伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

久しぶりに帰郷した娘と、大洗水族館見学と新鮮なネタの寿司を喰らう、鮮度抜群のネタの数々。

2023年05月31日 | 日記

現在大阪に住む娘が帰郷する。今回は台風2号の影響もあり、雲行きが心配である、雨は心配だが折角の帰郷なので何処かに連れて行きたいと、奥さん曰く。

何時ものように早朝はモジャ君と散歩にだかけるが、ほんの少し小雨が降っている、庭のアイリスも花を開くが満開状態ではない。

今回初めての挑戦はカメラを持たずに全てスマホ利用してみました、何となく心配でカメラを持つのですが、今回はスマホのみの撮影しました。撮り方が慣れなく心配はしたが、意外スマホ画像は問題ないようであった。



モジャ君とシャワー浴びドライヤーで寝れた体を乾かし、珈琲を淹れ頂きニュースを検索すれば雨は上がり降らないと知った。
家族で支度をし10時頃出発する、行き先は美味しいお寿司を食べてから大洗水族館と行き先は決まり出発する。
高速は圏央道(つくば牛久)から常磐道(ひたちなか)まで走り那珂湊の海鮮市場までを走る、到着は12時十分前に到着、いつものお店の(森田)に入る、昔遊漁船でヒラメ釣りで何度も通い船頭さんに教えて頂き那珂湊は此処のお店は利用している、後に家族も紹介後はすっかりお気に入りで新鮮なネタ、肉厚の刺身とシャリのバランスは好きでよく利用しています。


早速注文は生のマグロの3種盛り、赤身、中トロ、大トロは流石美味い!次に注文したのは今の季節の旬の「初鰹」刺身の身の厚みもあり流石旬の物は上手い。


一緒に頼んだ光り物、特に目玉でもある、生のさば、イワシ、アジの3種もりは実に上手い。実はこの鯖は実に上手く生鯖はでつ注文した。


金目鯛、スズキ、等8皿でお腹一杯になる、娘のエビ好きの娘曰く生の赤海老身も大きくはボリュームあり食べ応えある。本日は大洗で採れるマコガレイがメニューになかった事は残念であった。

最後は店頭にの夏がきの生を頂く、家族共に満足である、那珂湊から大洗に15分程で到着する。


駐車場からリニューアルした大洗水族館、隣側には海風の影響で難しい名門大洗ゴルフ場もある。正式名はアクアワールド茨城県大洗水族館と言う特徴は日本一のサメ飼育種類数を誇る水族館だそうです、早速入場する。


入り口付近であり意外と客は多い、マスクしている方も少なくなっている。


此処の水族館は多くのサメが有名である。



今回水族館に入場して、初めて見る光景は水中の清掃をしている水槽が何個も作業中の光景を見られた事です。



5回の展望台から見えた那珂湊方面です、すっかり青空が見えてます。
お土産品のサメの種類が豊富な水族館のサメのイラストの描かれたTシャツを購入した。


室外にはペンギンの飼育も見られます。



あとはイワシのショーとイルカのショーです。


確かに見学客のマスク利用者は全体の1/5程度で断然少なくなった状態であり、コロナも愈々忘れられた時代になると良いですね。
今回日本人お遺伝子の中に含まれる遺伝子にネアンデルタール人の遺伝子が多い為今回の流行病に移りにくいと言われるが、その方面をじっくり研究し解析いただきたいと思う次第であう。謎の部分の日本人解析に繋がるのかも知れない。


15時過ぎに大洗を後にする、帰路につき車中で夕食の相談、全員一致でモスバーガーと決まり最近増えたエビマヨバーガーを購入後自宅でビールと共に頂く。

勿論その前にモジャ君と散歩ですね・・・


1日留守番してモジャの甘える仕草は可愛いですよ!留守番ありがとうね!楽しい1日でした、ブラボー!

歳の初めとし、少し驚くが日本古来の音楽は楽という雅楽は1,300年以前より口伝により伝えられた楽(ガク)の考察

2023年01月11日 | 日記

正月も過ぎ今日は初参りには穏やかで良い天気であり、自宅から比較的近い、昨年話題になった鎌倉の13人の関わりも深い千葉神社に初参りに出かける。
千葉神社は、千葉氏の守護神、北辰妙見尊星王を主祭神として長保2年(1000年)に北斗山金剛授寺として中興開山されました。 「通称・千葉の妙見様」と呼ばれ親しまれています。 相殿には、經津主命・日本武尊を祀っています。



平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて活躍した武将「千葉常胤」(ちばつねたね)。下総国(現在の千葉県北部、茨城県南西部、埼玉県東部、他)を拠点とする千葉氏を、地方の一豪族から御家人(鎌倉将軍直属の家臣)の地位へと引き上げた、千葉氏中興の祖です。昨年の2022年(令和4年)のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、「源頼朝」(演:大泉洋[おおいずみよう]さん)からの信頼も厚い坂東(関東)の重鎮を俳優の「岡本信人」(おかもとのぶと)さんが演じています。



御際神は北極星・北斗七星の御神霊「北辰妙見尊星王」で、人間の運命・方位を司る神様として、厄除開運・八方除の御神徳があります。近年での千葉姓は北斗の剣(北辰一刀流)で有名な千葉周作が有名です。

