伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

今回はBA11、今まで幾度も『フーガの技法』Die Kunst der Fuge (BWV1080)の演奏を聴けば、やはり実に興味深い曲の検証。

2022年05月29日 | 真空管アンプ・オーディオ


今回導入した所謂(300B同様)たった一本の真空管で目覚めたしまった様に思うこの頃である。勿論本物のWE300Bの球の音はオーディオ店のデモで聴いた程度で本物の音は未知との遭遇なんですが・・・最近製作する本物のWestern Electric 300B(マッチドペア)税込 ¥ 231,000 (税抜 ¥ 210,000)の価格は貧困老人の筆者には今後仕入れる事は宝くじでも当選しない限りは購入出来ないであろう・・・。
現在国産品で評判も良いと言われる高槻電器工業のTA-300B(税抜 ¥ 180,000)と言う価格表示であり高額です音質は若干硬めの様であるが。
たかが真空管のみので此処までの金額を見て、購入に二の足を踏むマニアの方は多いと思う、一般オーディオファンには高嶺の花である。今や価格も手頃なロシア製、支那製を選べば良いのですが、冷静に考えればWE-310AやWE-300BはWE社の製造供給していた業務用アンプに使用の真空管である。一部のマニアが業務用の物をオーディオ様に使用したことで広まった事が顛末であろう。

今までに筆者は300Bに関する音は支那製と球とロシア製の球の音しか知らなかった、それでも他の球より300Bに交換して聴こえた音楽は良くなっていたと思う、この辺りにオーディオの不思議な処であろう。
今回Zaika 5300の音を知り、極端に言えば「地獄の窯の蓋を開けた」思いである、現在支那での製品は所詮コピー製品ばかりであるが、決して本家を越す事は決して出来ない事がわかる、本家を超えなくともそれなりに良ければ販売できる、勿論日本も戦後可成のコピー製品を作ったが、いまや本家の商品上回り本家以上のその製品を凌ぐ製品を提供している、此の違いであろう。
だから日本人は嫌われる要素があるとも言える・・・。例えは戦国時代の火縄銃までもは勿論本家を凌いだ製品を製造していた。鍛鉄扱いは刀鍛冶が盛んで技術力が日本産の鋼技術ははるかに上回る為であった。

勿論現在も話題になっている車問題も欧州の自動車は電気自動車に移行しているが、日本はハイブリット仕様の車が圧倒している、海外メーカーはハイブリット技術対応が簡単に出来なく、電気に移行するが充電問題で今立ち止まっている現実もあり、F-1世界もエンジン供給本題で日本が連勝すると規則を変え勝たせないルールに移行する、しかしエネルギー問題は確実に話が違い様であり、水素燃料も日本は世界の一歩先を行っている、電気問題は充電器の固体電池も今後日本は断然有利と思う。現在米国、日本製の工場建設して対応している。

しかしモノ作りの精神は支那には無いようである、おそらく昔、朱子学中心の社会構成が欠陥問題を起こしているであろう、日本でも江戸時代は朱子学を学ぶが日本と事情が違う、絶対君主制の支那ではつまり自分よりエライ人の言うことはちゃんと聞きなさいよ!と主君の命令には従いなさいよ!つまりは日本人は昔から人間は皆平等の精神が浸透して、当時武家社会は士・農・工・商と言った具合に仕事の分類を分けたに過ぎないとしている日本は物作りの歴史が全く違う。当時の支那には全く考えられない無い世界である。 

今朝もバッハの音楽を聴いてます。単一鍵盤楽器演奏とアンサンブル演奏にての検証です。
BA11. BWV 1072-1080 ひとつの作品の中に異なる演奏形態の含まれている作品や演奏形態の指定のない作品さて今回はBA11の「Die Kunst der Fuge」 BWV1080作品であります。



早朝目覚め、何時もの日課の如くモジャ君を連れ近くの公園に散歩に連れ出す、意外と広く近場の人達の散歩コースとなってます、実は此の公園は昔、映画の『Shall We ダンス?』ロケ地で有名で、正式名称「白井木戸公園」である。
日曜でしかも早朝の公園は誰も居ない、晴天で実に気持ち良い朝である、元気に走り回る、モジャ君は自慢げに石の上に乗った姿をスマホで撮った写真です。

このモジャ君に立っている場所が下の画面のバックの休憩所の小さなドームである。劇中では役所広司さん演じる主人公が夜ひとり社交ダンスの練習をする公園です。当時はファンの方も多く押しかけた様である。



