JR京都駅にほど近い東本願寺の飛地境内地となっている「渉成園」は、徳川家康が教如上人(東本願寺第12代)に烏丸六条の地を寄進、現在の場所に東本願寺が分派したのち、寛永18年に徳川家光から宣如上人(東本願寺第13代)に、その東方の地が重ねて寄進されこの寺領を中国の詩人陶淵明の『帰去来辞』の一節「園日渉而以成趣」(園、日に渉って以って趣を成す)より「渉成園」と命名されたとある。
宣如上人は、ここに屋敷を造営して承応2年に隠居し入滅するまでの5年間に、詩仙堂を造営した石川丈山が作庭した。園内の建物は安政5年の火災、元治元(1864)年の蛤御門の変で焼失し、現存のものはすべて明治以降に再興されたものだが、庭園はほぼ初期の作庭状態を伝えている。
池泉回遊式の印月池の水面に京都タワーが映えて古きと新しきとが奇妙にというか、見事にというか溶け合っている。
宣如上人は、ここに屋敷を造営して承応2年に隠居し入滅するまでの5年間に、詩仙堂を造営した石川丈山が作庭した。園内の建物は安政5年の火災、元治元(1864)年の蛤御門の変で焼失し、現存のものはすべて明治以降に再興されたものだが、庭園はほぼ初期の作庭状態を伝えている。
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