伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

今や梅の見頃、近くの公園に寒梅に出かける。午後はゆっくりメジューエワのインヴェンションとシンフォニアを検証する。

2021年02月21日 | バロック音楽・オーディオ一般

最近又検査が多く、先日も大腸癌検診にてポリープを摘出し精密検査中で検査結果は後日連絡があるそうだが、もう癌はたくさんだ!何個もポリープがあるため提出しなくてはならない、実に憂鬱である。

武漢ウイルスのワクチン接種が始まった、早く早期終息して演奏会等での生の演奏を聴きたいこの頃である、以前オペラのチケットを入手したがやはり武漢ウイルスで生憎公演は中止されてしまった。
最近は同居する義母(93歳)と散歩に付き合い初めた、人での少ない近くの公園などにコロナ禍で運動不足のため足から衰えるための運動である、支度して近くの公園に出かける時間は一時間程度にしている、最初は足から衰えると言われる筋肉は歳には関係なく何歳になっても鍛えられるそうです。



筆者の庭に草花アネモネが満開で実に美しく咲く。天気は快晴少し風はあるが、近くの公園の梅の見物に出かける。陽気のせいか梅の花が7部咲きである、紅梅は終わるが、ピンクと白梅は見頃である。


タンポポも咲きだしている。すっかり春間近である、黄色の色は元気のいろで暖かさに包まれるようですね。



先日は蕾でした白梅も咲き出し寒梅の見頃であろう。後の楽しみは河津桜の蕾も膨らみ初めた。



およそ1時間程で散歩から帰り、篤実の散歩を促す。



昨日到着した、高級で美味しいと言われ『オールド5ブレンド』珈琲豆が届く、封を開けると可也深煎りの様子で豆の色は濃い、こげ茶である。
見た目は苦目と感じたが、早速挽いて珈琲を淹れる立ち上る香りは甘い珈琲の香りがたち登り無性に早く飲みたくなった。コーヒー碗に入れ頂いたが、大変美味しく、実にマイルドで癖の無い味である。ナイスブレンドでした。



本日「ステレオサウンド誌」到着する、歴代・名スピーカーユニットが到着した、オーディオの原点と言われる、音出しで変わって無いのがこのスピーカーユニットであろう、ジムランのLE8の記事は興味深く読んだ、ユニット全般を再度確かめるつもりで購入良い参考書になるように思った。

しかしWE754Aというユニットの面白さは魅力たっぷりのユニットです、たっぷりのアメリカサウンドが蘇るのかも知れないですね。



先日LS3/5Aの改良しエージングも進み、今回エージングはあまり期待しなかったが、此れが大きな誤算でした。確かに音質は落ち着き音質がスッキリし特にピアノのアタック音も濁り少なく綺麗に再生するようになったようですが、
やはり好きなバッハは如何な鳴り方をするか興味深い、バッハの基本中の基本と言われる特にバッハのピアノ名曲集のひとつだが、もともとバッハが長男の教育用に書いた曲。インヴェンションとシンフォニを聴く。



特にモノーラルの演奏ですが今まであまり上手くならずに不満もあったことは確かだが、補修後は重厚なランドフスカが上手く鳴り驚く。今楽しみな先日到着したインヴェンションとシンフォニア、イリーナ・メジューエワ(ピアノ)もこの後聴いて見ることにする。

特にランドフスカの演奏には興味尽きないが筆者には圧迫感があり高音が響き渡る開放感が無かったが今回の改造で透明度の魅力ある音質に変化した感じに聴こえたランドフスカの素晴らしさを改めて感じた。
1950年にライプツィヒのバッハ・コンクールのオルガン部門でカール・リヒターと1位を分け合った実力者ウェーバージンケの表現はきわめてオーソドックスで模範的。この単純な構成の曲の中にも深い味わいを感じさせてくれる。「クラヴィーアの愛好者、とくにその学習希望者に、(1)二つの声部をきれいに弾きこなすだけでなく、更に上達したならば、(2)三つのオブリガート声部をも正しく、かつ、手際よく処理し、あわせて同時にインヴェンツィオをたんに得るだけでなく、それをたくみに展開し、そしてとりわけカンタービレの奏法をしっかりと身につけ、しかもそのかたわら作曲への強い関心をも養うための明確な方法を教示するところの、正しい手引き。 アンハルト=ケーテン侯宮廷楽長ヨハン・ゼバスティアン・バッハ これを完成す。1723年。」



「あなたはあなたの方法でバッハを演奏し、私はバッハの方法で演奏します。」これはランドフスカがチェンバロ嫌いのカザルスに攻撃された際に静かに答えた言葉です。
往年のチェンバロ奏者ワンダ・ランドフスカは、ピアノの普及により埋もれてしまっていたチェンバロを現代に復興させた立役者。20世紀初頭、バッハの作品は少ないながらも演奏会で取り上げられてはいましたが、チェンバロ作品についてはほぼモダン・ピアノ演奏の一択という状況でした。19世紀末の1889年に開かれたパリ万博では、プレイエル社とエラール社がチェンバロを出品して連続演奏会が開かれるなどしていたものの、あまり注目されることはなく、ランドフスカ自身も、1892年、13歳でバッハ作品をメインにしたプログラムでピアニストとしてデビューするなど、当初はピアノでバッハを弾いていました。

