デスクの左片隅に置いてある筆立ての中に一本の万年筆が寂しげに立っている。
もう何年も使っていない万年筆。書き物はほとんどワードを使っていることからその役割を終えたように眠っている。
もう何年前だろう、この万年筆が私の手に初めて握られたのは。金融関係会社勤務時代の贈り物だった。
その頃、社員の誕生日祝いのハガキや重要月キャンペーン後の慰労の手紙を欠かさず書き自宅宛てに郵送していたが、それに感謝して某社員がプレゼントしてくれたものだ。だから30年近くも前になるだろうか。
退職して4~5年は使っていたように思う。それ以来、多くの鉛筆、ボールペン、カッターナイフ、物差しなどと一緒に忘れられたかのようにおさまったいる。時折、キャップを開けてみるのだがインク詰まりをしているようで字は書けない。もう日の目を見ることはないのだろうか。原稿もワード、手紙もワード、封筒もハガキもときとしてワードを使う。
私の良き時代の良き友として胸のポケットで共にしていた万年筆だった。そのうち遺品となってしまうのかもしれない。だけど、もう一度、ペンを洗って詰まって乾燥したインクを流し落として、滑らかな書き心地を味わってみたいもの。
もう何年も使っていない万年筆。書き物はほとんどワードを使っていることからその役割を終えたように眠っている。
もう何年前だろう、この万年筆が私の手に初めて握られたのは。金融関係会社勤務時代の贈り物だった。
その頃、社員の誕生日祝いのハガキや重要月キャンペーン後の慰労の手紙を欠かさず書き自宅宛てに郵送していたが、それに感謝して某社員がプレゼントしてくれたものだ。だから30年近くも前になるだろうか。
退職して4~5年は使っていたように思う。それ以来、多くの鉛筆、ボールペン、カッターナイフ、物差しなどと一緒に忘れられたかのようにおさまったいる。時折、キャップを開けてみるのだがインク詰まりをしているようで字は書けない。もう日の目を見ることはないのだろうか。原稿もワード、手紙もワード、封筒もハガキもときとしてワードを使う。
私の良き時代の良き友として胸のポケットで共にしていた万年筆だった。そのうち遺品となってしまうのかもしれない。だけど、もう一度、ペンを洗って詰まって乾燥したインクを流し落として、滑らかな書き心地を味わってみたいもの。