伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

1950年代のジャズサウンドはジャズ音楽の宝庫かも知れない、当時夢中で聴いたディズニー・ソングを聴き直してみた。

2024年03月13日 | JAZZ・ボサノヴァ

最近まで偶に雪が混じったり天候は落ち着かないが、筆者の庭のシクラメンも頑張って花を咲かせ続けている。
最近体調も戻り相変わらず1950年代のジャズサウンドを楽しんでいるが、やはり当時1950〜60年代のジャズはジャズ音楽の宝庫かも知れない、当時夢中で聴いたディズニー・ソング演奏者別で聴き直し楽しんでみた。



庭の桃の花も満開となり、春はそこまで近づいた様でもある。

最近の世の中は狂っているのであろうか?支那は衝撃的な崩壊が始まっている様である、勿論ロシアも無駄なウクライナ侵攻にやがてロシア崩壊を定位しているようである。一番根が深いのはイスラエル問題であろう。筆者も宗教問題は全く理解出来ないが米国もユダヤの富豪を忖度した痛ましい限りというほかない。

米国に目を移せば親中売電政策は愈々終末を迎えるようそうでもある、確かにこの前の大統領選は郵便による投票でトランプから一気に売電に票が移り現在の状況になってはいるが、、、一番だらしの無いのが日本政府の岸田自民であろう、先頭に立って自民を踏み潰しているのであろうか、疑問視する。

先の戦争の敗戦で憲法まで勝手にアメリカに変えられた日本、もう自分の主張をし新しい制度を改めも良い時代になったのであろうと思うが、基本を考えれば米国などは高々300年前後の国であり日本の歴史とは全く違い善悪は十分承知する国であり、より良い世界を示す提案を掲げるべき時期が来たと思うが・・・。



米国の次なる大統領はトランプになる公算が強い、勿論大東亜戦争以前は米国も随分まともな国であった、財界に物言うフォードイズムがありモノ作りの大切さを掲げ、大量生産し国民にも手軽にT型フォードが購入できる様な政策を行い、国民の生活レベルをアップする事を行なってきた、勿論国民の憩いのための映画、遊園地等ディズニーも貢献した。そして世界一豊かな国になったのだ。トランプ大統領になれば必ずパリ協定は脱退するのであろう、大賛成でもある。

その後製造過程を賃金の安価な国えの意向により稼ぎ幅を増大された米国ユダヤ人が出回るニューヨークにユダヤ人移民が昔から集まってきたのは、ユダヤ人コミュニティーが確立されていることと、経済的な機会によります。1900年のニューヨークには、世界最大のユダヤ人コミュニティーがありました。とりわけ古くからお金の教育がしっかり行われてきているのが、ユダヤ系欧米人。世界を見渡すと、ゴールドマン・サックスやロスチャイルドなど、世界経済に大きな影響力を持ってきた大富豪の多くはユダヤ人です。Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグやGoogle創業者のラリー・ペイジ、スターバックス創業者のハワード・シュルツも、ユダヤ系アメリカ人です。



全てでは無いが、此の様な仕組みに美門を唱えれいるのがドナルド・ジョン・トランプであるが、誠に残念な事に亡くなった元安倍首相に変わる人物がいない事が誠に残念に思う、現在日本の悪の巣窟はマスゴミ(NHKは最悪であるが、民法もスポンサーに忖度、支那に忖度)の諸氏かもせれない。大変危機が迫っている状態であろう。
勿論日本も日露戦争でユダヤ人から借りた負債金額は昭和末期まで支払い続けた様であり、早い返済も交渉した様だが決して首は縦には振らなかったそうである。当社の約束は必ず守る掟があるのであろうか・・・?

気分転換に音楽でも聴き気分爽快にでもなり頭の切り替えは肝心でもあろう・・・?
上記の事柄でも話に出した実に馴染み強いディズニー・ソングを聴きましょう。



デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck )1920年12月6日米国カリフォルニア州コンコードの生まれ。ジャズ・ピアニスト。
現代音楽家のダリウス・ミヨーに師事した学究派。1951年にアルト奏者のポール・デスモンドを含むカルテットを結成。このバンドでカレッジ・コンサートを盛んに行ない、学生たちに支持された。変拍子ジャズの第一人者でもあり、同カルテットが1959年に放ったヒット曲「テイク・ファイヴ」は変拍子ジャズの代表曲としてあまりにも有名だ。代表作は前述曲を含むアルバム『タイム・アウト』。2012年12月5日、91歳で他界。

売り出し中の頃ザ・デイヴ・ブルーベック・カルテット(The Dave Brubeck Quartet)のデイヴ・ディグズ・ディズニー(DAVE DIGS DISNEY )このアルバムがレコーディングされた1957年当時、幼い子供を連れてツアーに出ていたデイヴ・ブルーベックは、クルマのなかでディズニーのレコードを繰り返し聴いていました。そのうちにコンサートのエンディングで「ハイ・ホー」を演奏するようになり、それまでになかったディズニーの楽曲ばかりを集めたアルバムの制作をしようと思ったといいます。
いまではディズニー・カヴァー集の名盤としてはもちろん、デイヴ・ブルーベックの別の意味での代表作としても有名です。

[収録曲]
DISC-1
 01.不思議の国のアリス
 02. 口笛吹いて
 03. ハイ・ホー
 04. 星に願いを
 05. いつか王子様が
 06. ワン・ソング
 07. 大変良い忠告
 08. これが恋かしら
DISC-2
 01.不思議の国のアリス(stereo version)
 02.口笛吹いて (stereo version)
 03.ハイ・ホー (stereo version)
 04.星に願いを (stereo version)
 05.いつか王子様が
 06.ワン・ソング (stereo version)
 07.大変良い忠告 (stereo version)
 08.これが恋かしら (stereo version)
 09.ハイ・ホー (stereo version)
 10.星に願いを 
 11.いつか王子様が
 12.これが恋かしら
 13.ワン・ソング (モノ・ヴァージョン)
[演奏]
 デイヴ・ブルーベック(p)
 ポール・デスモンド(as)
 ノーマン・ベイツ(b)
 ジョー・モレロ(ds)
[録音]
 1957年6月29日~8月29日

ディズニーのジャズ名盤としてずっと親しまれているデイヴ・ブルーベックの傑作。57年録音の本作はこれまでずっとモノラル音源が一般的に知られてきたが、《不思議の国のアリス/ハイ・ホー/いつか王子様が》など、ある意味、アナログから地デジ放送に変わったような鮮明さを体感しているようだ。

これも1957年に発表されたディズニーの名曲の数々を奏でたブルーベックの名盤が、まるでライヴを聴いているかのような臨場感をもった音楽史上ディズニーのカヴァー・アルバムをつくったのはデイヴ・ブルーベックが初であり、ジャンルをこえて世界中のファンに聴き継がれている20世紀の名盤がまた新たな魅力をもって甦ります。

筆者のお気にいれはいつか王子様が(Someday My Prince Will Come)この歌が映画のなかで最初に出てくるのは57分56秒のところで、そこでは、白雪姫が歓迎パーティーの席で小人たちから芸をせがまれて、ある若者(実は他国の王子)へのほのかな思いを歌っている。こののち、白雪姫がパイを作っている時、および、王子が白雪姫を連れて行く最後のシーンでも演奏される。



上記の写真はTANNOY Rectangular York(幅597x高さ1066x奥行368mm)の裏蓋を外した写真である、此の写真を見て思い付いた事がある・・・写真のエンクロージャー(箱)の真ん中辺りに算木があり筆者が思うにこれは強度をつけるための補給材料では無かろうかと推察する、Rectangular Yorkと比べ現在使用する筆者のGOODMANS AXIOM 80(幅510x高さ990x奥行330mm)と粗よく似た寸法である、若干厳密には低音が若干だがダブ付き気味の傾向が変わるかも知れない、補強材を追加検討の余地はありそうでもある。

勿論オーディオ機材については考えも及ばない箇所があり、同じユニットでもTANNOY社が作る箱とアメリカタンノイの箱では随分違い、音質も多分違う表現をするのであろう、此の様な簡単な補強で音が変化するかは疑問であるが、問題は一度確かめなければ判らない事と思うので暇を見つけ一度試そう、この辺りがオーディオの不可思議の箇所でもあろう一段と引き締まった低音の再現がされるのかも知れないと思わず期待してしまうのである。

兎も角一度実験で試みるつもりである、オリジナルTANNOY Rectangular Yorkの中身を見て思い付いた次第でもある、



次はマイルスの中期の作品で、当時の奥様である女優フランシス・テイラーがジャケットになっている人気盤。

こちらも名作と言えば名作・・・、と思うんです・・・。 やっぱり帝王らしい演奏は何度も聴くがお見事である・・・妙にマイルスお得意のミートのペット音がヤケに心に染みる此のアルバムでのピアノのエバンスも絶妙である。ジョン・コルトレーンがヨーロッパ・ツアーに帯同はしたものの、やっぱり退団しました。そしてその翌年、このアルバムは録音されました。
なんだかコルトレーンとマイルスはあんなに素晴らしいレコーディングをしてきたのに、コルトレーンがマイルス・バンドを辞めたがって、二人の関係ってけっこう悪くなったのかな?なんて心配に・・・いや、二人は仲良しであってほしいと思いました。

こんなにチャーミングなマイルスが、かつてアルバムに収められたことがあっただろうか。ディズニー・アニメ『白雪姫』の人気曲「いつか王子様が」を筆頭に、どこまでもメロディアスなサウンドが繰り広げられる人気盤。名ピアニスト=ウィントン・ケリーの好助演はもちろんのこと、ジョン・コルトレーンとマイルスの最後の共演を収めた作品としても計り知れない価値がある。ジャケット写真には当時のマイルス夫人が登場にも話題でした。

Someday My Prince Will Comeマイルスデイヴィス 1966年作。
■収録曲 
 1. SOMEDAY MY PRINCE WILL COME
 2. OLD FOLKS
 3. PFRANCING 
 4 DRAD - DOG
 5. TEO
 6. I THOUGHT ABOUT YOU
■パーソネル
 1958年5月26日
  マイルス・デイビス(tpt)
  キャノンボール・アダレイ(as)
  ジョン・コルトレーン(ts)
  ビル・エヴァンス(p)
  ポール・チェンバース(b)
  ジミー・コブ(dr)
 1961年3月7日、20日
  マイルス・デイビス(tpt)
  ハンク・モブレー(ts)
  ジョン・コルトレーン(ts)
  ウィントン・ケリー(p)
  ポール・チェンバース(b)
  ジミー・コブ(dr)

『Someday My Prince Will Come』(邦題『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』)を生み出したセッションがようやく復元され、この時期のマイルス・デイビスのバンドの性格の変遷が以前より明らかになった。解説によると「」ハンク・モブリーはブルース寄りのみごとなテナー・ソロを生み出している。しかし、ゲストのジョン・コルトレーン(これがデイビスとの最後のレコーディング)による別バージョンのタイトル曲やモーダルな「Teo」(邦題「テオ」)を聴くと、デイビスが不満だった理由がよくわかる。
コルトレーンは当時のほかのサックス奏者が持ち得なかった自信と虚勢を持って演奏しており、最初の音からバンドを高揚させている。さらにフィリー・ジョー・ジョーンズが加わって「Blues No.2」(邦題「ブルースNo.2」)で明瞭で変化に富んだ演奏を聴かせると、マイルス・グループの調子が今ひとつであるのがわかるだろう。それでもウィントン・ケリーの演奏は終始落ち着いている。「Pfrancing」(邦題「プフランシング」)はデイビスの最高にチャーミングで息の長い作品のひとつだし、「Old Folks」(邦題「オールド・フォークス」)と「I Thought About You」(邦題「アイ・ソート・アバウト・ユー」)のミュートトランペットは円熟の域に達している。」
デイビスの必須アルバムではないが、筆者には大変楽しめる可愛らしいアルバムではある。



真打登場か・・・?ジャズ・ピアノ・トリオ史上における世紀の大名盤とも言える、ビル・エヴァンス・トリオ『Portrait In Jazz』の紹介である。
スコット・ラファロ、ポール・モチアンとの黄金のトリオによる初のスタジオ録音作品としても名高いが、やはり一度は聴いてください。
 Portrait in Jazz
 1 降っても晴れても Come Rain or Come Shine 
 2 枯葉 (テイク1 / ステレオ) Autumn Leaves (Take 1 / Stereo) 
 3 枯葉 (テイク2 / モノラル) Autumn Leaves (Take 2 / Mono) 
 4 ウィッチクラフト Witchcraft 
 5 ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ When I Fall in Love 
 6 ペリズ・スコープ Peri's Scope 
 7 恋とは何でしょう? What Is This Thing Called Love? 
 8 スプリング・イズ・ヒア Spring Is Here 
 9 いつか王子様が Someday My Prince Will Come 
 10 ブルー・イン・グリーン (テイク3 / ステレオ) Blue in Green (Take 3 / Stereo) 
 11 ブルー・イン・グリーン (テイク2 / モノラル) Blue in Green (Take 2 / Mono)

 録音年:1959.12.28
 録音場所:ニューヨークにて録音
 パーソネル:
  スコット・ラファロ(b)
  ポール・モチアン(ds)
  ビル・エヴァンス(p)

ビル・エヴァンスが天才ベーシスト、スコット・ラファロと出会った最初の記録。ピアノ・トリオが織りなすスリルと緊張感に満ちたインタープレイが凄い。史上名高い<枯葉>を収録した歴史に残る大傑作でもある。
此の様な聴き方も実に面白い方法とも思えますしジャズ音楽の時代が最も栄えた時代だからこそ面白く興味ある音楽が楽しめます。ブラボ=!

意外と身近な処にジャズであった、ポール・ホワイトマン(Paul Whiteman)とジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)奇妙な関係を紐解く

2024年03月09日 | JAZZ・ボサノヴァ


最近の天候は三寒四温が続き春は未だ先の様ですが、庭には可愛らしい春の花、江戸の古典園芸を代表する花が開花した。「福寿草(フクジュソウ)」が咲き始めています二つの開花をみつけたり、別名元日草(ガンジツソウ)という別名もあり、鉢植えにしてお正月の飾り花に使われる。昭和初期ごろまでは併用して旧暦が使われていた名残でもあろう。現在の暦は先の大戦(大東亜戦争)以降である。

さて本日は今から紹介する音楽を聴いてジャズ派かクラシック派か何方であろうか考えてみませんか?



今は知らない方も多いと思うが、米国ポール・ホワイトマン(1890~1967)Paul Whitemanと言うポピュラー指揮者であり元・ABC放送音楽監督、名曲が誕生する背景はさまざまだが、有名な曲におよそガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」ほど、奇妙な話もないだろう。

調べると1924年頃の1月3日深夜、ガーシュウィンはビリヤードに興じていた。いっしょにいた兄アイラ・ガーシュインがたまたま新聞を見たところ、ポール・ホワイトマンがエオリアン・ホールで「現代音楽の実験」と題するコンサートを開くことが予告されていた。コンサートの曲目にはアーヴィング・バーリンやヴィクター・ハーバートらの作品に交じって、「現在作曲中のジョージ・ガーシュウィンのジャズ・コンチェルト」が含まれていると書かれていた。

全く寝耳に水のガーシュウィンは、翌日あわててホワイトマンに電話をかけた。ホワイトマンは本気だった。公演日は2月12日。時間がない。ガーシュウィンは急遽、新作に取り組まなければならなくなった。作曲者本人の手紙によれば、「ラプソディ・イン・ブルー」の曲想が生まれたのはボストン行きの汽車の中。リズミカルな機械音に刺激されて、突如として曲の構想が最初から最後まで思い浮かび、楽譜としてすら見えたという。つまり、この曲は隠れた鉄道名曲でもあるわけだ。
また途中に膨大な長いピアノソロも話題となった曲でもあり、ピアノソロはまるでジャズピアニストのアレンジによる即興だとも言われるが定かでは無い様である、当社初めてレコードを吹き込み時には当時EPレコードの為ピアノソロが相当カットされたと解説書には記してあるが真相は不明である。
此の様に歴史を見ると米国は白人社会に生成され250年程しか歴史は無い若い国である事がわかる、この辺りは日本とも事情が違う歴史背景が感じられる。



当初、曲は「アメリカン・ラプソディ」と題されていたが、アイラの発案で「ラプソディ・イン・ブルー」と改められることになった。これもクラリネットのグリッサンドに負けないくらい、曲の人気に貢献したはずだ。「アメリカン・ラプソディ」ではいかにも散文的で味気ない。「ラプソディ・イン・ブルー」のほうがずっと気が利いている。

アフリカから来た黒人の音階が憂いでその後何処となくブルーでブルースと呼ばれ、この音階をブルーノート・スケールという音階が出来ジャズやブルースに使われたと言われる、出だしから始まるクラリネットのリズムこそ正しくブルーノート・スケールが使われているのです。
ラプソディ・イン・ブルーを聴き素敵な演奏と思われる方はジャズ音楽がお好きな方であったのかも知れませんね!



レナード・バーンスタイン は、ユダヤ系アメリカ人の指揮者、作曲家であり、ピアニストとしても知られている。
ジャズとクラシックを行き来した作曲家といえばジョージ・ガーシュウィンがまず最初に出てきます。TVドラマやCMでもお馴染みの「ラプソディ・イン・ブルー」で彼のオーケストラ編曲を手助けしたのはジャズ・バンド・アレンジャーをしえていたグローフェでした。ジャンルの垣根を越えたクロス・オーバーの先駆ともいえる彼らのポピュラーな名曲を、これまたジャンルの横断を得意としていたバーンスタインの華麗な演奏は何度も聴きたい曲でもある。
JAZZの名匠ベニー・グッドマンと共演した自作「プレリュード、フーガとリフ」もボーナストラックとして収録しています。

ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー他
【曲目】
ガーシュウィン:
 1. ラプソディ・イン・ブルー
 2. パリのアメリカ人
 3. グローフェ: 組曲「グランド・キャニオン」
 4. バーンスタイン: プレリュード、フーガとリフ
【演奏】
 レナード・バーンスタイン(指揮)
 ベニー・グッドマン(クラリネット)(4)
 コロンビア交響楽団(1)
 ニューヨーク・フィルハーモニック(2,3)
 コロンビア・ジャズ・コンボ(4)
【録音】



作詞者:アイラ・ガーシュウィン作曲者:ジョージ・ガーシュウィン兄弟として有名である。
アイラ・ガーシュウィン(Ira Gershwin)
子供の頃から読書家で文芸趣味があり、一方で父親が買い与えたピアノには興味を示さなかったことから、このピアノは弟ジョージの音楽的才能を伸ばすことになった。学生時代には学生新聞などで執筆活動に取り組んだ。



ジョージ・ガーシュウィンGeorge Gershwin
初めてクラシック音楽に触れたのは、小学生のときに聴いたドヴォルザークの「ユーモレスク」だったとされる。父親はジョージが12歳の時、兄のアイラに音楽を学ばせようとピアノを買ってやったが、文学肌のアイラがピアノを弾かなかったため、代わってジョージがこれに親しむことになり、13歳の時から正式にピアノを習い始め、また、ヘンリー・カウエルに和声を習うようになった。しかし、少年期はいわゆる不良少年であり、女性関係も派手で、交際した女性を妊娠させたりといった騒動もあった。一方で黒人などの有色人種を差別しなかった。

アフリカ系アメリカ人キャストによるアフリカ系アメリカ人の生活を描いた歌劇『ポーギーとベス』を書いているように、アフリカン・アメリカン・ミュージックに造詣が深く、それが他のミュージカル作家たちとは異なる特徴になっています。また、ガーシュウィンはオーケストラ作品も手がけていますが、ジャズのサウンドを取り入れた「ラプソディ・イン・ブルー」はとくによく知られている一曲ですね。



筆者の好きなハンプトン・ホーズ(ピアノ)も『ザ・トリオ vol.1』を制作している事も有名である。粘りのある独特なタッチで、生き生きとした躍動感とダイナミズムあふれる彼のピアノは明るく、とても楽しい。モダン・ピアノの醍醐味を披露するピアノ・トリオの名盤とも思うが・・・スインギーで明るい躍動感あふれるピアノ。「恋とは何だろう」「ソー・イン・ラブ」などスタンダードの佳曲がりザクザクと盛り沢山でもある。
ジャズマンはみんなこの曲をリズム・チェンジとしてしか使わないというわけではありません、ハンプトン・ホーズはちゃんと「アイ・ガット・リズム」とタイトルを付けてそのメロディを演奏しています。
ハンプトン・ホーズ (Hampton Hawe)の名で知られるハンプトン・バーネット・ホーズ・ジュニア は、アフリカ系アメリカ人のジャズ・ピアニスト。ビバップやハード・バップのジャンルで活躍し、1950年代において最も優れた、また、影響力のあったピアニストの一人。

ハンプトン・ホーズ・トリオ Vol.1
 1.アイ・ガット・リズム (MONO)
 2.恋とは何でしょう
 3.ブルース・ザ・モスト 
 4.ソー・イン・ラヴ
 5.フィーリン・ファイン 
 6.ハンプス・ブルース
 7.イージー・リヴィング 
 8.オール・ザ・シングス・ユー・アー
 9.ジーズ・フーリッシュ・シングス
 10.キャリオカ
演奏
 ハンプトン・ホーズ(ピアノ)、
 レッド・ミッチェル(ベース)、
 チャック・トンプソン(ドラムス)
録音:1955年6月28日

ブルース弾きの名人、ハンプトン・ホーズのご機嫌なピアノが楽しめる彼のベスト・アルバムです。左手のコード・ワークが太いサウンドと独特の心地よい乗り(リズム感)を作り出し、中音域を中心とした右手のサウンドと合わさって、ホーズ独特のブルース・サウンドを醸成しています。



これぞジャズ界の巨匠、オスカ-ピ-タ-ソンの名演です!コール・ポーターの名曲をピーターソン弾きまくってくれる。最高に楽しめます!
音源は、1959年のアナログのマスター・テープだそうです。筆者の記憶によればLP盤と比べCD盤では若干レイ・ブラウンの低域(Bass)がやや強調されたような感じがしますが視聴には程よくベースのノリが大変良く感じます。
曲と演奏はピーターソンらしさ十分楽しめゴキゲンです勿論リラックスして楽しめるピアノトリオは最高です。一人の作曲家の作品を纏めて演奏してくれるのは有り難いですね。音質の良いピ-タ-ソンは数多くあるが、音楽が優れた作品としては上位に挙げられる作品でもあります。

オスカーピーターソンにはばりばり弾きまくるイメージがあると思うが、本番前の練習時には彼の周りは汗の飛んだ飛沫で床が濡れた話は有名であり、時にがんばりすぎる、のりすぎる、と思われているところもあるだろう。しかし同時に、誰かのバックに回ったときの素晴らしさも知られているところで、私は後ろに廻ったピーターソンをとても気に入っている。とても人を引き立てるのがうまいと思う。多くの有名なジャズのバックバンドには定評があります。

「Oscar Peterson Plays the George Gershwin Songbook」
編成が異なるトリオで吹き込んだ2枚のガーシュウィン作品集をカップリング。名旋律を題材に流麗なピーターソン節を楽しめる。

 1.It Ain't Necessarily So  2.The Man I Love 
 3.Love Walked In        4.I Was Doing All Right 
 5.A Foggy Day                     6.Oh, Lady, Be Good! 
 7.Love Is Here To Stay        8.They All Laughed 
 9.Let's Call The Whole Thing Off 
 10.Summertime      11.Nice Work If You Can Get It 
    12.Shall We Dance?           13.The Man I Love 
   14.Fascinating Rhythm       15.It Ain't Necessarily So 
   16.Somebody Loves Me     17.Strike Up The Band 
   18.I've Got A Crush On You 
   19.I Was Doing All Right      20.S Wonderful 
   21.Oh, Lady, Be Good! 
   22.I Got Rhythm 
   23.A Foggy Day                    24.Love Walked In

作詞者:アイラ・ガーシュウィン作曲者:ジョージ・ガーシュウィンの作品を編成が異なるトリオで吹き込んだガーシュウィン作品集は聴き心地が良い。流石と思わせる名旋律を題材に流麗なピーターソン節を楽しめる。
<パーソネル>
(1)-(12):オスカー・ピーターソン(p) レイ・ブラウン(b) エド・シグペン(ds)
1959年7月21日~8月1日、シカゴにて録音
(13)-(24):オスカー・ピーターソン(p) バーニー・ケッセル(g) レイ・ブラウン(b)
1959年11月~12月、ロサンジェルスにて録音

勿論上記にて紹介したハンプトン・ホーズ のピアノ演奏もアメリカの代表曲を巨匠ピアニストの豊かな感性で展開する価値の高い一枚である、戦後アメリカの良かった時代を彷彿させる本品は、年配音楽ファンだけでなく、すべての音楽ファンにお勧め。



前々から思うが、色々改良を施した筆者持参のTANNOYⅢLZ in GOODMAN AXIOM80Cabinetの低音の響きが冴えるピーターソン演奏もレーベルは勿論ヴァーヴ・レコードで、1956年にノーマン・グランツにより設立されたアメリカのジャズレコード会社の音と実によくマッチングしている様に思う、レイ・ブラウンの奏でるウットベースの響きは据え置き型のエンクロージャーでしか味わえない響きに釘付けである、この音には何か大人の魅力さえ感じる。

またオスカー・ピーターソン演奏の22.「アイ・ガット・リズム(I Got Rhythm)」上記の曲に比べれば知名度は少し下とも思うが・・、ジャズ・ファンならこの曲を絶対に、それも何度も色々な形で「間接的に」聴いているはずです。ガーシュウィン作品集にブラボー!

アルヴィン・ストーラー(Alvin Stoller)のドラミングが光る 『Coleman Hawkins Encounters Ben Webster』ジャズ演奏の考察

2024年03月06日 | JAZZ・ボサノヴァ


早朝6時頃起床し愛犬モジャ君と散歩を楽しむ、前日は雨模様でしたが早朝はとても寒いが曇空でした、モジャ君はサロンで毛を短くしすぎた様だが時期的にカットは一週間程早すぎた様である。上記写真は帰宅し暖かいシャワーを浴び部屋で寛ぐモジャ君です、バスローブの様な部屋着です。毛をドライヤーで乾かし、室内用の服を着させるとても可愛いでしょ!後は朝食を摂り水分補給をして布団で眠る何時もである。

3月になって庭の花桃の花も咲き始め春真近である、3月3日は桃の節句でもあり花桃を飾りちらし寿司を作り頂きました。娘のいた頃は飾った雛人形を一度和室に飾りたいとも思うが毎年挫折してしまう。



そして朝食、先ずは自分の部屋の暖房と真空管の電源を灯し、暖かいミルクにバナナを半分程と食事しながら、コーヒー豆を挽き手慣れた方式で美味しい珈琲(銘柄名は「いつもの珈琲」とタイトル名がある)をドリップする。淹れたての珈琲を持ち8時30分頃から自分お部屋に篭りYouTube配信のニュースチェックしブラックコーヒーを頂く、最近やたらと政治家さんの闇献金疑惑問題ばかりで逃げ回る岸田自民の面々は日本人の恥でもある、おまけに盛岡選出のエッフェル広瀬めぐみ参院議員等自民の不祥事は続く笑うにも笑えない状態である、その後勿論メールチェックも行い朝のルーティーンが終了する。

筆者が思う、最低の岸田と言えば元々宏池会だ、親中のメンバーが多く林官房長等は親子二代のバリバリの親中でもある、現在終焉が近い支那政府をIMFは巨額過ぎ手も出せない状況であり、また支那の政府は今一番怖がれている問題は支那の地方政府が関わっているシャドーバンキングであろう、融資平台、債務2,000兆円と言われるが信濃人民の多くは融資平台に投資している、地方政府のの関わりがあるが一般的には「地方政府闇金高利貸し」と言えば分かり易いのであろう。支那政府を世界から隔離して支那独自で解決せざるを得ない様子である。もしこれに関われば助けを出した所が潰れてしまう恐れがある、負債数字が大き過ぎ支那政府も公開しないのでほっておくしか無いのでしょう。この問題検討が闇献金疑惑問題より大切と思うが、如何に・・・?またこの様な背景の裏ではお隣韓国の金融鈍化が凄まじく、鈍感力の強い頑張る岸田も3月末韓国訪問してMLBでも観戦したらもう笑うしか無い・・・!

そして好きな音楽を聴く、やっと体調も回復し1957年録音のジャズ音楽を聴く、筆者の自宅にはブックシェルフ型ではあるが3種類の装置があるがLS3/5aのネットワークの部品の欠落により修理しなければならず現在は放置している後はKEF Q300とSPENDOR SP3/1Pを持つがジャズ音楽の視聴は筆者個人的はやや暖色系の音色のSPENDOR SP3/1Pが相性は良さそうである。特にスイングジャズ系統の曲には暖色系統がジャズを楽しむ秘訣でもあるのかも知れない、密閉箱のLS3/5aは優れたシステムのアンクロージャーではあるがSPENDOR SP3/1Pのバスレス型の開放感がジャズを満喫できる様である。



最近ショップで久々のジムラン(SANSUI SP-LE8T)初期型のシステムの修理完了品が試聴出来大変懐かしく試聴させたいただいたが筆者が記憶ある音質には聴こえなかった。多分筆者の頭が勝手にLE8Tの音を美化して空想した音は違った音に聴こえたのであろう、確かにジムラン特有の乾いたドラミングの音は実に迫力もあり生々しく聴こえるが想像する陰影ある鳴り方では無く違った意味での音であった、ジムランの音は想像の中でしか聴けない音の様でもある。
たしかにアルテック、ジムランに代表される独自の乾いた音、黒人の力強いドラミングの音のトレースは長けてはいるのだがジャズ独自のアンダーな部分は英国のユニットに部があるように感じられるこの頃でもある。
この様に感じたのは最近しばらく欧州(英国)の音ばかり聴き筆者の耳が欧州(英国)の音質が定番化となった事も影響するのであろうか・・・・・?



最近評論家のナット・ヘントフが明らかにしているように、コールマン・ホーキンスとベン・ウェブスターは実物以上の存在でした。恐るべき、禁断の存在でさえある彼らは、偉大な作家や画家が作品を通して語るように、自分たちの広大な人生経験を語る深みのある感情を演奏の中に明らかにしました。
これまでに録音された最も歴史的で最高のジャズレコードの決定版をオーディオファンに提供することを目指して、Verve Label Group と Universal Music Enterprises のオーディオファン向け Acoustic Sounds ヴァイナル再発行シリーズは、トップのマスタリング エンジニアのスキルと高品質レコードプレスの卓越した生産技術を活用しています。
この当時のスイングジャズは今聴くも新鮮で素晴らしい作品が多く、演奏者も実に多彩でこの頃のジャズは楽しい、以下の様な解説も見られる(1957年10月16日、この10年間で最も素晴らしいスタジオ セッションの 1 つが、ハリウッドにあるキャピトルの有名なスタジオで行われました。天才的なテナーサックス奏者コールマン・ホーキンスは、昼夜のほとんどをスタジオで過ごし、プロデューサーのノーマン・グランツとともにヴァーヴ・レコードの2枚の別々のアルバム『The Genius Of Coleman Hawkins』と『Coleman Hawkins Encounters Ben Webster』をレコーディングした。)



52歳のホーキンスはそこにいて、ピアニストのオスカー・ピーターソンのレギュラー・トリオであるハーブ・エリス(ギター)、レイ・ブラウン(ベース)、ドラマーのアルビン・ストーラーと共演していた。ミュージシャンたちは 12 曲を録音し、その名にふさわしい『The Genius Of Coleman Hawkins』でリリースされました。

アルヴィン・ストーラー(Alvin Stoller)はアメリカのジャズドラマーでした。彼はほとんど忘れられていたようですが、1940年代と1950年代に高く評価されました。彼は、ミッチ・ミラーの「テキサスの黄色いバラ」のレコーディングとスタン・フリーバーグのミラーのレコーディングのパロディーの両方でドラムを演奏することで最もよく知られていました。ストーラーはフランク・シナトラのお気に入りのパーカッショニストとなり、1958年までほぼすべてのシナトラのレコーディングで演奏した。スウィングドラマーの一任者でもあろう、実にドラムスがすばらしい。



筆者も此のドラマーはビリー・ホリディが亡くなる2年前の録音で、最盛期とは異なる枯れた歌声が魅力です。
タイトルはアラバマに星落ちて

ビリー・ホリデイ(vo)/ハリー・エディソン(tp)/ベン・ウェブスター(ts)/ジミー・ロウレス(p)/バーニー・ケッセル(g)/レッド・ミッチェル(b)/ジョー・モンドラゴン(b)/アルヴィン・ストーラー(ds)/ラリー・バンカー(ds)
このメンバーが並ぶと絢爛豪華なメンバーでもあり、ジャズ音楽の楽しさが想像できるほどでもある、ベン・ウェブスターやバーニー・ケッセルといった名手に支えられ名盤でもあるますがドラムのアルヴィン・ストーラーも光っています。



偉大なテナー2人の共演に、オスカー・ピーターソン・トリオとハーブ・エリスが加わるという、まさに夢のコラボレーション盤。バラードからブルース、ラテンまで、溶けてしまいそうなほどの極上のフィールで仕立て上げ、最上級の演奏と音質で贅沢なリラックスタイムを演出する最高の一枚。
偉大なテナー2人の共演に、オスカー・ピーターソン・トリオとハーブ・エリスが加わるという、まさに夢のコラボレーション盤。バラードからブルース、ラテンまで、溶けてしまいそうなほどの極上のフィールで仕立て上げ、最上級の演奏と音質で贅沢なリラックスタイムを演出する最高の一枚だと思う。尚3. La Rositaのドラミングは実に見事な音捌きの様に思う。

「ブルース・フォー・ヨランデ」では、2人のテナー奏者がシャッフルで戦い、ホーキンスがホーンで叫び、ウェブスターはより悲しげにそれに応えている。このレコードには、「イット・ネヴァー・エンターテッド・マイ・マインド」や「プリズナー・オブ・ラヴ」など、彼らの長く実り豊かなキャリアの中で最も美しいバラード演奏のいくつかが収録されている。ホーキンスは二人の中では不機嫌な人物だが、ウェブスターはとても魅力的なやり方で浮遊している。
「You'd Be So Nice To Come Home To」は激しくスイングしており、聴きながら足を軽くたたかないことはほぼ不可能であり、これはピーターソンのトリオが伴奏者として非常に需要があった理由も示しています。彼らは常に存在し、2 人のジャズの巨人が魔法を織り交ぜるための完璧なプラットフォームを提供します。
このリラックスした繊細な傑作は叙情性と温かさに満ちており、両方の特徴はハーモニーと複雑さに重点を置くモダン・ジャズではめったに見られないものです。ホーキンス&ウェブスターは、自分たちがその技術の達人であり、テナーサックス界の巨人であることを証明しています。
『The Genius Of Coleman Hawkins』が前菜だとしたら、 『Coleman Hawkins Encounters Ben Webster』はメインコースであり、すべてのジャズ愛好家のコレクションに加えられるべきものです。



コールマン・ホーキンス・エンカウンターズ・ベン・ウェブスター(Coleman Hawkins Encounters Ben Webster)
[収録曲]
  1. Blues for Yolandeブルース・フォー・ヨランデ
  2. It Never Entered My Mind それは決して私の心には入らなかった
  3. La Rosita ロジータ
  4. You'd Be So Nice to Come Home To 家に帰ってもいいですね
  5. Prisoner of Love 愛のとりこ
  6. Tangerine タンジェリン
  7. Shine On, Harvest Moonシャイン・オン・ハーベスト・ムーン
[パーソネル・録音]
  Coleman Hawkinsコールマン・ホーキンス (ts)
  Ben Websterベン・ウェブスター(ts)
  Oscar Petersonオスカー・ピーターソン (p)
  Herb Ellisハーブ・エリス (g)
  Ray Brownレイ・ブラウン (b)
  Alvin Stollerアルビン・ストーラー (ds)

  1957年10月16日録音。

まずは面子を見てみよう。タイトルから分かる通り、コールマン・ホーキンス(Coleman Hawkins)がベン・ウェブスターと並んでテナー2本の共演になっているところが大きく違う。その他のメンバーはオスカー・ピーターソン(ピアノ)、レイ・ブラウン(ベース)、ハーブ・エリス(ギター)が共通だが、ドラマーのアルヴィン・スト―ラーは『ソウルヴィル』からは入れ替わっている。メンバーのかなりの部分が同じであるせいか、全体に穏やかでメロウな雰囲気は共通していると言える。その上で、やはり聴きどころは、柔らかでクリアなコールマン・ホーキンスのテナーと、哀愁いっぱいのすすり泣くベン・ウェブスターのテナーの共演ということになるだろう。この2人にレスター・ヤングを加えて“3大テナー”と呼ばれたりもするぐらいだから、この共演をまずは楽しみたい盤だと思う。
この作品は60年前の作品でもある、現在のジャズプレイヤーに於いてこのジャズを凌ぐ様な演奏は聴けなくなった様に思う、当にこの時代こそジャズ音楽が開花した一番華やいだ時代かも知れない。ブラボー!

ジャズピアニストの紹介、毎日聴いても飽きない大人のウイントン・ケリーのピアノジャズを聴くPart II

2024年01月07日 | JAZZ・ボサノヴァ


2024年を迎え一月早々より北陸地方は被災し大変な状況になっている、一人でも多くの方が被災から無事救出される事を祈ります。また翌日には羽田空港にて衝突事故と続き大変な幕開けとなっている。



筆者は愛も変わらず早朝から愛犬モジャ君と散歩するが、早朝6時30分頃は日が昇り始め12月と比べ若干速くなって様に思う、今年は喪中につき初参り、正月料理等は控えてますので、いつもの様な生活を送ってます。
昔は1月15日が成人の日でしたがこの風習は、元服の儀を新年最初の満月に行う風習があり、それに由来しているためでと説はある様です。現在は1月内2週の月曜と定められた成人の日である。

勿論今年も平和で穏やかな徳を過ごせます様お祈りいたします。


かなり前の上げた記事内容だが再度聞き直して補足させていただきたい。以前からジャズピアニストとして愛聴する歳若くして亡くなった方の紹介です。
ウィントン・ケリー(Wynton Kelly)は、アメリカ合衆国のジャズピアニスト。ジャマイカ移民の息子で、ニューヨーク市ブルックリン生まれ。カナダのオンタリオ州トロントにて39歳で死去した。

特に良く言われたことは、早熟な天才肌と言われジャズの生命線ともいうべき「スイング感」については、「ナンバー1ピアニスト」という評価が、リスナーはもちろん、ミュージシャン間でも定着している。事実、スイング感がどういうものかを知りたかったらケリーを聴け、と言ってもいいほどに、そのプレイは軽快にスイングする。と言われているピアニストでもある。
彼が飛躍したのは1959年になって、ウィントン・ケリーは大きなチャンスをつかんだ。当時すでにジャズ・シーンにめざましい革新を起こしつつあった、マイルス・デイヴィスのグループに抜擢されたのだ。レッド・ガーランドに代わってのレギュラー・メンバー入りだった。


最近やはりジャズはLS3/5aで聴くのが好きだ、勿論アメリカ製のジムラン等とは違う鳴り方をするが、年代物の所謂クラシックJAZZを聴くのにはむしろこのような欧州型のLS3/5aの音が表情が豊かな鳴り方が好きである。

音の定位、特に高音が自然に伸び、バランスは実に優れた小さな密閉箱からは、意外と魅力的なリズムが楽しめる微妙な音も包み隠さず表現する処は流石に思う。但しウッドベースなど重低音が響く音は流石LS3/5a視聴では限界めいた感じはあり、大口径のユニットの組み合わせが良くその辺りの組み合わせが面白い。



しかし現在筆者が愛用するは10吋のIIILZ Monitor Goldユニットを中心にジャズ音楽も楽しんでます、LS3/5aも小さな割にはバランスも良く音質も良いのですが、ポール・チェンバースのようなウットベースの音は深みの違いがタンノイが勝る、或程度の部屋で聴くなら大型、据え置き型のエンクロージャーを勧める。

最近思うに50年〜60年台のジャズ音楽が盛んな頃と比べ、70年で以下以降急にジャズ音楽が衰退した様に思う、何故かこの頃麻薬が流行り、有名なジャズマンは麻薬に手を染めている、40歳台の死亡者も多く亡くなった事も原因だと思う、幸い麻薬に手を出さなかった演奏者はその後も活躍している。
白人社会との同居は何かに付け不満が多くストレスが重なった様でもありる。聞いた話ではアート・ブレーキーは来日し日本で優遇された話は有名である。



スインギーなタッチとブルージーなプレイが人気だったが、黒人特有の泥臭さは希薄で、ジャマイカ生まれが影響したのか、エキゾチックな響きとゆったりとしたビート感とともに、どことなくカラリとしたサウンドが特徴的といえる。

10代から当初はR&Bのピアニストとして活躍し、レイ・エイブラムズ、 セシル・ペイン、やがて1951年にダイナ・ワシントンの伴奏者となる。以降、レスター・ヤングやチャールズ・ミンガス、ディジー・ガレスピーらと共演しジャズシーンの表舞台に躍り出る。そしてマイルス・デイビスのコンボに参加したころには、モダン・ジャズ中堅ピアニストのNo.1プレーヤーと評され、才能を開花させた。


筆者が思うは、特に当時は有名なウィントン・ケリーと言えば枯葉であった。シャンソン(フランス語で歌の意である)の代表的な楽曲である枯葉を見事にジャズアレンジさせ小気味良いリズムに替え、見事なアレンジにより名曲ジャズの定番にもした功績は大きいと思う。

ピアノ・トリオ・ファン必携の名盤とも言われる、ハード・バップ時代のピアニストを聴いてジャズを目指したというミュージシャンの話はよく聴く。とくにこの時代で日本人に最も親しまれているのがウイントン・ケリーだろう。彼の「枯葉」はとりわけ有名で,永遠に記憶される名演である。何故か今聴くも実に新鮮に感じる事は名演奏の極みとも言えよう。珈琲の美味しさを感じる事は焙煎、豆の攪拌、そして淹れる温度等全てが肝心でありミルク、ジュガー入りでは珈琲の旨さは感じられないと同様に事かも知れない。

当時筆者もピックアームを降ろす事が楽しく聞いていた、マイルス・デイヴィス・グループの同僚ポール・チェンバース、ジミー・コブとの息もぴったり。「降っても晴れても」、「枯葉」などおなじみの名曲で小気味の良いフレーズを連発。是非このアルバムも加えたい一枚でもある。

枯葉
 1 降っても晴れても
 2 メイク・ザ・マン・ラヴ・ミー
 3 枯葉
 4 飾りの付いた四輪馬車
 5 ジョーズ・アヴェニュー
 6 サッシー
 7 ラヴ・アイヴ・ファウンド・ユー
 8 風と共に去りぬ
パーソネル
 ウィントン・ケリー(piano)
 ポール・チェンバース(bass #3-5,7,8)
 サム・ジョーンズ(bass #1,2,6)
 ジミー・コブ(drums)
 1961年7月20日(#3,5),21日(#1,2,4,6-8) ニューヨークにて録音
 (STEREO)



今聴くも確かに新鮮な感じが漂う、これは此れはケリーの魅力が凝縮したCDだ。録音から60年以上もたっているのにいまだに新鮮に響く。なんといってもケリーのその小粋なピアノ。粒の立った音、高域まで伸びた明るいタッチ、絶妙な間合いと突っ込みのバランス、如何にもケリー節らしいともいえるノリである。英国製のユニットで聴くもそのどれもがすばらしく感じた。
また、たとえ帝王マイルスのバンドに所属しても自分のスタイルを守り、決して必要以上の難解なプレイは行わず、ブルース・フィーリングが横溢した明快でシンプルなタッチと、スイング感溢れるメロディツクな表現に徹したところが評価されようである、。

59年にはジャズメンのスター、マイルスバンドにビル・エヴァンスの後釜として参加した。また、62年、ウエス・モンゴメリーの「フルハウス」や65年「スモーキン・アット・ザ・ハーフ・ノート」などにも参加したこれも名盤である。


ウィントン・ケリーはハード・バップ系パウエル派のピアニストの中でも人気者のひとりだが、その代表アルバムの一つのが、自身がリーダーとなった3枚目である本作『ケリー・ブルー(Kelly Blue)』で、モダン・ジャズの大人気盤でもある。

ホーン入りのセクステットによる3曲とトリオで演奏される5曲をカップリングしたもので、いずれの演奏でもスウィンギーでかつブルージーなハード・バップが楽しめる。


さて収録曲のうち、冒頭の印象的なイントロで始まる「1.ケリー・ブルー(Kelly Blue)」は、誰もが認める名曲・名演。特徴ある魅力的なテーマメロディが軽快に奏でられ、思わず口ずさみたくなるようなファンキーで、少しばかりキャッチーなフレーズが愛らしく感じられる。

ボビー・ジャスパーのフルートがとても印象的に使われていて、独特の雰囲気を創り上げるのに成功した曲だ。それぞれのソロはいたってストレートに演奏されていて、セクステット全体のバランスはファンキーでありながら泥臭くはならず、リラックスしたムードとなっている。軽快でセンス良い曲の構成と、ドライヴ感にあふれたアドリブのフレーズが好対照をなしている、とも言えようか・・・。



セクステットでのもうひとつの録音「5.キープ・イット・ムーヴィング(Keep It Moving)」では、ナット・アダレーがイイ味を出しており、やはりソフトで丸みのある、コルネットという楽器の音色には癒されるものがある。

ケリーについてこの様な毛メントを残している方もお見えになる、ケリーの特徴を簡単に言えば、健康優良児的な、脳天気といってもいいようなハッピーなコロコロと明るく転がるようにフレーズがスイングする。 端正に転がるようにスイングするのではなく、独特の揺らぎをもって、この「揺らぎ」が翳りとなってスイングする。如何にも自然にスイングする様は矢張り一流プレイヤーなのであろう。



1959年リバーサイドの録音で全てにバランスのとれた秀作。共演はコルネットがナット・アダレイ、テナーがベニー・ゴルソン、フルートがボビー・ジェスパー、ベースがポール・チェンバース、ドラムがジミー・コブ。自分のリーダー作として伸び伸びと自由に制作された音が実にすがすがしい。


 1. Kelly Blue ケリー・ブルー(10:42)
 2. Softly, As In A Morning Sunrise 朝日のようにさわやかに(6:29)
 3. On Green Dolphin Street オン・グリーン・ドルフィン・ストリート(4:40)
 4. Willow Weep For Me 柳よ泣いておくれ(6:04)
 5. Keep It Moving – (take 4) キープ・イット・ムーヴィング (テイク4)(7:30)
 6. Old Clothes オールド・クローズ(7:40)
以下、CDボーナス・トラック
 7. Do Nothin’ Till You Hear From Me ドゥ・ナッシン・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー (ボーナス・トラック)(4:22)
 8. Keep It Moving (take 3) キープ・イット・ムーヴィング (テイク3) (ボーナス・トラック)(8:43)
  1.5.8.:ウイントン・ケリー Wynton Kelly (p)
               ナット・アダレイ Nat Adderley (cor)
               ベニー・ゴルソン Benny Golson (ts)
               ボビー・ジャスパー Bobby Jasper (fl)
               ポール・チェンバース Paul Chambers (b)
               ジミー・コブ Jimmy Cobb (ds)
1959年2月19日NY録音。
2.3.4.6.7.: ウイントン・ケリー Wynton Kelly (p)
                  ポール・チェンバース Paul Chambers (b)、
                  ジミー・コブ Jimmy Cobb (ds)
1959年3月10日NY録音。


オン・グリーン・ドルフィン・ストリート(On Green Dolphin Street)」は、このちょっと変則的なリズムと旋律を持つ曲に、ケリーのピアノはピタリとハマる。この曲も、デューク・ジョーダンらを思い浮かべる人がいると思うが、ここでのケリーの演奏もなかなかイイ感じである。

この曲は、レッド・ガーランドの『ブライト・アンド・ブリージー所蔵の同曲や、ビル・エヴァンスの『グリーン・ドルフィン・ストリート』と聴き比べてみるのも面白いし、後述のマイルスの評価がなるほど正しいと思えてくる。



ケリーの演奏は全体にわたり、単に明快なだけではなくグルーヴィな味がある。原則として音数は少なくシンプルな響きだが、その背後に、ブルージーな翳りが垣間見えるところも魅力的。
しかし明るさとファンキーな香りを常に失わないところに、彼の特徴がある。

亡くなったのは1972年4月12日でから52前であるが、今聴くも新鮮に聴こえるケリーの味のあるジャズピアノに、ブラボー!

流石古いが1956年のアルバムで筆者好みのModern Jazz Quarteのジャズを聴き直す。

2023年12月02日 | JAZZ・ボサノヴァ


最近筆者の音響機器は全く進展はないが、ある程度エージングが馴染み安定した音が聴けるようになった様にも感じる。久しぶりに各々の接続端子に接点復活剤を丁寧に塗布して試聴する、筆者の所有する音響機器が良く聴こえる音楽が圧倒的に多くなるのですが・・・、久しぶりに筆者好みのモダン・ジャズ・カルテット(Modern Jazz Quarte)を聴く。今回紹介の「Fontessa」はスタンダードとオリジナルをバランス良く収録しMJQのサウンドが一発で伝わる作品になっています!

英国製のタンノイも三極管真空管アンプとの相性は良く、ハードなジャズは苦手ではあるが、この様なジャズが意外とお得意のソースで、聴き心地も大変よろしい様です。
一般にはクラシック音楽再生の音響機器をお持ちの方も一度聴けばそれなりに良いとされる事が多いと聞きます。



実にシャープなミルト・ジャクソンのヴィブラフォンの鳴り方も心地良い音色に舌を巻く。タンノイでジャズを聴く音楽としてはModern Jazz Quarteの音にはリラックス出来るは請け合いである。
このグループは当初ビブラフォン奏者 Milt Jacksonを中心に1952年結成されたグループです。もともとはMilt Jackson Quartetというグループで活動していたのをModern Jazzとして改名したそうです。筆者の20代前半(1968年頃)にジャズを聴きだす頃から、勧められたのがM・J・Qであった。当時は随分前に発売された「Django」のLPは当然販売していた、それ依頼時々は購入したがその後MODERN JAZZ QUARTET / Fontessaは当時夢中になったLPでもある。



MJQのフォンテッサは1956年にそれまで所属した"Prestige"ら"ATLANTIC"レコードへの移籍1弾目の意欲的なアルバムで、表題の"Fontessa"は現在もなお各地で上演され続けている 16世紀イタリア・ ルネッサンスの仮面を使用する即興演劇の一形態である コンメディア・デッラルテに啓発され、ジョン・ルイスが小組曲として作曲した大作で、このアルバム・ジャケットに描かれた4名の登場人物をモチーフとして作曲したことをジョン・ルイス自らが、LPレコードの解説で説明しております。

Fontessa
 1. Versailles (Porte De Versailles)
 
  Bass – Percy Heath
  Drums – Connie Kay
  Piano – John Lewis
  Vibraphone – Milt Jackson
実に馴染み深いミルト・ジャクソン(ヴィブラフォン)、ジョン・ルイス(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)、コニー・ケイ(ドラムス)から成るモダン・ジャズ・カルテット。
1956年の本作は、アトランティックに移籍後第1弾のアルバムで、彼らの最高傑作との声も高い1枚だと思います。
ルネッサンス喜劇を題材にした11分にも及ぶ大作「Fontessa」、ルイスが抱く欧州への憧憬が感じ取れる「Versailles」等のオリジナル曲をはじめ、「Angel Eyes」や「Over The Rainbow(虹の彼方へ)」、「Willow Weep For Me」といったスタンダードを収録。密かな熱を孕みながらもクールさを保った演奏、優雅で知的な室内楽ジャズの名盤で今も思い出したまに愛聴しています。



以前にも紹介したが筆者好みのジャズ演奏者の中でも比較的上位の位置をキープしているメンバーのThe Modern Jazz Quartet(モダン・ジャズ・カルテット)は、アメリカ合衆国のジャズバンドで1952年にミルト・ジャクソンらによって結成された。結成前の1951年にはミルト・ジャクソン・カルテットと名乗っていた。略称は両方とも「MJQ」である。
1946年にミルト・ジャクソン(vib)がジョン・ルイス(p)、レイ・ブラウン(b)、ケニー・クラーク(ds)とカルテットを結成。
52年の末にブラウンの後任としてパーシー・ヒース(b)が参加し、正式にモダン・ジャズ・カルテットと名称を変更。55年クラークの後任としてコニー・ケイ(ds)が加わり74年まで活動した。その後何度か再結成されたが、94年に正式解散。室内楽風ジャズとしてクラシック・ファンにも人気が高い。



筆者が何故10吋のタンノイのユニットでジャズを聴く様になったかを打ち明けると、英国製スピーカーは日本でも大変ファンは多く、それぞれ独自の個性をもった音がファンがいる。しかし、それらのファンはクラシック・ファンが圧倒的に多く、英国スピーカーはジャズの世界では全くといってよいほど冷遇されてきた。何故だろうか? それなりの理由がたしかにあったのかもしれない。兎に角ジャズドラムの再現は全く不利であり。ジムラン、アルテックには敵わないが、その理由を証明するにはスピーカーというものが、一連の電気音響機器の中で特別にソフトウェアーとしての性格の濃いものであると思う、そこで、英国系のスピーカーには、どうしてもクラシック音楽のイメージが強いとされ、今や、英国も、ビートルズを生み、ミニスカートをつくる国である(少し古いが)、特に輸出によってお金を嫁ぐことに熱心なことは英国フェアでもよく承知している。英国がその古い伝統と、高度な産業技術を、クラフトマンシップを生かしてつくり上げた製品は、筋金入りの名品が多く、しかもお客の望みを十分に叶えてくれるサービス精神にもとんでいる。
どちらかと言えば重厚明媚を兼備えた憎い音を出す。これでジャズを聴くと、実に新鮮な迫力に満ちた音が聴ける。現在はオリジナルのIIILZ in Cabinet mkIIではベースの音の再現は難がありアコースティック・レジスタンス・ユニット装置付きのGOODMANS AXIOM 80の箱に挿れた結果が良い効果を出している。
最近はジャズの音も多様性をもってきた様でヨーロッパ録音もはある。英国系のスピーカーでの再生は違った意味での楽しみ方になるのかもしれないと思った次第である。



フランスが生んだ最も偉大なジャズメン、ジャンゴ・ラインハルトに捧げたジョン・ルイスの作品をタイトル化したMJQ初期の代表作。
先に、バードバップ色を持ちながらも次第に独自の音色とサウンドに挑戦しつつあったMJQ、ドラマーはまだケニー・クラークがクレジットされている。
「ジャンゴ」での対位法的なベース・ラインはそれ以降の典型的なアプローチとなった。

M.J.Q.ことモダン・ジャズ・カルテットの1953~1955年録音盤がある、このメンバーのファンも当時からクラシック・ファンにも人気が高いと言われた、確かにトランジェットの根毛の良さも大変美しいミルト・ジャクソンのヴィブラフォン (Vibraphone)は、金属製の音板をもつ鍵盤打楽器で、鉄琴の一種。ヴァイブラフォンや、略してヴァイブと言うが抜けの良い音は好きな部類の音でもある。
確かにこの様なジャズ音楽は欧州のオーディオ装置で聴くも実に雰囲気にあって入り様に感じる、録音も古いが最新お音質と比べ若干の物足りなさは感じるがBGM的にもよくリラックスできる演奏でもある。

ピアノのジョン・ルイスをはじめ、クラシックの要素を多分に含んだメンバーの音楽性に、セッションではなくアンサンブルを聴かせる楽団としての魅力を見出したのかも知れません。高度でありながら実に心地よいというMJQの稀有な音楽性は、このアルバムの時点ですでに確立されていました。