特徴として、人の願いが十人十色様々にあるのに応じて、御祈願の種類も数多く分類されています。



帰りに千葉神社近くに有名な木村屋創業昭和7年、『老舗の豆大福』があり出来立ての餅で作った豆大福は美味い!ずいぶん並んでいたが、家族分のお土産に購入して帰った。

無事初参りも終わり帰りに、途中寄り道しおいしい爆弾ハンバーグ・ランチを頂き無事家に到着いたしました。



新しい年の初めに日本での音楽史を調べると意外と長い歴史がある事が解った。勿論、日本での音楽の雅楽は1,300年以前位に海外から伝わった音楽を指す様であり面白いことに 笙 、篳篥 、 龍笛、高麗笛、神楽笛、琵琶、箏 、和琴、鞨鼓、三の鼓、太鼓、鉦鼓等の楽器と歌、及び舞が構成せれていた様で今も続いている。
楽しい音楽を神様に捧げ喜んで頂く為にの意味もあり、死に際に極楽黄土に行けるように捧げたとも言われる楽(がく)である。



勿論楽譜は全て口頭での口伝によるもので、簡単に言えば、経典同様の右に音符の如し返点が打ってある程度の漢文である、楽器をを奏でる前に歌でマスターしなければ楽器での演奏者にはなれず、打楽器奏者も同様だと解説されている様です。
一番驚くことに曲により「序、破、急」序はゆったり、破少し早めに、急は軽快にという様に現在の音楽と変わらない三楽章形式的要素も多く、楽器のみの音楽の中にも打楽器の入らない音楽もあり、全体の楽器に歌を入れた、歌もの、勿論歌だけの音楽もあり、全ての演奏(楽器、歌、舞)の合わさった正にオペラの様な音楽もあり、実に優雅の極みであろう・・・。
日本での音楽は雅楽と流行歌、西洋の音楽は俗楽と明治時代になって分けられ、勿論明治以降に五線譜に音符として記される様になった。それ以前は言い伝えと言われている様です。

また現在使われる言葉の意味も雅楽から伝わった言葉も多いと聞く、今日は「調子が良い」などと言うがこの言葉も雅楽で、舞楽の一種の前奏曲だそうである。この曲の第一声のなり具合で「調子が良い」と言った事が始まりとも言われている、各楽器が順次演奏に加わり、同一旋律を追いかけて奏する。
前奏曲を演奏し今日は誠に調子が良いと言った塩梅になったそうであり、1,300年も雅楽が伝えられ続いた日本と言う国の特色にて全てを滅ぼす事はしなかった、平和な時代が続いた穏やかな国であったを証明できる事実であろう、勿論世界には様々な音楽はあるであろうが、西洋では教会音楽がおよそ500年前の音楽が演奏とされる様である。日本では昔から代表作に『舞楽 喜春楽(きしゅんらく)』等も有名な雅楽である。特に初参り時期に神社等でBGMで流す雅楽はこの時期にしか聴けない音楽でもあろう。
最も皆が知っている曲目に、雅楽:越天楽 Gagaku:Etenrakuが挙げられる。

笙(しょう)
日本で用いられている邦楽器のうちで唯一和音を奏する楽器です。笙はその形が 羽を休めている鳳凰に似ていることから、鳳笙(ほうしょう)とも呼ばれます。オルガンのようなやわらかい音を出し、雅楽の音楽の独特な雰囲気を醸し出しています。頭(かしら)と呼ばれる椀型のものに17本の竹を差し込んだ形になっていおり、そ の17本のうち、15本に小さなリードがついていて、これが振動して音が鳴ります。 ほとんどの場合、5本または6本の音を和音にして奏します。 一般的な管楽器の場合、出したい音の音孔を開けるとその音が出ますが、笙の場 合は閉じた音孔の管の音が鳴る仕組みになっています。
また、リードが湿りやすいので、演奏前に火鉢や電熱器などで笙をくるくると回 し暖めないと良い音が出ません。



篳篥(ひちりき)
漆を塗った竹の縦笛で、表側に7つ、裏側に2つの孔(あな)があります。
主旋律を奏することが多く、小さい楽器にしては音量も大きいですが、音域は1オクターブ程度しかありません。
葦を潰して作ったリードを用い、演奏前にはリードをお茶に湿らせて吹きやすいように調整します。同じダブルリードの楽器にオーボエやファゴットがありますが、ヨーロッパに伝えられたものはオーボエに、シルクロードを渡って東に伝えられたものが篳篥となったと言われています。

龍笛(りゅうてき)・高麗笛(こまぶえ)・神楽笛(かぐらぶえ)
それぞれの笛は長二度づつピッチが異なり、演奏する曲目によって3つの笛を使い分けます。
いずれも竹製で、7つまたは6つの孔(あな)があり、長さや太さは異なりますが構造は同じです。

琵琶(びわ)
構成の平家琵琶や薩摩琵琶と異なるため、楽琵琶(がくびわ)とも呼びます。
ペルシャからシルクロードを通って伝えられた四絃でくびの曲がった楽器で、ヨーロッパに渡ったものはリュート、マンドリン、ギターになったといわれています。雅楽の琵琶は旋律を奏でるのではなく、和音や単音でリズムを明確にする役割をにないます。
中国で現在演奏されている琵琶とは、柱の数も演奏方法も異なります。



筝(そう)
現在の山田・生田流とは異なるため、楽筝(がくそう)とも呼びます。
楽器の構造は現在の琴とほとんど同じですが、指にはめる爪は異なり、絃も太いものを使用しています。
琵琶と同じく、リズム楽器としての役割を持ちます。
和琴(わごん)
日本古来の楽器で、『古事記』にも記されており、日本古来の歌曲の伴奏に用いられます。
6本の絃に楓の自然の枝を切った柱(ことじ)をたて、水牛の角または鼈甲で作られ た琴軋(ことさぎ)で絃をかき鳴らします。



鞨鼓(かっこ)・三の鼓(さんのつづみ・さんのこ)
鞨鼓・三の鼓は曲の演奏の速度を決めたり、終わりの合図をします。
指揮者のいない雅楽の演奏において、その役割をになっています。そのため、奏者は楽団長などのベテランが受け持ちます。
鞨鼓は管絃・唐楽の演奏に用いられ、二本の桴(ばち)で主に両手で打ちます。
三の鼓は高麗楽の演奏に用いられ、右手に持った太い桴で打ちます。