帰宅しモジャ君と共にシャワーを浴び、オーディオ機器に灯りを灯し、勿論Macも起動し、珈琲を淹れる、準備に取り掛かる。最近は熱い珈琲の頻度は下がるが、朝の淹れたての珈琲は格別である。久しぶりにトラジャの豆を選んで丹念に挽き淹れた、鍵盤楽器音楽を聴きながら頂く珈琲は実に上手い。

今までにバッハの「フーガの技法」は一つの主題に基づいてどれだけ多彩なフーガが書けるかを追求した対位法音楽の傑作ですが、多くの謎に包まれています。まず、遺された作曲家の自筆譜や初版譜の最後のフーガが、バッハの名前を基にした主題(BACH=変ロ・イ・ハ・ニ音)が出てきたところで途切れていることなどから、「未完の絶筆」とされていることです。また、自筆譜と初版譜では曲の配置が異なり、楽器の指定もありません。そのため多くの研究者や演奏家を悩ませてきました。
《フーガの技法》は本当に未完なのでしょうか。いつ、何のために書かれ、バッハ自身はどんな楽曲の配列や楽器を想定していたのでしょうか。等不思議が多いが楽器等により感じ方は実に様々である。筆者のブログにも過去何度も掲載した覚えがある。
しかし《フーガの技法》は、謎めいた未完のフーガやバッハ最晩年の逸話とあいまって、伝説的なオーラを放っている。作曲家の死の直後に出版されてからこれまで絶えず人々の関心を集め、なかば崇拝にも近い賛辞を贈られた。

しかし栄光に反して、実際に演奏される機会はそれほど多くない。それは、バッハの意図した楽器や編成が判然としないことに大きな原因があるが、伝説的なオーラが近づきがたいイメージを固めてしまった所為でもある。バッハは確かにかなり抽象的、理念的性質をこの曲集に与えたのではあるが、実際に演奏可能なことが何よりの大前提だった筈だ。そこで、具体的に各曲に迫るためにまず、この作品にあらわれる「技法」とは何か、それらが音楽的にどのように成功しているのかを確かめてみよう。はじめに強調しておくが、ここに含まれる作品は、おそらく全曲とおしての演奏を想定して作られてはいない。

《フーガの技法》は、バッハが晩年に構想した理念的作品集の一角をなすものである。モナリザの絵も謎多き問題がありバッハの音楽の共通性があるのか?



ベルリンの国立図書館に残される自筆譜は1742年に作られており、バッハがこれ以前の1740年頃から《フーガの技法》に着手したと考えられる。その後、たびたびの中断があり
――フリードリヒ大王を訪問し《音楽の捧げもの》を仕上げたり、L.C.ミツラーの「音楽学術交流会」に入会して《カノン風変奏曲「高き天より」》(BWV 769)を書いたり、旧作のオルガン・コラールを改訂して所謂『シューブラー・コラール集』や《17のコラール》をまとめたり、《ロ短調ミサ曲》を完成させたり――
また《フーガの技法》の当初の計画にいろいろな変更を加えた所為で、とうとうバッハ自身の手で出版は実現しなかった。
最大の謎は、バッハが最終的に望んだ《フーガの技法》とは、どのような内容、配列によるのか、という点である。1751年6月1日に新聞に予告された出版譜が、具体的に誰の手配によるのかは判っていない。この初版の内容はおそらく、作曲家の意図をかなり無視したものとなっている。

楽器編成について、こんにちではほぼ、鍵盤作品として、それもクラヴィーアのために書かれたと考えられている。処々に現れる長い保続音は確かにオルガンのペダル・ポイントに適しているようにもみえるが、全体はクラヴィーアにふさわしい語法に満たされている。また、鍵盤以外の楽器の特徴はほとんど見出せない。この様な解説を見ると検眼楽器による演奏が良いのかも知れない。
『フーガの技法』は現在においてもさまざまな謎を抱えている楽曲です。しかし科学の進歩や資料などの発見などにより、以前は明らかになっていなかった多くの謎が少しずつ解明されています。

バッハ『フーガの技法』の背景1:楽器の指定がなかったのです。
直筆・初版の『フーガの技法』には、鍵盤楽器での演奏を踏まえた作曲でありながら、具体的な楽器の指定がありませんでした。これは『フーガの技法』だけでなく「対位法的鍵盤作品」と言って、他のさまざまな作曲家にもみられます。作曲家によっては「鍵盤ではない楽器でも演奏してよい」と明言する場合もあったようで、バッハは年齢を重ねてなお最新の様式よりも、この対位法技法という古い様式が好きだったこともあり、若い音楽家から酷評されていたのではないかと言われています。現在では『フーガの技法』はチェンバロやオルガンやピアノ、オーケストラなどなどさまざまな形態で録音されており名盤も多いようです。