その後、民俗学者の夫からの影響などもあってランドフスカはチェンバロに強い関心を持つようになり、各地の博物館なども回って保存されていた楽器などを研究し楽器も購入、24歳の時にはチェンバロ奏者としてのデビュー演奏会を開催し、以後、チェンバロのスペシャリストとして知名度も向上。そして1912年には、演奏会場での音量不足問題を解決した新たなチェンバロ「ランドフスカ・モデル」を完成してドイツのブレスラウ音楽祭で披露するに至ります。



Legendary Harpsichordist -The Art of Wanda Landowska (24CD)の中にあります。ランドフスカの演奏はこのCDで略全てと聞きます。
Disc20
 ● バッハ:15の2声のインヴェンション BWV 772-786
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 1954-1955
 ● バッハ:15の3声のインヴェンション BWV 787-801
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 1958-1959
 ● バッハ:カプリッチョ『最愛の兄の旅立ちに寄せて』BWV992
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 11 & 12 September 1957
 ● バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV 826
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 4 &5 February 1957
 ● バッハ:幻想曲 ハ短調 BWV 919
  ワンダ・ランドフスカ(チェンバロ)
  Recorded on 2 May 1946

ランドフスカが奏でるバッハは、現代のバッハ演奏からみると、極めて主観性の強い音楽表現であるかもしれません。その演奏は、表情豊かであり、ロマンティックな趣さえ醸し出しており、時折感じさせる即興的な名人芸の数々は聴くものを魅了してやみません。
少しの改造からエージングを経て確かに以前は再生に難がありましたがS3/5Aの改良で楽しむことが出来ました。勿論嬉しくなりランドフスカを聴く確かに録音は古いが平均律、ゴルドベルグ変奏曲と続けたが、全く上手く鳴り不安解消する。特に録音時期の違うゴルドベルグ変奏曲は興味深く聴くことが出来る。

筆者のTANNOYのIIILZ Monitor Goldのユニットの音と違いはあるが、此れでLS3/5Aは別の意味で魅力あるユニットに変身したようで今後音楽を楽しむ上で違った音を楽しめると実感した次第である。



バッハ:インヴェンションとシンフォニアに付いてピアノ練習者がバイエルを卒業して次の段階に進む練習曲とも言われるインヴェンションとシンフォニアだがバッハは完成した曲集の扉に自らこのようにしたためた。《インヴェンション》と《シンフォニア》は、長男フリーデマンのレッスン用の小品を集めて改訂したものであり、その成り立ちから既に教程としての性質を持っている。

しかし、ここに書かれていることの真意はいったいなんだろうか?
 バッハは音楽家を育てるのに、両手を使った鍵盤音楽の演奏技術を身に付けさせることから始めた。手の運動と結びつけることで、より自然な音楽性を習得するためである。ここで用いられるのはしかし、バロック時代特有の通奏低音、すなわち低音に対して適切な和音を右手で補充するという書法ではない。すべての声部が掛け替えのない「オブリガート」パートであり、それぞれを「カンタービレ」に演奏すべく書かれている。
そして独立した各声部は、和声の中でひとつに溶け合う。厳格対位法とカンタービレ、旋律と和声。一見すると簡明な2声および3声の作品群は、実は「多様なものの統一」という16-17世紀の大きな美学的命題を負っているのだ。



 バッハのメッセージの中の「インヴェンツィオ」という言葉もまた、古い音楽の美学と作曲法に関わりがある。この語は修辞学に由来し、「着想」と訳されることが多いが、本来(「発明」ではなく)「発見」を意味する。つまり、自分が伝えたい内容にふさわしい表現を見つけだすことである。そのためには、できるだけ多くの修辞表現(フィグーラ)を学び、その配列の方法を知らなくてはならない。《インヴェンション》と《シンフォニア》はその範例として書かれており、バッハの持てる鍵盤音楽のきわめて多様な様式を見ることができる。いってみればバッハの音楽世界の縮図である。

したがって、「インヴェンション」とは決してなんらかのジャンルや楽式を表す言葉ではない。バッハ以前のドイツの作曲家にはこれをタイトルとした曲集がいくつか見られるが、形式の上で統一や共通点はない。バッハ以降、もしも楽曲分析などで一般的な意味での「インヴェンション」という表現が用いられるとすれば、それは簡明でありながらよく整った、様式や技法の上で模範的な対位法作品、というポジティヴな文脈において、あるいはバッハの珠玉の作品へのオマージュとしてであろう。と解説されているが単純に聴こえるが、奥の深い曲であることが理解出来る。



次はメジューエワ/J.S.バッハ: インヴェンションとシンフォニア 1922年製ヴィンテージ・スタインウェイ使用
イリーナ・メジューエ(Irina Mejoueva)ロシア出身。モスクワのグネーシン特別音楽学校とグネーシン音楽大学(現ロシア音楽アカデミー)でウラジーミル・トロップに師事。1992年ロッテルダム(オランダ)で開催された第4回エドゥアルド・フリプセ国際コンクールでの優勝後、オランダ、ドイツ、フランスなどで公演を行う。

1997年からは日本を本拠地として活動。2002年、スタインウェイ・ジャパンによる国内コンサートツアー。2003年、サンクトペテルブルク放送交響楽団と日本国内4都市で共演したほか、2005~06年にはザ・シンフォニーホール(大阪)で4回にわたるリサイタル・シリーズに出演。2006年からは毎年京都でリサイタルを開催。日本デビュー20周年を迎えた2017/18年のシーズンには東京文化会館・小ホールでシリーズ演奏会(全3回)を開催するなど、精力的な演奏活動を展開している。



精緻な対位法とカンタービレの愉悦――興趣豊かに描かれるバッハの小宇宙「解釈は精緻で的確であり、対位法音楽の構造をクリアーに描き切って見せてくれている。一方で、対位法というものは、知的なゲームなどではなく、音楽の愉悦のもっとも基本的な要素のひとつであることを、イリーナは存分に教えてくれる。」
インヴェンションとシンフォニア イリーナ・メジューエワ(ピアノ)
【曲目】
  J.S.バッハ (1685-1750)
  2声のインヴェンション BWV772-786
  3声のシンフォニア BWV787-801
【演奏】
  イリーナ・メジューエワ
  (ピアノ…1922年製NYスタインウェイ)

【録音】
2020年6月
新川文化ホール(富山県魚津市)



解釈は精緻で的確であり、対位法音楽の構造をクリアーに描き切って見せてくれている。一方で、対位法というものは、知的なゲームなどではなく、音楽の愉悦のもっとも基本的な要素のひとつであることを、イリーナは存分に教えてくれる。」と解説されてイますが、正に万人向きで実に優しく、上手く弾く演奏を楽しくさせてくれるバッハです。

初心者からベテランの方まで幅広くバッハを楽しむのは良い演奏である。ただしその後AXIOM 80のは箱にTANNOY(IIILZ Monitor Gold)を入れたシステムと比べると、グランドピアノらしい膨よかな音は聴こえない、キラキラしたピアノの透明度は全く別物であった。このあたりがLS3/5Aの限界なのであることが理解できた、やはり癖の強い(IIILZ Monitor Gold)の音には大変魅力のあるユニットであることが良く分かったことである。
単おいで聴く音楽は一番良い席での最適な演奏を聴くような感じにさせるホール感が味わえるのは流石ヴィンテージタンノイの姿であろう。

追伸、ワンダ・ランドフスカのゴルドベルグ変奏曲について試したいことがあり、興味本位で聞いてください。



実はワンダ・ランドフスカは2つのゴルトベルク変奏曲の録音が残されていて一回目の録音は1933年11月、HMVにバッハのゴルトベルク変奏曲を録音。この年からパリ生まれのドゥニーズ・テレサ・レストウ[1915-2004]がアシスタント兼秘書としてランドフスカと共に生活するようになります。

世界大戦によりドイツ軍による強奪1940年3月、HMVにスカルラッティを録音後。6月、ドイツ軍がフランスに侵攻、パリにも迫ってきたため、ランドフスカとレストウは、急遽、スーツケース2個の荷物だけでパリから離れるために駅に向かいますが、すでに駅は群衆で埋まっており、さらに車も見つかりません。仕方なく25歳のレストウはランドフスカを後ろに乗せて自転車で南に向かうことを決意、自転車屋を探したところ、見つかった自転車屋の中庭に車があったため店主と話し、翌朝4時なら車を出せるということで交渉成立。レストウは、夜型人間で早朝をいやがったランドフスカをなんとか説得し、2人はパリの約500キロ南にある町、モントーバンのホテルまでたどり着くことができました。

1941年には、第二次大戦の難を逃れてアメリカに渡ったが、ニューヨークのタウンホールのリサイタルでの「ゴールドベルク変奏曲」は熱狂的な支持をもって迎えられた。
1945年、RCAビクターとのレコーディングをスタート。最初にゴルトベルク変奏曲を録音してSP6枚組でリリース。ランドフスカとビクターはアメリカ・デビュー時の1923年からの関係ですが、その後、ビクターはRCAに買収されてRCAビクターと社名を変更していました。
一度ゆっくり12年の演奏の違いを確かめて見ようと思ってます。ブラボー!