「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「竜安寺」(りょうあんじ)

2006年10月09日 08時02分52秒 | 古都逍遥「京都篇」
 無の境地に浸りたいと思ったら大雲山「龍安寺」を訪ねるがよい。山門をくぐると左に開けた鏡容池がある。徳大寺家によって築かれたもので、かってはおしどりが群れ遊んでいたところから別名おしどり池とも呼ばれた。周りに種々の花木が植えられ桜、雪柳、つつじ、藤、池の睡蓮、秋の紅葉、冬の雪景色、季節の彩り心和む風景が広がる。

 当寺を最も世に知らしめたものが方丈庭園である。枯山水の石庭で、東西約25㍍、南北約10㍍。3方を築地塀〔油土塀〕で囲み、庭内には一木一草も用いず、白砂を敷き15個の自然石をはいする。その姿から「都林泉名勝図会」は「虎の子渡し」の庭と記し、配置された15の石が東から7・5・3で構成されているところから「7・5・3の庭」ともいわれる。
 作庭の年代や作者、制作の意図などについては不明であるが、室町時代末期の作で特芳禅傑らの優れた禅僧によって作られたものと伝えられる。見た目は単純な構成であるがその中に秘められた魅力は哲学的でもある。岩とそれにまつわる苔、それらを取り囲む白い砂に描かれた筋目とが、言い知れぬ簡素な落ち着きと、枯れた気高い美しさをかもしだしている。

 方丈から東庭を隔てた東北隅に茶室がある。蔵六庵〔非公開〕というが、蔵六という語は亀の別名で甲羅の中に頭、尾、四肢の6つを隠すのでこの名がつけられた。江戸初期の茶人不遠庵僖首座の好みのままに水屋の掛け窓も珍しく四畳一間で中板が設けてあり、古くから龍安寺十勝の1つとする。茶席蔵六庵に水戸光圀公の寄進によるものと伝えられる「つくばい(手洗鉢)」(非公開で方丈裏にレプリカを置いている)は、中心の口を共有すれば、『吾れ唯足ることを知る』と成り、知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し、という禅の格言を謎解きに図案化された無言の悟道である。

 仏殿は昭和56年(1981)4月に完成、その翌年に新しく西の庭も室町時代に復元された鍾堂と共に整備された。現在は非公開で静寂の中、時に鳥のなき声、片隅の池で魚の跳ねる音が聞かれるのみである。方丈広間の龍の襖絵は残念ながら非公開になっていて観賞することはできない。

初めての方へ・・・このお寺の呼び名は「竜」と書かれていても「りゅう」とは言わず、「りょう」と呼称します。「りゅうあんじ」ではなく「りょうあんじ」です。
 
 所在地:京都市右京区竜安寺御陵ノ下町13
 交通:市バス「竜安寺前」下車すぐ、市バス「立命館大学前」下車、徒歩7分
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