太鼓(たいこ)
管絃の時には座って打つ楽太鼓(がくだいこ)、舞楽の時には鼓面の直径が2mほど もある大太鼓(だだいこ)を用います。
楽太鼓は金属の飾りがつき、鼓面には三匹の唐獅子の模様が描かれています。
大太鼓は左方、右方の左右一対になっており、左は金色の日形(にちぎょう)と龍の飾りがつき、鼓の中央の巴は三つ巴、右は銀色の月形(げつぎょう)と鳳凰の飾りがつき、巴は二つ巴です。
二本の撥(太鼓の撥のみ他の打楽器の桴と区別され、この字を用います)で太鼓の裏側を打ちます。





古の世界から受け継がれた雅楽ではあるが、聴く機会は少なく正月等にたまに聴く、楽(がく)になっている様である、今回筆者も10吋同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold)で有名な東儀秀樹雅楽師(Hideki Togi)を試聴した。

簡単にタンノイ社の歴史はガイ・R・ファウンテンによって創業されたTANNOY。同社は、1926年に、電解整流器の開発からスタートした企業である。次いで、アンプやダイナミック型スピーカーの分野にも手を伸ばすと共に、それらの製品開発に必要な測定機器までを自社開発するなど、ついにはイギリスの軍需産業にも欠かすことが出来ない存在へと躍進した。とりわけPA分野での認知度は圧倒的で、イギリスの古い口語では、PA行為やPA機器そのものを「TANNOY」と呼んだほどだという。



オーディオにおける同社の存在を決定的なものとしたのは、1947年に発表された初代デュアルコンセントリック・ドライバーの存在だ。トゥイーターユニットが38cm径ウーファーの磁気回路を貫通し、なおかつ、ホーンのスロート部がウーファーコーンのカーブへと直接繋がるというユニークな同軸2Way構造を確立。両ユニットの発音位置が揃えられることによる優れた位相特性と、高出力かつワイドレンジな特性を持ったこのユニットは、当時ffrrの開発をしていたDECCAのモニタースピーカーへと迎えられ、また、伝説の高級電蓄「DECOLA」へと搭載された。即ち、当時のレコード産業を席巻する世界的なレーベルの音を生み出していったわけである。
1953年には、同社のモニュメンタルな銘機となる「Autograph」を送り出す。ユニット前面にショートホーン、そして、背面へと複雑に展開する折り畳まれたバックロードホーンを有する、クラフトマンシップの賜物とも言える美しい木製のエンクロージャー。それは、同社スピーカーの原器ともいえる存在である。この長いホーンロードと共に繰り広げられる雄大な低音域の表現は、ガイ・R・ファウンテンが目指した「コンサートホールで聴く豊かで美しい響きを家庭でも」というサウンドコンセプトを体現する上で、欠かせない存在だったのだろう。

しかし50年程前のユニットは相当傷んでいるので、日頃のメンテナンスが大切であろう、マグネット部分も錆が付着してきたので細かな所の錆落としを実施してみたいと思います。昨年暮れにY氏に教えて頂きマグネット部分にレプトンパワーチップスを貼り付けましたが随分クリヤーな音が鳴るようになりました。

欧州のユニットによる和楽器「雅楽」の調べも意外と心地が良いと思う。

雅楽:越天楽 Gagaku:Etenraku

東儀秀樹雅楽師は1959年東京に生まれる。
東儀家は、奈良時代から今日まで1300年間雅楽を世襲してきた楽家である。父の仕事の関係で幼少期を海外で過ごし、ロック、クラッシック、ジャズ等あらゆるジャンルの音楽を吸収しながら成長した。高校卒業後、宮内庁楽部に入る。宮内庁楽部在籍中は篳篥(ひちりき)を主に、琵琶、太鼓類、歌、舞、チェロを担当。宮中儀式や皇居において行われる雅楽演奏会などに出演するほか、海外での公演にも参加、日本の伝統文化の紹介と国際親善の役割の一翼を担ってきた。その一方で、ピアノやシンセサイザーとともに雅楽の持ち味を生かした独自の曲の創作にも情熱を傾ける。
東儀秀樹 - 映画『ミッション:インポッシブル』~メイン・テーマ Mission:Impossible – Main Theme



篳篥カフェ
2016年にデビュー30周年を迎える1年で3タイトルのアルバムをリリースするなど、精力的な活動で可能性をひろげつつある東儀が、雅楽のテイストを存分に生かしたアレンジ・選曲で、最高に心地良いアルバムを仕上げます。 まるで、とても居心地の良いカフェで寛いでいるような、ホッとした気分にさせてくれる、そんなアルバムです。別にこの様な曲を和楽器での演奏は無意味の様にも思うが、馴染みの少ない和楽器の調べはよく知った曲を聴くとにより知識は広がる様にも思う、気軽にバックで流しながらブログアップしているが意外と良い。

 アズ・タイム・ゴーズ・バイ
 彼女
 小さな自転車
 行け!行け!行け!
 フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
 君の夢を守りたい (amabil)
 なんでもないや
 高く飛ぶ
 昨日をもう一度
 私のおかしいバレンタイン
 昨日をもう一度
 アルフィー
 紅葉
 スーパースター
 なんて素晴らしい世界

スローな曲、アップテンポの曲、Bluesyな曲、Jazzyな曲、全てにおいて篳篥の音色が心地よく溶け込んでいます。 他の楽器も含め隅々までこだわって作り込んだ作品と思います。が奏でる篳篥って、時として管楽器のように、時として弦楽器のように、そして時として肉声のように響く不思議な魅力を感じます。



最近はタンノイユニットに国産のZAIKA5300真空管でのコンビの音が安定して聴ける音になっている、三位一体と言う言葉の様に現在オールルドタンノイと一番相性が良いスピーカーケーブル(英国製QED)のコネクターパーツ(ロジウムメッキ処理)した物と交換し益々安定してることは有難いことである。

裏側のスピーカー接続ユニットは何度も機種変更またメンテナンス、パーツ交換等何度も取り外しのため余分なネジ跡が残ってしまった、機を見て補修工事でもしようかとも思うのですが・・・・、



2023年は卯年だそうですが、事には何事もゆったりした時間を過ごして行きたい、年々新たな事実の歴史が解明されて行く事に興味深く注視し、特に好きなJ.S.バッハの音楽、日本の歴史の再確認をして観ようとも思います。
今年も宜しくお願いします。ブラボー!」


コロナ禍もピークはさり、3年ぶりに義母と共に、秋空の綺麗な国営ひたち海浜公園を散策

2022年10月21日 | 日記


今年95歳になる義母と同居しているが、コロナ禍も少しは安定し、3年ぶりに美味しい魚でも食べに行こうと誘い、家族で出かける。
音歳95歳となるが、血糖値も、血圧も聞けば驚くほど高く、掛かり付けの病院の医者が変わるたびに、数値を見て驚き丈夫な遺伝子をお持ちですと驚く、食事も体に悪いものは大好きで、医者曰く血管等は砂糖漬けの状態のため注意をすると、好きなものは食べたいので薬を増やせと、お願いする始末です。

本日も美味しいものを食べに行こうと那珂湊の港近くの市場の寿司屋さんまで連れ出した。



海も凪で大変爽やかである、昔遊漁船で那珂湊に大判のヒラメ釣りに来た帰りに船頭さんから教えていただいた美味しい鮨屋で森田と言う寿司屋に当時から通っている。
当時から名物の穴子一本握りは有名で昔からのメニューである。



ネタも大きく肉厚で、しかも新鮮で一度食べると回転寿司には行けなくなる旨さだ。先ずは白味の3種盛り(タイ、ヒラメ、スズキ)続いて鮪3種盛り(大トロ、中トロ、赤身)あとは各自メニューはお好みで各自、各種を注文するが、義母は大好きなネタを知っている奥さんが変わって注文する、いくら、うに、生えび、ホタテ等を頼み、早速口に頬張ります、全く食欲は衰えません(笑)さすが長生きの秘訣である。
昼食前ではあるが、此の時間帯に来店すればネタ切れは心配無用であり、先に食事を済ませての公園散策が良い方法であろう。


朝食兼昼食の食事を済ませ、早速散歩に国営ひたち海浜公園の「みはらしの丘」に行きます。
何時もは公園散策を終え、寿司を食べに行くが、人気の寿司ネタは無くなっている事が多いために、今回は順序を逆にした、開店と同時に到着したので、好きなものは殆ど食べられたようでコレが良い方法と思った。

入り口からは少し遠い駐車場に駐車し、入場し早速車椅子をお借りする。今回は何時もと違うコースを回ることにした。砂丘エリアを選んだ。

先ずは泉の広場フラワーガーデンです。紅葉も色づき見頃でもある。


「泉の広場」と「プレジャーガーデン」を結ぶメタセコイアの並木道で木の葉は昔は恐竜に餌として知られる古代の木である様です。

流石木々を見せるための公園内での生育環境は葉が咲きほこり紅葉が楽しみでもある。化石時代から生息する、首長竜の草食恐竜の餌とも言われています。



11〜12月になると真っ赤に紅葉するそうです。


砂丘ガーデンの最頂部からの谷間を利用した、上からの眺めもお楽しみいただける「沈床花壇式」のハーブガーデンです。約2,200㎡の面積に、さまざまなハーブを植栽しております。




そして途中にあるグラスハウスで一休みです。
眼下に太平洋が見渡せ風貌もよく良い場所にあり施設は混み合っていた。



勿論さつま芋のジェラードを頂く、義母も食欲旺盛です。日差しが差し込むガラス張りの室内から望む太平洋はまさに絶景です。
コーヒーや軽食が楽しめるカフェ「Sea Side Cafe」では、光と静寂の中で太平洋を眺めながらゆっくりとした時間が楽しめます。


外から太平洋を望む、いつに良い形式である。


グリーン工房を通過する砂浜エリアの中心的な施設で、イベント等の活動拠点となるほか、動植物に関する書籍や海浜公園の生き物の写真や標本を展示しています。


面積約8ha、開放感に溢れた芝生の広場で、ボール遊びから大規模イベントまで様々な遊びのできる多目的広場です。
家族や友人と思い切り走り回ったり、 ゆったりと寝転んだり、思い思いに楽しむことができます。


みはらしエリアでは現在コキア(ほうき草)の紅葉やコスモスと、四季折々の草花が訪れる人々の目を楽しませてくれます。


みはらしの丘のふもとに位置する「懐かしい農村の風景と暮らしが味わえるエリア」です。現在蕎麦の花が咲いてます。


珍しいワンコ発見です、そうですスタンダードプードルです、ミニチュアプードルはモジャとの散歩時には見かけますが、スタンダードプードルは珍しいので写真に納めました・




中央ゲートから程近い約100haの花畑には植栽された花が綺麗でした。



中央口に戻り本日の公園散策は終了します。久々の秋晴れにめぐまれ良い散策でした。
帰宅して風呂上がりのビールが実に上手く夕食は焼き鳥にビールで、ブラボー!

美味しい珈琲を金谷の香豆珈琲に、デューク・エリントン:「女王組曲」の考察。

2022年10月09日 | 日記

先日イギリスのエリザベス女王が、北部スコットランドにある静養先のバルモラル城で亡くなりました。96歳でした。「エリザベス女王(Elizabeth II)」の悲報が世界を賑わした国葬が9月19日(現地時間)、ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われる。
英国全体が喪に服す葬儀までの流れと、一般市民の弔問等が行われ世界中が見守るなか、現地時間の9月19日、エリザベス2世女王の国葬がロンドンのウェストミンスター寺院で行われた。女王は、2021年に亡くなった夫フィリップ殿下が眠るセント・ジョージ礼拝堂に埋葬された。



筆者も大変興味深くテレビ、YouTube情報などしっかり拝見させて頂きました。今まで見たことのない厳格で荘厳なもので流石大英帝国エリザベス女王の最期にふさわしいものでした。厳格で荘厳でこれほどまでのものを見たのは初めてでした。そして現代においてまだ可能なんだなと思わされました。
英国市民の声も「彼女はイギリスのシンボルでした」「とても悲しいです。ひとつの時代の終わりですね」とこの様な声も上がっております。

戦後英国も随分文化的に変化した国であった、まず衝撃的事件でしたのがミニスカートのツイギーの登場でした。そして世界の音楽史を替えたリバプールの若者のグループ、ザ・ビートルズでした。この登場は衝撃的事件でした。ファッション会の変化、それと新しいものポップス音楽です。歴史ある国だからこそ出来る此の様な変化の要素があるようです。



2022年9月8日、イギリス女王のエリザベス2世が96歳で死去した。エリザベス女王は1952年に25歳で即位し、以来70年間、女王の地位にあった。この6月には、在位70年を記念するプラチナ・ジュビリーの式典が盛大に開催されたばかりであった。熊のパディントンと共演した女王様がハンドバックからマーマレードサンドを取り出すお茶目な姿を記憶している人も多いことだろう。9月19日には、ウェストミンスター寺院で国葬がなされ、500人を超える国家元首や高官が参列した。
現在の日本に於ける皇室ファミリーは何故か疑問が残る事を冒している様で、国民として大変心配する、誠に嘆かわしく思うは筆者でけなのであろうか・・・?
筆者も皇室の事はあまり問題にしたくないが、将来の汚点に成らなければ良いと思うのですが男系家系での次の天皇陛下は問題山積に成らないことを祈る。

我々時代の人間は当時の大英帝国には憧れと日本と同様の伝統の国の誇りも感じている人々も多く、日露戦争における当時日英同盟でロシアに勝利したとこは今も歴史は物語る。音楽も英国は欧州の中でも昔から最大の音楽最大の輸入国であった様です。昔は演奏する楽譜を輸入したと言われている。オーディオ機材も軍事物資として成長し多くのメーカーが有った様です。



その様な名残もあるのか、今だに50年前のTANNOY IIILZMonitor Goldユニットを後生大事に取り扱っているのかも知れない。
そして最近は10月になりめっきり涼しく過ごしやすい季節になりましたが、頻繁に台風の影響で風雨が多く些か何処も出かけられない、友人から電話が入り一度プチ遠出した香豆珈琲( kou's coffee)に行かないかとのお誘いがあり昨日まで雨が降っていたが、雨も上がりドライブ日和となりモジャ君と早朝の散歩モア割軽めの朝食を取り早速出かけます。

途中車の中での楽しみに一枚のCDを選びました。アルバム名Duke Ellington / The Ellington Suitesk日本語訳「女王組曲」を聴きながら堕かけました。と此処が筆者の乗っている車は音響装置は大変お粗末でただ音が出ている程度の物ですがが我慢しながら聴き続けると不思議なことに音が頭の中で変換し想像して何度か聴ける音に変化する、自宅で聴く10吋のIIILZMonitor Goldユーユニットに置き換わるとい塩梅ですかね・・・?
穴川付近の高速は渋滞していましたが、其処を通過すれば後はスムースに走る。途中一度小休止して休憩をとる。



目の前に海が広がる、昨日の雨でやや濁りでしたは、正面に見える富士のシルエットが見える。富士の見える日は海が波けがあると言われているそうです。

この時期からは始まる館山方面での肝パンのカワハギ釣りにはアサリの剥き身を支度して良く通いました。



肉眼では片別できないが、ファインダー越しに風景を見るとすっかり秋めいて木々の葉の色は秋色に染まり出してる事がわかる。あと少しで金谷である自宅から70キロ弱である。



すっかり秋色の気配、今後海水も徐々に冷たくなっていくのであろう。



ドライブインを後にして少し走ると金谷のフェリー乗り場が見える、この先に香豆珈琲の駐車場に到着する。



車を止め駐車場から徒歩1分ほどでお店に到着。営業案内告知。



入れ口付近アンテークの入り口も風情があり、写真を収める。



お店に入るとマスターのおで向い、友人も勿論、珈琲は飲み終わっていたが・・・、筆者も早速美味しいコーヒーを注文する、お客様は略満席である。

高速道路での便が良くなり東京、神奈川のお客様も多いそうです。



ここでのお店のお水は大変美味しく、この水から淹れる珈琲の旨さの秘密でもあろう、隣には水抽出による珈琲もセットされいた。



このお店の壁面は意外と不思議な感じが滲み出て好きなった壁面である。多分一度グレーの壁材を塗り城の漆喰で不均一に仕上げアンテーク調にした感じの仕上げです。



お気にいる壁の撮影をしたが筆者にはナイスショットで有った。1時間程雑談をしマスターの珈琲の淹れ方は見ているだけでも大変参考になる。



今日は簡単いお湯の温度が測れる温度計を教えていただく。唯ケットルの蓋に穴えお開ける事は大変でしたと、話していただく。

そうして付近お散策と近くのお蕎麦屋さんを教えていただく。早速散策の開始である・



徒歩5分程で内房線「浜金谷」駅があり、この駅は鋸山登山口と繋がっているため週末の乗降客が意外と多いそうである、如何にも鄙びて風情が伝わってくます。駅員さんに許可をいただき中を見させていただく、プラットフォームも全く昭和の世界が現れ、日本は変わらない国に安心感さえ感じてしまった。



国道を走っていては見つからない意外と風情のある街並みが続く、駅知近くのあるのがおそば屋さんである、店構えからは想像できない、和蕎麦屋さんである、友人は何時も此処の蕎麦屋さんを利用するという、勿論手打ちそばである。
店舗名は「SOBA&COFFFE」と言う名前らしい。



メニューより早速ここ迄きたのですので金谷名物の「かじめそば」を注文した、この「かじめ」もネバネバ海藻の一つなんです。



見た目より食感はツルッとしたノゾ越しが良く、そばと一緒に頂く蕎麦昼食は満足でした。
「かじめ」は「とろろめ」や「サガラメ」などと呼ばれいる海藻です。味噌汁に入れても大変美味しくいただけます、筆者は「とろろめ」風に白米に混ぜて食べるのも大好きです。美味しく「かじめそば」を頂き散策は続き、次は表の国道を横切り金谷漁港です。



徒歩5分ほどで到着です。連休中でテントを張り水辺で遊ぶ若者もいたりする、そして車を止めた駐車場に戻ります。



駐車場近くに鋸山ハイキングコースに沿ったところで神社を見つけ、参拝をして、夕方は交通渋滞が始まるので14時30分頃友人と別れ、帰路につきました、此の時間から帰路に着くと渋滞もなくスムースに自宅まで到着した。

帰り次第写真を現像しながら、早速Duke Ellington / 「女王組曲」を口直しに聴き直す、この曲は是非ダブルプッシュのラックスA-3500パワーアンプとIIILZMonitor Goldユーユニットで聴くが真空管アンプの仕様でより自然な演奏が楽しめる様に思う、一般的に優しい音なんで言われる方もおられる様ですが筆者が感じるのがより透明感が優れて演奏がより一層楽しめる様に思う、確かに一度真空管で聴くと手放せな点は大きいです。

「なぜ真空管を使うのか?」「一体、魅力とは何なのか?一度でも真面目に掘り下げたい議題でもあるが、筆者自身技術的に詳しくないので割愛させていただいてますが、肝心の音の魅力についてが一番気になるところですよね。再生帯域幅など、数値上でみれば明らかに最新の技術を使ったモデルのほうが性能が良い。
なのになぜあえて古典的な真空管のオーディオを使う人がいるのか?一般的によく言われるのが「無機質さのない人間らしい音楽性」「ぬくもり」を感じるのが真空管の魅力といえます。石のアンプから真空管アンプに変更した瞬時に思ったのが何故が懐かしい音が聴こえ思わず筆者の顔が綻んだ時を思いだす。
これは実際に聞き比べてもらわないと伝わりにくいのですが、角の立ためず、耳にスッと入ってくる音は他に変えがたいものがあります。
刺激的なファンファーレもジャズの要素が折り込まれ、エリントンらしいジャズ模様の王女に捧げた音楽性は流石である。



詳しく調べてみますと、次のように記事があります。1958 年、ヨークシャーの芸術祭で、デューク・エリントンがエリザベス 2 世女王に贈呈されました。彼らは王室の歓待を交換しながら、数分間レセプションラインを縛りました。私たちの公爵は女王陛下と丁寧に対談したそうです。その後まもなく、おそらくその夜、エリントンはクイーンズスイートの動きを概説しました. 彼は翌年、オーケストラと一緒にそれを録音し、女王陛下に送り、生前に公開することを断りました。エリザベス女王がそれを聞いたかどうかは明らかではありません。



エリントンは女王の組曲に特別な注意を払い、最終的に彼のオリジナルのスケッチに忠実になりました。その 6 つのエピソードは、彼の旅で遭遇した自然現象に触発されました。カナダの道端、そしてオハイオ川沿いのウシガエルの合唱を伴う何百ものイナゴマメのバレエ。エリントンの分身であるウィリアム・トーマス・ビリー・ストレイホーンは、アメリカ合衆国のジャズピアノ奏者はその夜そこにいませんでしたが、エリントンの説明から「稲妻虫とカエル」を作曲しました。勿論スタンダードナンバーの『A列車で行こう』の作曲者であり、 デューク・エリントンとの共同作業がよく知られている。



デューク・エリントンがビリー・ストレイホーンと一緒に書いた組曲は、ゆるやかに結びついていることがありました。クイーンズ スイートは、クラリネットの顕著な使用によって統一されており、その木質が自然のテーマを強化しています。エリントンは、「類人猿と孔雀」という楽章を通じて、それを彼の王室の主題に結び付けています。これらは、聖書のソロモン王に贈られた毎年恒例の賛辞の 1 つでした。君主の喜びのために提示された自然の驚異です。The Ellington Suites の新版に掲載されており、そのうちの 3 つが掲載されています。
Goutelas Suiteは、Strayhorn が亡くなった後の 1971 年に録音されました。それは、エリントンが数年前に参加した式典を記念したもので、復元された中世のシャトーの翼がフランスの丘で除幕されました。エリントンは日記の中で、田舎の貴族と庶民、つまり知識人、職人と労働者、カトリック教徒と共産主義者がすべてこのプロジェクトに団結した方法について温かく書いています。エリントンのオーケストラのコンセプトは、子供の頃に DC のビリヤード ホールでぶらぶらして学んだ、「すべてのレベルが混ざり合う可能性があり、また混ざり合うべきである」という同様の考えに基づいていました。



