伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

KEFのQ100で聴く・・・バッハのフーガの技法をオルガンでで聴いた!

2016年09月24日 | バロック音楽・オーディオ一般

今日も朝から雨が降り秋の長雨です。

何時もの近くの珈琲店でコナ珈琲を購入する。

次回購入はコナブレンドじゃなく、コナ珈琲を購入してみよう。早速珈琲を挽き、 じっくり入れて香りを楽しみながら、朝の一杯を頂きます。実は此処のコナの味に疑問を感じ、あの独特の旨味が薄い?

違う所で購入しコナを味わって比べて見たいと思った。

 The Art of Fugueニ短調 BWV1080

トン・コープマンが来日するそうですが、生憎 席がとれませんでした、前にも紹介したフーガの技法について 再度聴いて見ました。やはりここはクラブサンの演奏が筆者には何故か一番安心出来ます。

今後オーディオ装置が変わっても此の聴き方は変わらないとは思います。

それと最近、筆者が思う事は、バッハが生涯の創作の大半を費やした声楽曲を知らずに彼を語る事は出来ないのだとも思いす。そこには器楽作品とはまた違ったもう一つの宇宙が存在するからなのです。

この作品は楽器の指定がありません。かつてはオーケストラで演奏した版(クルト・レーデル指揮・ブロ・アルテ管弦楽団が有名)もありましたが、

現在では、チェンバロ演奏を念頭に置いて、作曲されたと言われています。

単純フーガから始まり、主題を180度回転させたフーガ、楽譜を鏡に映したような反行フーガ、音符の長さを短くした縮小フーガ、 長くした拡大フーガなど、この作品の中にはルネサンス期から発達したリチェルカーレという対位法形式を、さらに発展させたフーガという音楽形式のすべてがあります。

 Johann Sebastian Bach - L'art de la Fugue (Gustav Leonhardt)

グスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt オランダ語発音, 1928年5月30日 - 2012年1月16日)は、オランダの鍵盤楽器奏者・指揮者・教育者・音楽学者。
ピリオド楽器による古楽演奏運動のパイオニアにして中心人物であった。

次はレオンハルトの弟子、トン・コープマンは4声のフーガは全て奥さんのティニ・マトーと2台のチェンバロで演奏しています。装飾音を多用し、初めはゆっくり、次第にアップテンポのなるコープマンらしい調子の良い演奏です。

J. S. Bach - The Art of Fugue, BWV 1080 - T. Koopman and T. Mathot

 この《フーガの技法》の方が、聴けば聴くほど不思議な魅力が漂い、 曲の内部へ引き込まれてしまいそうになる。

此れがフーガの技法を解き明かす鍵になる曲ですかね?

J.S. Bach - Crab Canon on a Möbius Strip

実は拙宅のシステムではオルガン曲は低音不足で余り聞こうともしなかったんですが、今回はオルガンの音色も聴いて見ましたが、此れが以外と鳴るんですヨ。

実は人間の耳は大変都合よく出来ていまして、この様な小さなエンクロージャーから出る音色もオルガンの重低音をそれなりに受け入れる音に錯覚させてしまい頭を変換させるようです。勿論装置が大きくなればそれなりに迫力は増しますが一応それらしく受け入れるそうです。

勿論重低音は鳴りませんがパイプオルガンのあの神聖で開放感のある音は確かに聴けます。でも欲を言えばこの一つ上の機種で聴きたいのが本音である。

オルガンにはマニュアル(手鍵盤)が三段あり、それにペダル(足鍵盤)がつく。三段の手鍵盤は、下がグラントルグ鍵盤、 中段がポジティブ鍵盤、上がレシ鍵盤となり、グラントルグ(管のふとい、いわゆるオルガンらしい音色をもつ)とポジティブ鍵盤(管ほそく、フルート的音色が主体)の二段鍵盤式は、バッハ時代におもに使用されたそうだ。

 大規模な頭の上から音が降って来るようなオルガンの音を想像するが音楽として考えれば、そこそこの装置で 十分聴こえるし、でもそれは想像力を豊かにすればむしろフーガの技法こそはオルガンで聴くのが理解度が強く感じのは筆者だけであろうか?

むしろクラブサンの音の再現のがより難しい、弦を引っ掻いて鳴らす高音の再現はかなり厳しいと思う、小宇宙のようなフーガの技法を楽しむなら、まさに打って付けの楽器かも知れません。

只あの圧倒的なパイプオルガンの低音を望むなら馬鹿でかい装置のエンクロージャーがいるわけですが?音楽愛好家ならそこそこの装置でもバッハ、ヘンデルやフランクのオルガン曲を楽しめます。

肝心なことは多くの名曲を良い演奏者で音楽を聴くことです。何度も聴いていうちに自分のものになるようです。

アンドレ・イゾワールは、フランス生まれ。

セザール・フランク音楽学校にてオルガンをエドゥアール・スーベルビエルに、ピアノをジェルメーヌ・ムニエに師事しました。

アンドレ・イゾワールは実にスッキリした音色で 聴いて心地良いんです。当に宇宙空間で小宇宙にだあった感がします。此れはピアノの音では無理なんですね?新に音楽的で美しいフレージング、精確なアーティキュレーション」と絶賛された名盤。

イゾワールは曲順にもこだわりを見せ、フーガの構造などを考慮しながら曲順を再構築。大きな流れが生まれ、一つのまとまりのある傑作として「フーガの技法」を再提示しています。YouTubeでの配信はありませんがBWV578でお楽しみください。

J.S.Bach BWV578"Little" Andre Isoir

最後に、バロック時代は「歪な真珠」の如く、“自由で自発的な演奏”という言葉をある時期から良く耳にします。

イタリア様式にはまさにその通りだと頷けるものが殆どなのですが、バッハのある種の作品には一括りにしてそれを持ち込んではならない例外もあるのだと筆者は思っているのですが 如何でしょう?・・・・・・・・・・

当に制約のない制約なんでしょうか?ブラボー!