかカットし過ぎたせいかと思ったが、そうではなかった。もっと深い、別のところにその原因が
あるようだ。
マクベス役の申大樹は熱演。この役には少々若過ぎるが、今後が楽しみな役者だ。
ただ、マクベスは前半はごく普通に人間的だが、後半では開き直って恐怖を隠し、自分を欺いて強がっていて、どんどん後戻りできないところに
追い詰められているのだ。そこをもう少し表現してほしい。
イングランドに渡った王子マルカムと彼を訪ねて行ったマクダフは、何と剣で戦っている!これも珍しい。
普通このシーンは、マクダフの本心を疑う王子が彼を試そうと、女たらしで政治にはまるで関心がないふりをしたりするが。
マクベス夫人の「地獄は暗い」というセリフがある。
このセリフは他の話の間に突然出てくるが、この時、彼女は狂ってはいても、支離滅裂なことを口走っているのではない。
彼女は夫が自分の手を離れてどんどん悪事の深みにはまり、罪もない女子供まで殺したことを知って、自分たちが地獄落ちだと悟った。
そしてそのことに耐え切れずに発狂したのだ。
つまりここでの「地獄・・・」は自分がそのうち必ず落ちねばならぬ所として口にしているのだ。
決してワルらしく、他人をそこに落としてやろうとか思っているのではない。だから笑いながら言うことなどあり得ない。他ならぬ自分自身
の運命だと思っているのだから、最高度の恐怖心と絶望から身を震わせながら言うべきだ。
ああ、どうしよう、もう今となってはどうしようもない、やってしまったことはもう取り返しがつかない・・・。
だからこそ彼女は真夜中に、手についてとれないと思い込んだ罪の血を洗い落とそうと必死なのであり、見ている我々も、その絶望に胸が
締めつけられるのだ。
今回のマクベス夫人は終始元気一杯。前半は夫を叱咤激励し、後半は狂って歩き回りながらも夫を叱咤し続ける。彼女は絶望していない。
音楽はアランフェス協奏曲ばかり。いつでもどこでもしつこく流れる。しかも音量がでかい。はっきり言って邪魔。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます