伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良して聴くダメオヤジの金ちゃんです。

再放送だが夜中にBS放送を楽しむ「フジコ・ヘミング ショパンの面影を探して~スペイン・マヨルカ島への旅~」の考察

2023年06月05日 | クラシック音楽・オーディオ


夜中にBSにて再放送があり見てしまった、イングリート・フジコ・ゲオルグ・ヘミング(年齢非公表)は、ロシア系スウェーデン人を父、日本人留学生を母親として、ドイツのベルリンで生まれたピアニストです。幼少期に日本に移住しましたが、父は日本になじめず、家族を残し一人スウェーデンに帰国してしまいました。フジコは小さい頃は「混血児」としていじめられ、太平洋戦争中は「外国人」として差別されました。一方で9歳の時にNHKラジオに最年少で出演、17歳でコンサート・デビューして日本フィルハーモニー交響楽団など多数のオーケストラと共演しました。
戦後は赤十字に認定された難民としてドイツに留学、世界的な作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナ(1920~73)やピアニストで音楽学者のパウル・バドゥラ=スコダ(1927~2019)に実力を認められましたが、風邪をこじらせて聴力をほぼ失うという不運にも襲われました。その後、耳の治療をしながら音楽学校の教師資格を得て、欧州各地でコンサート活動を続けました。番組は、1995年に帰国したフジコの東京芸大でのコンサートを軸に、フジコの正に波乱万丈の人生を描き、国内でフジコブームを起こすきっかけとなりました。フジコは、「あなたにとってピアノとは?」という質問に「猫たったちを食わせていくための道具ね」と答えています。何と幸運な猫たちでしょう!



放送年:2022年度
90歳を過ぎても多くの聴衆を魅了する“魂のピアニスト”フジコ・ヘミングさん。ピアニストにとって命ともいえる聴力を失い、一時期、無国籍者となるなど過酷な人生を歩んできた。彼女が愛してやまない作曲家がピアノの詩人と呼ばれたフレデリック・ショパン。ショパンはスペイン・マヨルカ島で一冬を過ごし、死を宣告されながらこの地で名曲を書き上げた。2022年、念願だったマヨルカを旅し、ショパンの面影を探すフジコさんの旅に密着した。再放送を見る、夜中の為テレビ放映はなるべく小音で聞いた、でもフジコ・ヘミングの演奏は素晴らしく、耳を患ってとも思えない演奏ぶりに舌を巻き、最近は目も40%程悪くなっていると言う、しかし90歳過ぎの高齢の方の演奏とは思えない、実に綺麗な音のピアノタッチが素晴らしい、フジコ・ヘミングさん曰く「この歳になって一音一音綺麗な音が鳴る様に細心の注意をしていると」言っていたことは驚きである。フジコ・ヘミングさんお演奏は大変音質が綺麗でCD売り出せば売り切れが多いと定評がある。筆者も少しはアルバムを所有するがフジ子・ヘミングの、スタジオ録音第2弾。ショパンを中心としたアルバムで、彼女の叙情性が存分に発揮されている。このアルバムで十分鮮明な音で楽しめる。

ショパンの後年は、この様に記されている。
1846年まで、ショパンの生活と活動は、ノアンとパリのサロンを軸に行われることになり、ノアンには、ポリーヌ・ヴィアルドやドラクロワらも訪れた。そのようななか、1842年友人のヤン・マトゥシニスキがショパンに見取られて亡くなる。この死はショパンに強い衝撃を与えた。1843年冬、ショパンの病状は悪化し始め、1844年初め再びインフルエンザに罹り、重態に陥る。春になってやっと病状が回復するが、5月25日、父の死の知らせを受け取り、深い絶望に陥る。サンドはショパンの母宛に弔いの言葉とショパンを思う心情を綴った手紙をしたためる。そして7月、姉ルドヴィカがショパンを訪ねてパリを訪れる。ショパンが姉と再会するのは14年ぶりのことであった。

 しかし、サンドと二人の子供との間の屈折した関係の中にショパンも少しずつ巻き込まれていき、とくに娘のソランジュと母サンドとの対立の構図のなかでショパンは居場所を失っていく。その渦中の1846年に傑作「舟歌」「幻想ポロネーズ」「チェロソナタ」などの作品が書かれる。そして1847年、ソランジュの結婚に際して、ショパンが彼女に理解を示したことから、サンドとの間に亀裂が生まれ、ついに7月28日、サンドはショパンに別離を告げる。この別離はショパンの人生の大きな節目となった。

 孤独な身となったショパンは4月、招きに応じてロンドンに渡り、ジェーン・スターリングの指導を行う。イギリスではヴィクトリア女王の隣席の場で演奏会を催すなどの栄誉はあったが、結核で身体が衰弱していたショパンにとって、この旅行は衰弱を加速させた。イギリスでは、ロンドンのほかに、マンチェスター、グラスゴー、エジンバラなどでも演奏会を催した。

 11月にパリに戻ったショパンは病床に伏し、6月に大量の喀血をする。姉ルドヴィカの再会を望むショパンの求めに応じて8月、ルドヴィカがパリに到着する。10月17日、ポトツカ伯爵夫人、姉ルドヴィカに看取られて亡くなる。

翌日早速アンプに火を灯しフジ子・ヘミンのショパンを聴いた。



筆者の愛聴盤です『憂愁のノクターン』
 アーティスト:フジ子・ヘミング
 01ノクターン第1番変ロ短調op.9-1 (ショパン)
 02「ベルガマスク組曲」~月の光 (ドビュッシー)
 03ノクターン第20番嬰ハ短調遺作 (ショパン)
 04エチュード ハ短調「革命」op.10-12 (ショパン)
 05エチュード イ短調「木枯らし」op.25-11 (ショパン)
 06いずこへS.565-5 (シューベルト 歌曲 トランスクリプション) (シューベルト/リスト編)
 07パガニーニによる大練習曲S.141-3「ラ・カンパネラ」 (リスト)
 09プレリュード イ長調op.28-7 (ショパン)
 10プレリュード ロ長調op.28-11 (ショパン)
 11プレリュード ヘ長調op.28-23 (ショパン)
 12即興曲変ト長調op.90-3 D.899-3 (シューベルト)
 13ハンガリー舞曲第5番嬰へ短調 (ブラームス)
 14乙女の願いS.480-1 (ショパン 歌曲 トランスクリプション) (ショパン/リスト編)
 15版画 (ドビュッシー)

大好きなショパンを中心に、時折シューベルト、ドビッシーを織り交ぜCD全て聴き一曲が完了する様な構成も大変筆者好みに造られているのは大変ありがたい。意外と録音状態も良くピアノタッチの細やかな所も大変素晴らしい作品である。何故か聴くうちにバッハの平均率を聴く様でもある。



久しぶりにPSVANE(プスヴァン)は中国湖南省にある長沙恒陽電子有限公司が生産の300Bの薄いブルーCossorに交換してブルー球で聴いたPSVANE300Bと比べ一回り小さな三極管です、勿論5極管6BM8は日立製に交換し最初からこの球で聴けばあまり判らない、写真に撮って掲載すると何か良い音が聴こえそうな錯覚に落ちるが、写真映えがする程度で、音質には期待しない事が賢明である。

じっくりこの真空管で聴くも、これはこれで聴ける音でもある、ハットする様な美しさ等を求めても無理ではあるが、それなりに評価はできる流石支那のパクリ技術は上手い物であるがWEの球を越せるのかが問題でもある、手軽に300Bの音質を聴ける手段としては大変有り難い球なのかもしれない。



しかし視覚的には何か良い音が聴こえそうな雰囲気はある。300Bのアンプでは8W最大出力ではあるが、据え置き型のタンノイでのドライブは十分に感じるピアノ音はキレもあり良くトレースはするが、Zaika5300独特の輝く様なピアノ演奏での音は無理の様であるが、それなりには聴こえる。先日DAC等のコンデンサーにもレプトンパワーコンダクターグリースを塗布したが効果は未だ感じることは出来ない。

サブの球は5極管の日立製を使っている、当時日立はRCAからの技術提供を受けて製造していた事が説明書にも書かれている、私も相当のお馬鹿で早速オリジナルRCAの6BM8を取寄せて視聴するが音質は日立製が優れた様に感じた。松下、NEC、東芝、日立と国産の真空管は海外からの受注を受け多くの真空管の製作を携わり製品の仕上がりも良かった様である。テレビのブラウン管の時代までは国産品の生産が行われ、筆者もPC関係もナナオ・ソニー製の20インチモニターを使用していたが大変高額であったと記憶する。



実は魅惑のチェリストと言われる、アンヌ・ガスティネルの演奏は勿論バッハも定評があり、最初彼女のチェロは勿論バッハのチェロ組曲を聴くが、筆者には何か少し合わない様に感じた、何故か筆者の思い描くバッハと違うので暫く静観していた、その後のプロフィールを覗き興味が湧く!下記のような解説があった

