7/24 篝火コンサート声明と長唄の夕べ
遊嫁さんの店 茶房遊の芝生広場であった
声明は犯行声明など主張を世間に発表する声明(せいめい)ではなく
(しょうみょう)と読み お寺の坊さんの唄声で梵唄(ぼんばい)とも言うらしい
教会のゴスペルかと思ったが それほど唄い叫ぶわけでもない
5人の僧侶の声明も私にはお経との違いがわからなかった
いつも葬儀や法事で後ろ姿の坊さんのお経を聞くが
ここでも正面は向かない 正面に鎮座するのは仏様だけなのだろう
事前に頂いた案内パンフは読めない字が多くてひらがなだけ読んだ
篝火と声明にはさすがにルビがふってあったので読めた
長唄三味線の杵屋佐吉も読めなかった有名な方らしいので
知らないことが恥じかと密かに辞書で調べた 臼杵の(きね)だった
歌舞伎鑑賞時には長唄が心地よくて睡魔に襲われることもあるが
その程度で 長唄三味線にはさほど関心がなかった しかし
野外で聞く和の音色は昼間の暑さを忘れ優雅で豊潤なひと時だった
入場の頃雨が降りそうになり心配した天気も回復して
「鼠ぐるま」の軽快な音がした頃には雲間から5日目のお月さまがのぞいた
最後の曲「野路の月」を紹介するころには お月さんはまた隠れた
哀愁に満ちた 物悲しいような曲「野路の月」
3本目の缶ビールを開けようか迷ったが 結局開けた
曲が終わる前に空になった 時おり肌にあたるく風も心地よい
「野路の月」を紹介する司会が「私の母木村梢が作詞した」といった
ということは娘さん それではお父さんは俳優の木村功
私は木村梢さんから頂いた書を持っていることを娘さんに伝えた
なんと娘さんは杵屋佐吉の奥さんだった
こんな些細なことでも知れば歌舞伎への興味も深まるのだ
音色に酔い 唄に酔い 缶ビールにも酔ったコンサートだった