バッハ『フーガの技法』の背景2:初版楽譜と直筆譜が大きく異なることの様です。
直筆・初版ともに具体的な楽器の指定がない対位法的鍵盤作品という点では共通していますが、この2つの内容は大きく異なって、これはバッハの息子たちをはじめ弟子たちも『フーガの技法』にバッハが込めた意図を、正確に捉えることができなかったからだといわれているようです。
家計が苦しく一刻も早く作品を出版したかった親族の焦りもあったとされていますが、この辺りも『フーガの技法』が超難解曲だと言われる理由になっています。ただでさえ「鏡像フーガ」という、曲全体を鏡で映して反転させたような珍しい技法も用いられていました。複雑な楽曲が、急いで出版したばかりにさらに複雑化してしまったといわれています。

1977年頃に公表された記録で既に、88通りもの楽曲配列の解釈があったそうです。『フーガの技法』はバッハの死の翌年に出版されましたが、初版に印刷された楽譜は第13曲までは彼自身によって校訂されたことは、間違いありませんがしかし、その後の曲順をバッハがどういう意図で制作してたのか、今もなお判明していないままのようです。



『フーガの技法』はJ.S.バッハのレクィエムだったのでは? という仮説に基づき構成された映像作品。ここで演奏するエッラの解説には次のようにあります。
「1776年、マルティーニ神父は、当時ロンドンで活躍していた、お気に入りの弟子、ヨハン・クリスチャン・バッハに、自身のプライベート・コレクションのため、彼自身の肖像画を送るよう依頼した。1778年の秋、ゲインズバラの手によるヨハン・クリスチャンの肖像画が、ボローニャに、作曲家の友人のカストラート、フランチェスコ・ロンカッリャによって届けられた。その肖像画は、ボローニャの市民美術館に飾られている。2002年、クリスチャン・バッハの没後220年を記念するため、絵画のリストア(修繕)が行われた。
その最中、ヨハン・セバスチャン・バッハの『フーガの技法』に関る、いくつかの質問に答えた手紙が見つかった。イタリア語で書かれており、モーツァルトにあてたものだった。

音楽学者によると、ロンドンから故郷へける途中、絵画を届けた歌手は、カイスハイムでモーツァルトに会おうとしたことが判明している。モーツァルトは当時、新作オペラ『ツァイーデ』、もしくは『後宮』のためにカストラートを探していたから。しかしながら、歌手の到着が遅れたため、オーディションには参加できなかった。この機会のため書かれ、届けられるはずだった、この手紙はキャンバスとフレームの間に挟みこまれ、長い間忘れ去られていたのだ。

ここに全文を引用する。(以下手紙。ちなみに最初のMIO CARO TRAZOMのTRAZOM はモーツァルトを逆から書いたもの)」演奏トラックと手紙のくだりが対照できるつくりになっており、手紙では、『フーガの技法』各部分と、過去のオルガン音楽の巨匠との関係、同じくレクイエム典礼文との関係、カール・フィリップ・エマニュエルが何を知らなかったか、楽器の選択と調性をどう考えるべきか、などが詳細に書かれています。



基本は鍵盤楽器の演奏が良いとされる演奏の中から筆者好みで、レオンハルトの高弟であり、現在のオランダを代表する世界的チェンバリスト、ボブ・ヴァン・アスペレンを選んでみました。
ボブ・ファン・アスペレン(Bob van Asperen, *1947年10月8日 アムステルダム - )は、オランダのチェンバロ奏者・オルガン奏者・指揮者。 アムステルダム音楽院にてグスタフ・レオンハルトに師事した後、国際的な演奏活動に取り掛かる。 オトテール四重奏団やラ・プティット・バンドの一員であるとともに、古楽器オーケストラ「メラント81」(Melante "81)の設立者でもある。 1988年にアムステルダム・スウェーリンク音楽院の教授に就任し、門人にピーテル=ヤン・ベルダーらがいる。
Die Kunst der Fuge : Bob van Asperen(Cemb)
  
 J.S.バッハ:フーガの技法 BWV.1080
  ボブ・ヴァン・アスペレン(チェンバロ)
  ベルンハルト・クラップロット(第2チェンバロ/2つの鏡像フーガ)

 録音時期:2017年
 録音方式:ステレオ(DSD/セッション)
 SACD Hybrid
 CD STEREO/ SACD STEREO/ SACD SURROUND
 Powered by HMV



近年はルイ・クープランやフローベルガーの作品の発掘、録音に積極的に取り組んできた巨匠アスペレンが、久々となるバッハ、しかも謎多き大作『フーガの技法』をレコーディング!
アスペレンはこの『フーガの技法』の録音に、ドイツのニーダーザクセン州、ヴェーナーにあるオルガネウムのコレクションの1つ、17世紀ドイツの名工クリスティアン・ゼルが1741年に製作したチェンバロを使用。バッハの存命当時、また比較的作曲時期に近い時期に年された楽器を通じて、アスペレンが『フーガの技法』の真髄に迫ります。

また「2つの鏡像フーガ」では、アスペレンの弟子であるドイツのチェンバリスト、ベルンハルト・クラップロットが第2チェンバロの担当。師弟共演で『フーガの技法』を締めくくります。



実は最近プリアンプと使用しているAIYIMA TUBE-T7プリアンプの音が若干だが変化した様である、少し何となく丸みを帯びた音に聴こえる様に変わる、エージングも程よく馴染み上手い具合に小慣れてきたのかも知れない。
勿論パワーアンプのSV-501SEは「Zaika 5300」のチューブに変えたがこれが実にこのエンクロージャーとの相性が良く、LUXKIT A3500のチューブは変更も無く、無論IIILZ Monitor GoldのユニットをGOODMANS AXIOM 80の箱に入れたシステムも変化してないのですが・・・いずれにしてもうれしい悲鳴である。

現在並ぶエンクロージャーはKEF Q-300 LS3/5a Spendor/SP3/1P IIILZ Monitor Goldと揃っているが全て英国製の為か、音質の基本は似通った音がします。

最近お目見えのSpendor/SP3/1Pの音に繋ぎ視聴するが、音はLS3/5aに非常によく似ている、能率はSpendorが良く当初は聴くのだが、音楽途中でいつの間にかLS3/5aに変えてしまう、何故か此れは一度深掘りしなけれがならない。



アスペレンの新譜は待望のJ.S.バッハ!謎多き大作『フーガの技法』!
レオンハルトの高弟であり、現在のオランダを代表する世界的チェンバリスト、ボブ・ヴァン・アスペレン。近年はルイ・クープランやフローベルガーの作品の発掘、録音に積極的に取り組んできた巨匠アスペレンが、久々となるバッハ、しかも謎多き大作『フーガの技法』をレコーディング!
アスペレンはこの『フーガの技法』の録音に、ドイツのニーダーザクセン州、ヴェーナーにあるオルガネウムのコレクションの1つ、17世紀ドイツの名工クリスティアン・ゼルが1741年に製作したチェンバロを使用。バッハの存命当時、また比較的作曲時期に近い時期に年された楽器を通じて、アスペレンが『フーガの技法』の真髄に迫ります。また「2つの鏡像フーガ」では、アスペレンの弟子であるドイツのチェンバリスト、ベルンハルト・クラップロットが第2チェンバロの担当。師弟共演で『フーガの技法』を締めくくります。

アスペレンが「フーガの技法」を弾くのは当然で、時間の流れというものでしょう。演奏は、冒頭の耳慣れない装飾音に驚ろかせられますが、その他はナチュラルなもので、新奇なものを期待すると失望します。 しかし、聴いていて全編がチェンバロ二重奏なのかと感じるくらい充実した演奏です。(一部は弟子のクラップロットが担当)採用したチェンバロの音も美しく響きます。 



実は今回はこの続編があるんです、最近古楽器の素晴らしい演奏集団を見つけてしまった。今までフーガの技法の演奏はエマーソン弦楽四重奏団で良く聴いていたが、以前ブログアップしたアッカデミア・ストゥルメンターレ・イタリアーナと言うグループも良かったがそれにも勝る様な「アンサンブル・ラルテ・デッラ・フーガ」があるんです。コントラバス、ファゴット等の楽器が加わり一層楽器の厚みが加わり独特の低音の迫力ある演奏が聴ける。

「Die Kunst der Fuge(フーガの技法)」スイス、オーストリアの国境に面するボーデン湖に浮かぶ島リンダウで生まれたハンス・エベルハルト・デントラー。優れた医師としして働きながらチェリストとしても活動し、ヨーロッパ各地で演奏会を開いています。1985年から2014年までの30年間はイタリアに居住、かの地で“J.S.バッハ協会”を設立、“フーガの技法”の研究を続けています。バッハの「フーガの技法」は未完成の上、楽器の指定もされていない曲であり、各々のフーガの並べ方にも様々な解釈がありますが、デントラーは長年の研究結果を凝縮し、独自の理論で曲を展開しています。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ファゴットでの演奏による2016年録音。 



スイス、オーストリアの国境に面するボーデン湖に浮かぶ島リンダウで生まれたハンス・エーベルハルト・デントラー。優れた医師として働きながらチェリストとしても活動し、ヨーロッパ各地で演奏会を開いています。1985年から2014年までの30年間はイタリアに居住、かの地で「J.S.バッハ協会」を設立、『フーガの技法』の研究を続けています。そしてヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとファゴットで演奏するための楽譜をショット社から出版(作品はベネディクト16世に捧げられた)、実際にアンサンブルを創立して演奏するという快挙も成し遂げました。バッハの『フーガの技法』は未完成の上、楽器の指定もされていない曲であり、各々のフーガの並べ方にも様々な解釈がありますが、デントラーは長年の研究結果を凝縮し、独自の理論で曲を展開しています。

Die Kunst der Fuge : Ensemble l'Arte della Fuga
 バッハ:フーガの技法(2CD)
 アンサンブル・ラルテ・デッラ・フーガ

 J.S.バッハ:フーガの技法 BWV.1080
 1. adf01 コントラプンクトゥス 1
 2. adf02 コントラプンクトゥス 3
 3. adf03 コントラプンクトゥス 2
 4. adf04 コントラプンクトゥス 4
 5. adf05 コントラプンクトゥス 5
 6. adf06 コントラプンクトゥス 6
 7. adf07 コントラプンクトゥス 7
 8. adf08 コントラプンクトゥス 8a 3声
 9. adf09 コントラプンクトゥス 9
 10. adf10 コントラプンクトゥス 10
 11. adf11 コントラプンクトゥス 11

 1: adf=Arte della Fuga
 2,3: バッハの直筆のテンポ設定に基づき、順序を入れ替え

 1. adf12.1 コントラプンクトゥス 12 正立形
 2. adf12.2 コントラプンクトゥス 12 倒立形
 3. adf13.1 コントラプンクトゥス 13 3声 正立形
 4. adf13.2 コントラプンクトゥス 13 3声 倒立形
 5. adf14.1 フーガ 4声 正立形
 6. adf14.2 フーガ 4声 倒立形
 7. adf15 カノン 8度
 8. adf16 3度の転回対位法による10度のカノン
 9. adf17 5度の転回対位法による12度のカノン
 10. adf18.1 反行と拡大による下4度の無限カノン
 11. adf18.2 反行形による拡大カノン
 12. adf19 4重フーガ

アンサンブル・ラルテ・デッラ・フーガ
 ハンス・エーベルハルト・デントラー(チェロ)
 カルロ・パラッツォーリ(ヴァイオリン)
 ラファエレ・マッロッツィ(ヴィオラ)
 フランチェスコ・バッソーネ(ファゴット)
 アントニオ・シアンカレポーレ(コントラバス)

録音時期:2016年7月19日、10月1,2日
録音場所:Klosterkirche St.Walburg, Eichstatt & Schlosskirche, Ellingen
録音方式:ステレオ(デジタル)



確かに今回追加したZaika 5300の効果は実に素晴らしかった、モダンジャズも筆者としても粗満足する音で鳴り、アンサンブル・ラルテ・デッラ・フーガの演奏も実に見事に聴かせた、音楽をある程度理解し始めるとオーデオ機器の違いは良く判別出来る様になるものである。

「Die Kunst der Fuge(フーガの技法)」は、未完ながらもヨハン・ゼバスティアン・バッハの創作活動における集大成とも呼べる作品。この演奏を聴くとバッハの演奏は「さましく山よりは高く、それでいて海よりは深し」の言葉が当てはまる様だ、原作の2曲以外は楽器指定がないため、さまざまな編曲で演奏される。このアルバムで聴くことができる編成は、各一名のバイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、そしてファゴットという特色のあるもの。編曲とチェロを担当した H.E. Dentler は、長年「フーガの技法」を研究する音楽家の演奏は流石。ファゴットの甘い音色と弦とのアンサンブルが絶品だ。 ブラボー!

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