MJQNO魅力のその理由は先ずは、クラシックファンにも聴き易い、MJQの音楽はおおむね穏やかで耳に心地よいものが多い様です。勿論、BGMとして聞き流すことも可能です。ただ、肝心な事は彼らの音楽は聴き易いだけでは無く、豊かな音楽世界を持っていますので本気で聴きたい方も満足できるのものなのです。 
特にクラシックを聴いてある方に違和感なく聴けるJAZZになっています。
何故ならMJQが目指した音楽のコンセプトの一つが「ジャズとクラシックの融合」だったのです。下記の写真はカーネホールで初めて着た様な燕尾服での演奏は懐かしく思います。



モダン・ジャズ・カルテット(Modern Jazz Quarte)

John Lewis(ジョン・ルイス)1920年5月3日米国イリノイ州ラグランジ生まれ。2001年3月29日死去。ジャズ・ピアニスト。兵役中にケニー・クラークと出会い、ニューヨークに進出。ディジー・ガレスピー楽団でデビュー。チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィスと共演後、52年にMJQを結成し、リーダー格として活躍する。74年に解散するものの、81年に再結成。エモーショナルな感じはあまり無いが、優雅に奥深さを感じさせるピアニスト。

確かに音質は古く最新の録音した物と比べ決して良くないが、じっくり聴けばMJQ独特のジャズ音楽の独自の音が堪らなく懐かしい、筆者のような古いユニットを使うマニアにとっては、MJQの音楽を聴いた瞬間に最初に聴いたヴィブラフォンの足らんジェットの良さを感じるのであろう、正にMJQのジャズ音楽が蘇る瞬間でもあろう、最新のユニットでは味わえない懐かしい音が聴ける様である。


Milt Jackson(ミルト・ジャクソン)ジャズの歴史の中で最高の人気を誇るヴィブラフォン奏者。1923年に米国デトロイトで生まれ、7歳でピアノを学び、数年後にはヴァイブを演奏するようになった。ディジー・ガレスピーに才能を見出され彼のビッグ・バンドで活躍。チャーリー・パーカーやセロニアス・モンクらと共演を重ね、1946年にジョン・ルイスらとモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)を結成。様々な層から受け入れられ、長年に渡り圧倒的人気を誇る。99年に死去するまで様々な名演を残した。


Percy Heath(パーシー・ヒース)1923年4月30日生まれ、米・ノースカロライナ州出身のジャズ・ベーシスト。クラリネット奏者の父、教会の合唱隊所属の母のもとで育つ。テナーサックス奏者のジミー・ヒース、ドラマーのアルバート・ヒースは兄弟。8歳でヴァイオリンを始める。兵役を経て、グラノフ音楽学校入学後、ジャズクラブで演奏を開始。40年代後半にニューヨークへ移り、弟ジミーとディジー・ガレスピーのバンドに参加。52年にモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)に加入。75年にはジミー、アルバートらとヒース・ブラザーズを結成。2003年に初のリーダー作『ラヴ・ソング』を発表。2005年4月28日に骨肉腫のためニューヨーク州サウサンプトンにて死去。81歳没。


Connie Kay(コニー・ケイ)1927年4月27日生まれ、米・ニューヨーク州タッカホー出身のジャズ・ドラマー。ドラムは独学で習得し、レスター・ヤングのクインテットに参加して経験を積む。ドラムセットに多様なパーカッション類を加えていたことでも知られる。55年、モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)にケニー・クラークに代わる2代目ドラマーとして加入。74年のグループ解散、および後に数度行なわれた再結成に至るまでメンバーとして活動。ヴァン・モリスンのサポート・ドラマーでの『アストラル・ウィークス』ほか、重要な仕事を残す。1994年11月30日に病没。


久しぶりにApple MusicでMJQを検索すると「Modern Jazz Quartet: Essential 10」(Modern Jazz Quartet feat.)ミルト・ジャクソン, ジョン・ルイス, パーシー・ヒース & ケニー・クラークの新譜があり内容を見るともちろん知った曲が注入されてます。



 1.Django           07:03
 2.One Bass Hit         02:59
 3.La Ronde Suite / Piano    01:46
 4.La Ronde Suite / Bass        02:53
 5.La Ronde Suite / Vibes.           02:12
 6.La Ronde Suite / Drums.         02:37
 7.The Queen's Fancy.                 03:12
 8.Delaunay's Dilemma               03:57
 9.Autumn in New York               03:39
 10.But Not for Me.                      03:43

 Modern Jazz Quartet
 John Lewis(ジョン・ルイス)ピアノ
 Milt Jackson(ミルト・ジャクソン)ヴィブラフォン
 Percy Heath(パーシー・ヒース)ベース
 Connie Kay(コニー・ケイ)ドラム

特に本編のMJQの様なジャズは欧州製品のオーデォーオ愛好家でも十分楽しめる、いや実にニュアンス豊かな音はむしろ英国産の装置で聴くにはむしろ適している様に思えてならない。先日映画館に行った時少々の時間があったので本屋に立ち寄り最新のステレオサウンド誌(ヴィンテージ・アナログ 復刻版 (別冊ステレオサウンド)を立ち読みしたが未だ古い機器が排外な値段で販売されている事を覗き見する、むしろ高齢者しかいない趣味の世界の様にも感じている。



確かに聴いた瞬間に分かる音の分離の良さ、ヴィブラフォンのトランジェットの良さ多分最新のテクノロジーを駆使し、再録音して仕上げた物であろう。録音技術も日々進化している様でもある。しかし聴くうちに何故か違った音の様に気づく、1953年6月25日、ニューヨーク、1954年12月23日、1955年1月9日、ニュージャージーにて録音した当初の録音も聴きたくなる。
最新の物は筆者にはキレが良過ぎてふくよか差不足を感じる。何故なんであろう・・・、当初のジャンゴを掛けると先ずはジョン・ルイスのピアノが流れる瞬時に、あ!この音だと感じるのである、人の匂いを感じる演奏なのである。ピアノの音質の差がが実に分かりやすい。もちろんミルト・ジャクソンのヴィブラフォンの音もそれなりに適度なバランスの良い音が鳴ったことに何故か安心感さえ感ずるのである。誠にオリジナルの音には敵いませんでした。


 
 1.ジャンゴ Django
 2 ワン・ベース・ヒット One Bass Hit 
 3 ラ・ロンド組曲(A: ピアノ / B: ベース / C: ヴァイブ / D: ドラムス) La Ronde Suite A: Piano / B: Bass / C: Vibes / D: Drums 
 4 ザ・クイーンズ・ファンシー The Queen's Fancy 
 5 デローネイのジレンマ Delaunay's Dilemma 
 6 ニューヨークの秋 Autumn In New York 
 7 バット・ノット・フォー・ミー But Not for Me 
 8 ミラノ Milano
1954年度盤を試聴してやっと落ち着くのであった。ピアノ音の安定感、ベース、ドラムの微妙な音の出し方など違った曲にも感じる、如何にバランスが大切なことかが分かる、音が良いと音楽が良いでは随分違う様に思う、筆者の10吋のタンノイのユニットは実にこの箱とのマッチする仕事をしている様である。
ここで思うは余り音が良過ぎても耳が拒否する様に思う、録音技師も音楽芸術性を理解しそれを仕上げなければならない事が仕事とは申せ大変な苦労でもある。確かにこの時代のジャズは大変幅が広く多彩に変化した時代でもあった。勿論この時代にしか聴けない深みのある様にも感ずる、興味あるジャズ音楽は未だに多くある様だ、暫くはこの時代のジャズを今の機材で楽しんでみようと思っている次第でもあります。

齢75過ぎの駄耳の老人が胸の熱くなる音は未だ体験する事が出来る、音楽を愛好する大事さが今蘇る思いなのである。勿論音楽はそう時代の音も味わう楽しむあると染み染み体感する事になった。このアルバムジャンゴ、Fontessaは典雅で斬新な演奏でMJQの名声を決定づけた不朽の名盤であろう。ブラボー!