リヨン国立高等音楽院の教授アンヌ・ガスティネル(Anne Gastinel )は、主要な国際コンクール(スケベニンゲン、プラハ、ロストロポービッチ)で数々の賞を受賞した。
アンヌ・ガスティネルは、主要な国際コンクール(スケベニンゲン、プラハ、ロストロポービッチ)で数々の賞を受賞し、ヨーロッパ中で演奏し始め、1990 年のユーロビジョン・コンテストで一般大衆に永続的な影響を与えた。 満場一致でフランスのチェロ学校の大使として認められた彼女は、かつてパブロ・カザルスが所有していた伝説のチェロ、マッテオ・ゴフリラーを1 年間演奏する奏者として選ばれた。2006年にアンヌ・ガスティネルは、ヴィクトワール音楽賞を「ソリスト・オブ・ザ・イヤー」及び「ベストレコーディング」のカテゴリーで受賞した。 彼女のキャリアは、ヨーロッパ中、及び日本、中国、南アフリカ、ブラジル、インドネシア、カナダ、米国の名高い会場での演奏に彼女を導いた。彼女は、ユーディ・メニューイン、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、クルト・ザンデルリングなどの偉大な巨匠と共演している。
室内音楽家としては、多数のアルバム(プーランク、フランク、シューベルト、シューマン)を一緒に録音したクレール・デゼール、及びエルメス四重奏団、ニコラ・アンゲリッシュ、アンドレアス・オッテンザマー、ダヴィド・グリマル、フィリップ・カッサール、ザビエル・フィリップス、他たくさんのフランス人チェロ奏者と共演している。15年近くの間、彼女の録音は高い評価を受けてきた。



ここで思い当たるCDがある早速取り寄せた。ピアニストClaire Desert (クレール・デゼール)との共演である。フランスの女性ピアニスト。1967年生まれ。
アングレーム生まれ。5歳からピアノを習い始め、14歳でパリ国立高等音楽院(CNSMDP)に入学、フランスの作曲家ジャン・ユボーに師事し、室内楽で第1位を獲得、1985年には審査員全員一致でピアノ賞を受賞した。その後、ブルガリアのピアニスト、ヴェンチスラフ・ヤンコフのクラスに入学した。フランス政府から奨学金を得て、モスクワのチャイコフスキー音楽院でエブゲニー・マリニンのクラスに1年間留学。フランスに戻ってからは、チェリストのロラン・ピドゥーのクラスに入り、室内楽の技術をさらに高めていった。

なるほどショパン、シューベルト等は良い演奏が聴けるかもしれない。



Arpeggione Sonata, Sonatina, Lieder: Gastinel(Vc)Desert(P)
シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ D 821

 ヴァイオリン・ソナティナ op.137, D. 384(チェロ編曲版)
 歌曲トランスクリプション〜セレナーデ、音楽に寄す、万霊節の日のための連投、ます、影法師、水の上で歌う、幻覚、水車屋と小川

 アンヌ・ガスティネル(Vc)(使用楽器、テストリーノ1690)、
 クレール・デセール(Pf)

 録音時期:2005年6月
 録音場所:スイス、ティボール・ヴァルガ・スタジオ 録音方式
      ステレオ(デジタル/セッション)


 

 黄金コンビによる風格漂うショパン!【曲目】
 ショパン:
  ノクターン 変ホ長調 op.9-2(ポッパー編曲によるチェロとピアノ版)
  チェロ・ソナタ ト短調 op.65
  序奏と華麗なポロネーズ ハ長調 op.3
  ショパン=フランショーム:マイアベーアの「悪魔のロベール」の主題による協奏的大二重奏曲 ホ長調 B.70
  ショパン:ノクターン 嬰ハ短調 遺作(ピアティゴルスキー編曲によるチェロとピアノ版)

【演奏】
 アンヌ・ガスティネル(チェロ/1690年製テストーレ)
 クレール・デゼール(ピアノ)

【録音】
2021年2月16-18日、MC2、グルノーブル(フランス)

アンヌ・ガスティネルがショパンを録音しました。長年共演を重ねている名手にして教師としても名高いクレール・デゼールとのデュオです。有名な変ホ長調ノクターンのチェロとピアノ版によってCDは始まりますが、まるでショパンのサロンに足を踏み入れたかのような、実に親密な空気の演奏で、音と音の間に漂う薫り高い空気までもが音楽となって聴こえてくるようです。
確かにショパンのピアノ曲も編曲しチェロとのデュオも聴き応え十分です、兎に角新鮮な音色は魅力的です。



ソナタでのデゼールの前奏はカッチリしていながら即興性と熱に満ちている品格漂うもの。続くガスティネルのソロも、終始控えめな表現で、それが却って作品のドラマティックさを際立たせております。すべての楽曲において、自由な歌心が迸りながらも、品格と厳格さも兼ね備えた、まさに大家の風格の演奏となっております。
解説のように思わず聴き惚れる感じです、アンヌ・ガスティネル(チェロ)は何故か優しげに響くショパンの曲は実に寛げます。何故か39歳に亡くなったショパンの曲を堪能するは優しくもあり、寂しげでもある。ブラボー!