2月11日天王洲 銀河劇場で、ロナルド・ハーウッド作「テイキング サイド」をみた(演出:行定勲)。
名作「ドレッサー」を書いた劇作家ハーウッドの作品。
多くの音楽家たちがナチ政権に抗議してドイツを去った中で、とどまって指揮活動を続けたフルトヴェングラー(平幹二朗)は、戦後
ナチとの関係を問われ、米軍のアーノルド少佐(筧利夫)から尋問を受ける。「芸術と政治は別物」「外からではなく国内でナチと
闘おうと思った」とフルトヴェングラーは釈明するが、アーノルドは彼がライバル視していたカラヤンのことを話題にして嫉妬心を
あおり、決定的な証言を引き出そうとしたり、私生児がたくさんいた事実を突きつけ、ドイツにとどまった本当の理由は女好きだから
だろう、と告白を迫る。手に汗握る対決シーンが続くうち、芸術と政治は絶対に別のものというフルトヴェングラーの確信は次第に
崩れてゆく。否応なしに現実の政治体制の中に組み込まれてしまった芸術家。ナチが政権を取った時、彼はドイツを去るべきだった
のか。芸術とはなにか、芸術家の倫理とは何かを普遍的なテーマとして投げかける。
夫がユダヤ人ピアニストだったザックス夫人(小島聖)やナチ党員だったことを隠すベルリンフィルの第2ヴァイオリン奏者ローデら
が参考人として証言を求められる。だがアーノルドのあまりの執拗さに、秘書のエンミ・シュトラウベ嬢(福田沙紀)やアシスタント
のウィルズ中尉(鈴木亮平)は次第に反発、大指揮者に味方してしまう。どっちの味方(テイキング サイド)なんだ!?アーノルドも
追い込まれ、感情をぶつける・・・。
客席の照明が完全に落ちる前にベートーベンの交響曲第5番「運命」第4楽章が流れ出し、そのまま何と曲が終わるまで芝居は
始まらない。長い・・・これには驚いた。
舞台前方にボロをまとった女がうずくまり、その前を男がこそこそ歩き、道端のものをあさって通り過ぎる、敗戦直後のドイツの
社会状況。
曲が終わると同時に秘書のエンミが入ってきてレコードを止め、机に足を乗せて眠りこけているアーノルドに声をかける。
アーノルドは実はクラシック音楽に興味がなかった。したがって、人々が抱く大指揮者への尊敬の念もない。フルトヴェングラー
(以下F)のことを「あのバンドマスター」と呼んだりして徹底的に憎しみを向ける。
それに対してエンミとウィルズ中尉は以前から巨匠の大ファンだったから当然両者はぶつかる。
ウィルズ中尉が少年の日にFの演奏によって新しい世界を知った、否それどころか命を与えられたとFの前で語るシーンは感動的。
巨匠は若くてイケメンのカラヤンのことを嫉妬し、Kと呼んでいたらしい。
2幕は第7番第2楽章と共に始まる。絶滅収容所での恐ろしい映像。アーノルドはまたも眠っているが、悪い夢を見ているようだ。
ヒットラーの自殺を報じるラジオで流されたのはブルックナーの7番のアダージョだった。演奏はFの指揮するオケ。そのことを
もって攻め立てるアーノルドだが、どれも言わば状況証拠に過ぎない・・。
筧利夫は一本調子で失望。数年前蜷川演出「じゃじゃ馬馴らし」でペトルーキオ役を立派にこなしたのを見て以来注目していたのに。
演出家はなぜダメ出ししないのか。セリフが多いのは理由にならない。棒読みされては感情移入できない。
平幹二朗はさすが。威厳に満ち、しかし何となく得体の知れないカリスマというこの役にぴったり。自分に憧れの眼差しを向ける
若く知的なエンミに「フロイライン・・」と今では死語となった言葉で語りかける様子など、いかにもモテモテの人生を送って
きた男性らしい。
ラストは第9冒頭。Fの演奏だから当然雑音が多いが、それがまた胸に迫る。
結局この芝居では、ベートーヴェンの5,7,8,9番とブルックナーの7番が使われた。
名作「ドレッサー」を書いた劇作家ハーウッドの作品。
多くの音楽家たちがナチ政権に抗議してドイツを去った中で、とどまって指揮活動を続けたフルトヴェングラー(平幹二朗)は、戦後
ナチとの関係を問われ、米軍のアーノルド少佐(筧利夫)から尋問を受ける。「芸術と政治は別物」「外からではなく国内でナチと
闘おうと思った」とフルトヴェングラーは釈明するが、アーノルドは彼がライバル視していたカラヤンのことを話題にして嫉妬心を
あおり、決定的な証言を引き出そうとしたり、私生児がたくさんいた事実を突きつけ、ドイツにとどまった本当の理由は女好きだから
だろう、と告白を迫る。手に汗握る対決シーンが続くうち、芸術と政治は絶対に別のものというフルトヴェングラーの確信は次第に
崩れてゆく。否応なしに現実の政治体制の中に組み込まれてしまった芸術家。ナチが政権を取った時、彼はドイツを去るべきだった
のか。芸術とはなにか、芸術家の倫理とは何かを普遍的なテーマとして投げかける。
夫がユダヤ人ピアニストだったザックス夫人(小島聖)やナチ党員だったことを隠すベルリンフィルの第2ヴァイオリン奏者ローデら
が参考人として証言を求められる。だがアーノルドのあまりの執拗さに、秘書のエンミ・シュトラウベ嬢(福田沙紀)やアシスタント
のウィルズ中尉(鈴木亮平)は次第に反発、大指揮者に味方してしまう。どっちの味方(テイキング サイド)なんだ!?アーノルドも
追い込まれ、感情をぶつける・・・。
客席の照明が完全に落ちる前にベートーベンの交響曲第5番「運命」第4楽章が流れ出し、そのまま何と曲が終わるまで芝居は
始まらない。長い・・・これには驚いた。
舞台前方にボロをまとった女がうずくまり、その前を男がこそこそ歩き、道端のものをあさって通り過ぎる、敗戦直後のドイツの
社会状況。
曲が終わると同時に秘書のエンミが入ってきてレコードを止め、机に足を乗せて眠りこけているアーノルドに声をかける。
アーノルドは実はクラシック音楽に興味がなかった。したがって、人々が抱く大指揮者への尊敬の念もない。フルトヴェングラー
(以下F)のことを「あのバンドマスター」と呼んだりして徹底的に憎しみを向ける。
それに対してエンミとウィルズ中尉は以前から巨匠の大ファンだったから当然両者はぶつかる。
ウィルズ中尉が少年の日にFの演奏によって新しい世界を知った、否それどころか命を与えられたとFの前で語るシーンは感動的。
巨匠は若くてイケメンのカラヤンのことを嫉妬し、Kと呼んでいたらしい。
2幕は第7番第2楽章と共に始まる。絶滅収容所での恐ろしい映像。アーノルドはまたも眠っているが、悪い夢を見ているようだ。
ヒットラーの自殺を報じるラジオで流されたのはブルックナーの7番のアダージョだった。演奏はFの指揮するオケ。そのことを
もって攻め立てるアーノルドだが、どれも言わば状況証拠に過ぎない・・。
筧利夫は一本調子で失望。数年前蜷川演出「じゃじゃ馬馴らし」でペトルーキオ役を立派にこなしたのを見て以来注目していたのに。
演出家はなぜダメ出ししないのか。セリフが多いのは理由にならない。棒読みされては感情移入できない。
平幹二朗はさすが。威厳に満ち、しかし何となく得体の知れないカリスマというこの役にぴったり。自分に憧れの眼差しを向ける
若く知的なエンミに「フロイライン・・」と今では死語となった言葉で語りかける様子など、いかにもモテモテの人生を送って
きた男性らしい。
ラストは第9冒頭。Fの演奏だから当然雑音が多いが、それがまた胸に迫る。
結局この芝居では、ベートーヴェンの5,7,8,9番とブルックナーの7番が使われた。
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