祭りが終わり帰る人々 長年地域に貢献してきた人たち
地域の祭りはこの人たちのためにあるのかもしれない
神殿の外にゴザを敷きそこで少しのお酒と ささやかな肴
当屋組は この人たちの席を作り 取り持つ
派手に屋台を作って 引き回すこともない
にぎやかにやるのが祭りだともいえない
他所の大きな祭りをまねることもしなくても
ささいなことで笑いあう これだけで満足だ
最近は祭りだからといって家族全員で来る家も少なくなった
嫁いだ娘夫婦までやってきたのは18世帯中1軒だけだった
本来の姿が失われていくのは寂しいが
時代の流れで仕方ないことなのかもしれない
ちなみに私は神酒を飲みすぎた
お取り持ちが 取り持たれた
ハレの日や 後は任せた 先に行く
まず、映像がいいですね。
地域に密着した小さな祭りだったことを物語っています。
お神酒、飲み過ぎてもいいではありませんか。
神様も微笑んで見ていらっしゃいますよ。
お慰めいただきありがとうございます
18戸で6軒がが当屋でした
終わりの会計も人任せで飲んでしまいました
飲みすぎると翌朝反省材料が多いです
山水さんのあたたかいお人柄がにじんでいます。
お祭りとは、若い人が元気にお神輿を!ということももちろん必要だけれど、その一面だけではないと思います。地域の人、みんなのためにある、五穀豊穣の神様のお祭りですものね。
こうやって、地域の人みんなが出てきてくれる。ということが、一番大切なことですよね!
大きなお祭りはそれなりに楽しめますが
村の小さな祭りでも満足度は同じかもしれません
限界部落のような写真になってしまいましたが
こちらもこういう感じなのかも。
こちらは祭りだの念仏だのいろいろありすぎて
誰も農作業をしていた時代の名残なのかもしれないけど時代にはそぐっていないこと多いように思います。
9月10月に毎週のように平日に休める人ってそんなにいないと思うのですが、暇な人が多いので改正されるわけでもなく、番をする人は大変みたいです。
同時に少し寂しい感覚も覚えます。
話し声が聞こえれば、そうはならないのでしょうが。
祭りなどは農作業者を対象にしているので
日が決められていましたが休日に日が変わたのは助かります
自給自足の時代ではないですから
そちらの方でも変えてくれるといいですね
本座よりも外の方が楽しそうな笑い声が聞こえていました
まだお宮までくる人はいいほうです もう少し歳をとると遠慮してきません元気でも
さすが見るところはしっかり見抜く山水さんの
写真です。
このときはすでに飲みすぎ状態でした
被写体を良く見ないで撮っています