アルバムThe Ellington Suitesには、ウィスコンシン大学のフェスティバルのために作曲された1972 年の Uwis Suiteも含まれています。エリントンの斬新なポルカ「クロップ」で最もよく覚えられています。しかし、エリントンが録音した多くの電車の歌の最後である「ロコモディ」も含まれています。これは、1924 年の彼の最初のセッションから始まった伝統です。新しい編集により、フェードアウトまであと 3 分あります。スイートの一部ではありませんが、Uwis セッションから未発表の曲もあります。「The Kiss」は「Loco Madi」と同様に、リズム セクションにエレクトリック ベースが追加されています。それらのパフォーマンスはどちらも、アンサンブルの洗練のモデルではありません。しかし、すべてが女王のスイートであるとは限りませんが、死後のエリントンはすべて興味深いものです。
Duke Ellington / The Ellington Suites
「女王組曲」(1-6)、「グーテラス組曲」(7-12)、「ユーウィス組曲」(13-15)が集められたアルバム。とくに「女王組曲」は1958年エリザベス女王に謁見したエリントンがその感激から帰国後に全て自費で録音し、たった1枚だけをプレスして女王に献上した作品。
その後何度も発売の話が持ち込まれたがエリントンは最後まで承諾せず、没後2年経って発売されたもの。


パーソネル
 Duke Ellington (piano)
 Clark Terry, Cat Anderson, Shorty Baker, Ray Nance (trumpet)
 Britt Woodman,Quentin JacksonJohn Sanders (trombone)
 Johnny Hodges (alto sax)
 Jimmy Woode (bass)
 Jimmy Johnson (drums)...etc
曲目
 1. The Queen's Suite: Sunset And The Mocking Bird  <女王組曲> サンセット・アンド・ザ・モッキング・バード
 2. The Queen's Suite: Lightning Bugs And Frogs  <女王組曲> ライトニング・バグス・アンド・フロッグス
 3. The Queen's Suite: Le Sucrier Velours  <女王組曲> ル・スクリエール・ヴェルール
 4. The Queen's Suite: Northern Lights  <女王組曲> ノーザン・ライツ
 5. The Queen's Suite: The Single Petal Of A Rose  <女王組曲> ザ・シングル・ペタル・オブ・ア・ローズ
 6. The Queen's Suite: Apes And Peacocks  <女王組曲> エイプス・アンド・ピーコックス
 8. The Goutelas Suite: Goutelas  <グーテラス組曲> グーテラス
 9. The Goutelas Suite: Get-With-Itness  <グーテラス組曲> ゲット・ウィズ・イットネス
 10. The Goutelas Suite: Something  <グーテラス組曲> サムシング
 11. The Goutelas Suite: Having At It  <グーテラス組曲> ハヴィング・アット・イット
 12. The Goutelas Suite: Fanfare  <グーテラス組曲> ファンファーレ
 13. The Uwis Suite: Uwis  <ユーウィス組曲> ユーウィス
 14. The Uwis Suite: Klop  <ユーウィス組曲> クロップ
 15. The Uwis Suite: Loco Madi  <ユーウィス組曲> ロコ・マディ

エドワード・ケネディ・エリントンは、1899年4月29日、昭和天皇に2歳先んじてワシントンD.C.に生まれている。ホワイトハウスの黒人執事だったという黒人上層階級に属するエリントンの家庭環境は、“Duke”というあだ名が示しているような雰囲気を持っていたのだろう。

デュークは、7歳でピアノをはじめ10代に入ると作曲に取り組んでいる。そして、ほかの多くのミュージシャンと同じ、18歳で音楽を目指して学校を辞めている。ワシントンD.C.周辺で演奏を続けていたデュークは1923年、ニューヨークを目指して上京。当時、「ハリウッド・クラブ」と呼ばれたジャズクラブを根城に演奏を始めている。
1927年、「コットンクラブ」と契約を結び、安定した状況でバンドの音楽的な進化を進めていった。1931年2月にはここを辞して、死ぬまで続くことになるバンドツアーへと歩みを進めている。恐慌期を乗り切ったデュークは順調にバンドの発展を続け、アイヴィー・アンダーソンをフィーチャーしたテーマ曲“スイングしなけりゃ意味ないね”のヒットを飛ばす。長年の盟友であり、優れた作曲家、そして、デュークの最大の理解者であるBilly Strayhorに続き、不世出の天才ベース、Jimmy Blanton、テナーの最初のスター、Ben Websterが続いて入団。ここにデューク・エリントン楽団は最初のピークを迎えた。

Cootie Williams、Johnny Hodges、Harry Carney、ら綺羅星のようなメンバーが揃って1940年代にはデュークの理想のバンドが完成する。しかし、戦争が終わり「スイングの時代」が終焉、ビッグバンドは、経営難に陥っていった。
そして、1956年、ニューポート・ジャズフェスティバルに現れたデュークは、モダンに進化したエリントン・サウンドで観客を魅了した。その後、60年代は『Anatomy of a Murder』『Paris Blues』といった映画音楽や、 Frank Sinara との共演作品、さらに世界各国をツアーをしながら作った『極東組曲』といったアルバムによってエリントン・サウンドの表現領域を拡大していった。



そうした中、英国のエリザベス女王に捧げられ、後に『Ellington Suite』としてリリースされたのが『Royal Suite』だった。1973年1月8日に録音された、Joe Pass、 Ray Brown、 Louis Bellsonとの『Duke's Big Four』は最後期のエリントンの姿を捉えた作品。
こうして50年にわたってジャズ界を引っ張ってきた偉大なる存在、Edward Kennedy Ellingtonは、1974年5月24日、ニューヨークで永眠した。

じっくり「女王組曲」を聴きエリントンが演奏した曲でのエリザベス女王との偉大さ、その影響は、ジャズ音楽をはるかに超えてすべての音楽ジャンル、そして、アルヴィン・エイリーをはじめ多くの舞踏団、さらにクラシック界にも及ぶ。
音楽ってジャンルで分けらた世界でなく全て平和な世界が続くために神により造られた世界の様な気になってます、ブラボー!

