12月12日文学座アトリエで、ファルク・リヒター作「崩れたバランス」を観た(中野志朗演出)。
何組もの人々の会話が積み重なってゆく。夫と妻、父と娘と父の恋人、老人ホームにいる女性と男性職員、別れようとしているゲイのカップル、稽古中の役者たち、父の迎えを待つ少年、テレビ局?の人々、神経科の医者と患者・・・。
クリスマスイヴを控え、イヴの過ごし方を巡って人々は模索し、焦り、執拗に抗う。西洋人にとってイヴは我々の「お正月」のようなものだから、イヴを誰と過ごすかは重要な問題だ。但し、最近日本の若者たちの間ですっかり定着してしまったように、「恋人」と過ごす日では決してない。あくまでも「家族」と共にしみじみと過ごす日なのだ。それがたまたま恋人ということもあるが。
ガビー役の片淵忍は声量があり演技もうまい。
少年役の渋谷はるかも好演。この人は‘08年「ダウト」の若い尼僧役で鮮烈な印象を残した人。
台本はともかく、役者たちはさすがに水準が高い。
「でも何の意味もない」というセリフが何度も繰り返されるが、聴かされる方から見れば、それはこっちのセリフでしょ、と言いたくなる。
役者たちが稽古中に、セリフと現実の言葉とが入り混じるところは面白い。
だがセリフはどれもこれも凡庸で新鮮味に欠けるし、どのシチュエイションもありきたりで退屈だ。こういう芝居がドイツで評判をとったり、好まれているというのは本当なのだろうか。全く理解に苦しむ。
やっぱり一年の締めはアイルランドの作品の方がよかった・・・。
何組もの人々の会話が積み重なってゆく。夫と妻、父と娘と父の恋人、老人ホームにいる女性と男性職員、別れようとしているゲイのカップル、稽古中の役者たち、父の迎えを待つ少年、テレビ局?の人々、神経科の医者と患者・・・。
クリスマスイヴを控え、イヴの過ごし方を巡って人々は模索し、焦り、執拗に抗う。西洋人にとってイヴは我々の「お正月」のようなものだから、イヴを誰と過ごすかは重要な問題だ。但し、最近日本の若者たちの間ですっかり定着してしまったように、「恋人」と過ごす日では決してない。あくまでも「家族」と共にしみじみと過ごす日なのだ。それがたまたま恋人ということもあるが。
ガビー役の片淵忍は声量があり演技もうまい。
少年役の渋谷はるかも好演。この人は‘08年「ダウト」の若い尼僧役で鮮烈な印象を残した人。
台本はともかく、役者たちはさすがに水準が高い。
「でも何の意味もない」というセリフが何度も繰り返されるが、聴かされる方から見れば、それはこっちのセリフでしょ、と言いたくなる。
役者たちが稽古中に、セリフと現実の言葉とが入り混じるところは面白い。
だがセリフはどれもこれも凡庸で新鮮味に欠けるし、どのシチュエイションもありきたりで退屈だ。こういう芝居がドイツで評判をとったり、好まれているというのは本当なのだろうか。全く理解に苦しむ。
やっぱり一年の締めはアイルランドの作品の方がよかった・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます