ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「黒塚~一ッ家の闇」

2022-05-20 22:08:10 | 芝居
5月16日下北沢ザ・スズナリで、「黒塚~一ツ家の闇」を見た(脚本・演出:わかぎゑふ、流山児事務所公演、5月22日まで)。



「拾遺和歌集」でうたわれ、民間伝承として語り継がれてきた鬼婆伝説、能では「黒塚」、歌舞伎・浄瑠璃では「奥州安達原」として有名な母子の因縁物を
ベースにした戦国時代劇。
新庄という在所に「笛吹峠」と呼ばれている場所があった。そこを超えると京の都への近道のため、長い間土地をめぐる争いごとが絶えない。しかし
20年前に起きた事件をきっかけに峠は封印。みすぼらしい一ツ家があるばかりなのだが、そこに近づいた者は誰一人帰らず、いつしか「鬼が住む」と
怖がられている有様である。
見かねた領主、堀兵右衛門は、嫡男月之介に鬼退治を命じる。意気揚々と笛吹峠の一ツ家に住む「鬼」と対面するのだが、そこに待っていたのは
過去の大きな因縁だった(チラシより)。
ネタバレあります注意!

冒頭、月之介と家来の史郎が何やらテニスのような球技をするシーンはいささか冗長。
小さな舞台だが、転換をうまく使い、謎解きの要素もあって、話は先へ先へと進んでゆく。
殺陣は実に見応えがある。
月之介一行は嵐に合い、峠に住む3人兄妹の家に泊まることになるが、娘が彼らに振る舞った酒にしびれ薬が入っていた。
だが、慎重な史郎はその娘に毒味をさせていた。彼女はその酒を飲んだのになぜか平気だった・・・。
一行は、この恐ろしい家におびき寄せられたのだった。
彼らは一人また一人と命を奪われる。
そこに偶然通りかかった陰陽師キリタ(小林七緒)が何とか史郎だけは助け出して介抱するので、もう大丈夫か、と思ったが、安心するのは早かった。
何しろ、彼らにまつわる因縁は20年前の事件にさかのぼるのだ。
恨みを抱き復讐の鬼と化した女(塩野谷正幸)がついに正体を現わす。
残りの人々も絶体絶命というまさにその時、陰陽師キリタの師匠・延元(流山児祥)が登場し、復讐鬼はついに倒れる。
キリタ「師匠、遅い!」延元「すまん・・」(笑)。

十分楽しかったが、原典を知っていたらもっと面白かっただろうと思うと、それが残念だ。
役者はみなうまい。
ただ、ラストの歌は余計だった。

わかぎゑふの作品を見たのはこれが初めて。原作の能も知らなかった。
そんな評者がこの日一番驚いたのは、昔、学校で習った懐かしい「デウス・エクス・マキーナ」を初めて目の前で、なまで見たこと。
これはラテン語で、英訳すると god from the machinery 。普通「機械仕掛けの神」と訳される。
古代ギリシアの演劇技法で、劇の終幕で突然、上方から機械仕掛けの神が舞台に降りて来て、それまでのごたごたや困難をスパッと解決し、めでたしめでたしという便利な、
言わばドラえもんの「ご都合春菊」みたいな存在のこと。
それをこの日、思いがけず、この能を原作とする芝居で見た。
演出家はパンフに「結局陰陽師を出して収めた、それしか手はなかった、鬼を治めるために魔法に頼った」という趣旨のことを書いている。
ということは、原作は、ただ人間たちが恐ろしい鬼に次々にやられてゆくという話なのだろうか。
だが、人の心は解決を求め、救いを求めるものだ。
それは、水が低い方に流れるのと同じくらい自然なことだ。
現実世界でそれが得られないのだから、せめてフィクションの世界では、苦しみの果てに救いが欲しいと願うのは無理もないではないか。
それは自然なことだし、決して悪いことではないと思う。
もっと言えば、人間はそういう風に作られているとも思うのだ。




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