サントリーCMソングの考案、「ウイスキーが、お好きでしょ」は、石川さゆりが1990年に発表した楽曲である。

2020年01月19日 | 日記


サントリーウイスキーのCMは昔から好きで良く聴く、この曲もCMに流れ始めもはや30年にもなる・・・
色々な歌手のカヴァーがあるが、やはり最初が一番に思うは筆者だけか・・・?でも私の愛飲するウイスキーの銘柄は他社の某メーカーではあるが・・・(笑)

最初のCDは「SAYURI」ででています。名前を明かさない所が洒落ている。ソプラノの美しい歌が聴こえた。


上記写真は発売当時の物のようです、今回購入のCDは下記の写真です。今年は彼女NHK大河の「麒麟が来る」の明智光秀の母に熱演し期待しましょう。
意外と色っぽい母親役が見どころ十分であり今後の母親役に目が離せません。


作詞:田口 俊、作曲:杉 真理(すぎ まさみち)、編曲:斎藤 毅(斎藤ネコ)。サントリーのウイスキー「サントリークレスト12年」のCMソングとして企画制作され、1990年から1991年にかけて使用された楽曲である。 
曲調が演歌ではないため、CM画面上のクレジット表記は「Song by SAYURI」とされ、後にシングルとしてリリースする際も「SAYURI」名義でリリースされた。

1991年2月21日には、SAYURI名義のシングル(カップリング曲:「あやまらなくていいの」作詞:田口俊・作曲:杉真理・編曲:羽田健太郎)としてリリースされた。


記憶に残るは井川遥のCM、忘れちゃならない大原麗子も、とてもキュートだった!


2007年から、「小雪」出演のサントリー角瓶のCMソングとしてリバイバル使用された。

サントリーは面白い会社です、例えばオールド等最初は実に美味しいウイスキーと思っていたが時を過ぎると徐々に味が落ちる。何故だろう、大量生産することで原料他同じものが使えず、生産するのだろうか?現在ウイスキー愛好者は減ったとも聞くウイスキーに限らずアルコール全体の消費量は減ったと言われる。

小さなことを述べるとお叱りを受けるが、筆者は同価格帯のウイスキーなら断然ニッカが美味い、でもコマーシャルはサントリーは優秀である。最も雰囲気重視の場合はサントリーで十分という判定なんだろう。


以降、現在までCMソングとして一貫して使用されている。サントリーのCMの旨さは舌を巻く。

しかし人間年を重ねるとお酒も少量で良い気持ちになる、勿論量も減るので、最近アルコールは料理に合わせ好きな銘柄を嗜んでいます。



又サントリーのCMは「大原麗子」は一番思い出に残る女優である。何故かいつの間にか死亡記事を読み驚いた次第である。

大原麗子で思い出すのは当時山崎パンの社長が大原麗子の大ファンで強引に自社のコマーシャルに大原麗子を起用し、どうだ「似合うだろう」と言ったが、今も筆者は似合わないと思っている事が記憶に残る。


石川さゆり自身2019年現在、過去41回出場中の「NHK紅白歌合戦」ではまだ一度も披露していないが、同じNHKテレビの歌謡番組では何度か歌唱している今後に期待したい。

2019年3月5日(火)、10月8日(火)放送の「うたコン」でも歌唱されたようだ。又、畠山美由紀、ゴスペラーズ、竹内まりや、ハナレグミ、田島貴(ORIGINALLOVE)、浜崎貴司、藤巻亮太らのカヴァーがあるが
やはり本命は「石川さゆり」のものが一番良い。最初聴いたとき・・・誰この澄みきった歌声はと思われた諸兄は多いともうが・・・・
テレビから流れる歌を聞いて、こう思われた方も多いのでは無かったでしょうか、あの石川さゆりだったんです。


実は、このCMソングが流れたのは1990年、同じくサントリーウイスキーのCMでした。

話は反れるが、オペラ歌手も自分たちの声を「楽器」と呼ぶと言うらしい、この楽器を使い40年以上使い続けやっと本物の良い音が出るようになると言われる楽器と仕上がるそうです。
思えば石川さゆりさんも丁度、声に一層艶がでて良い塩梅に聴こえる時代になって来たのかも知れない。


 ウイスキーが お好きでしょ
 もう少し しゃべりましょ
 ありふれた 話でしょ
 それで いいの 今は

 気まぐれな 星占(うらな)いが
 ふたりを めぐり逢わせ
 消えた 恋 とじこめた
 瓶を あけさせたの

 ウイスキーが お好きでしょ
 この店が 似合うでしょ
 あなたは 忘れたでしょ
 愛し合った事も
石川さゆりウイスキーが、お好きでしょを聴き透明度のある声にうっとりしています。
演歌らしさもなく、Jazz、いや上等のブルースを聴く感じが好印象、勿論CDも購入改めて聴くと、実に歌が上手い、大人の雰囲気漂う、聴いているだけでウイスキーが飲みたくなる楽曲、そしてウイスキーがより美味しく感じられる楽曲です。別にサントリー以外も大いに結構である。

デビュー1972年頃からレッスンを始め今年で48年目になるそうです。石川さゆりの楽器も丁度良い塩梅に鳴る楽器の時期になったようです。


最近は、ルパンのエンディング「ちゃんと言わなきゃ愛さない」も歌っています、是非お聴きください。


声の音出しでが抜群な、音が聴けるヴィンテージエンクロージャー
TANNOY IIILZ in Cabinet(Chevening)をひっそり聴くには、

色っぽく歌う「さゆり」は実にブラボーである!