よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

唐津街道を行く№1(若松~芦屋)

2010-01-05 07:03:31 | 唐津街道
【はじめに】
新しい年を迎え、私もウオーキング歴4年になりました。
各地のウオーキング大会にも参加し、このSNSでの歩行距離も1万kmを
超えました。

今年は、何か新しいものに挑戦してみたい。
家内と相談した結果、九州内の街道を歩いてみることにしました。
その一番目として「唐津街道」を選びました。
この唐津街道は、私の地元のコースでもあり、また、古くは朝鮮半島を経て、
中国文化が日本に最初についた地点でもあります。
中国の古書「魏志倭人伝」に出てくる「那国」「伊都国」は、この街道上にあります。
事前にコースを調べてみますと、いろんな面白いことに出会えそうです。
歩く前から、私の心はワクワクしています。
さあ、よっくんとカブちゃんの「街道記」どんなものになりますやら・・・・・・・・

尚、この街道を歩くにあたり、河島悦子氏「唐津街道」、HPからかっちゃんさんの
「唐津街道を歩く」を参考にさせていただきました。

【若松~太閤水】

※上の地図、若松から唐津までが「唐津街道」です。(オレンジの線です)
  下は、スタート地点の「洲口番所跡」

1月2日、晴れ。
今日からスタートです。天気は晴れてはいるものの、3時ぐらいから雨の予報。
博多発8:06の電車で戸畑へ。
戸畑駅から渡船場にある「戸畑恵比寿神社」で今回の街道歩きの安全を祈願。
9:25今回の出発点若松「洲口番所跡」に到着。
この洲口番所は、福岡藩が人や品物の出入りを監視・管理するために若松と芦屋に
設けられました。
若松というと今は北九州市ですが、昔は福岡藩の端城だったそうです。

地図に沿って歩いていると「善念寺」が見えてきた。
門の脇にある掲示板をみていると、ドイツの社会学者の格言「政治を軽蔑する国民は
軽蔑すべき政治しか持ち得ない」と書いてある。
お寺にドイツの社会学者の格言、余りにも奇妙な組み合わせに可笑しくて
笑ってしまった。

街道は、若戸大橋の袂へ。
この一体はJRのウオーキングで何度も訪れている。

地図は、JR若松駅の方に向かった。
「極楽寺」は、若松駅の向かい側にあった。
境内に入ってみると、意外と大きなお寺さん。幼稚園を併営されているのか、
子供さんの絵がいっぱい。

若松駅を過ぎると、街道は二手に分かれている。
かっちゃんさんは、駅の横から山手の方に歩いたと書いてある。
地図を見ると、古前小学校のところで合流している。
私達は国道の方から入っていくことにした。
地図に「御堂」というのがある。
探すが解らない。そこに人が来られたので聞いてみるが、知らないの一言。
それからも探すけどわからずじまい。

「白山神社」が見えてきた。
神社の由来を見てみると、加賀国石川郡白山権現を勧請してきたという。

神社を出て、街道を歩き出すと、商店が立ち並ぶ。
だが、道が狭い。ここが旧国道なのだろうか?



時計を見ると、10時半。もう1時間以上も歩いた。
持ってきたペットボトルの水も少なくなってきた。
コンビ二もあったので今日、最初の休憩をとった。
家内が買ってきた大福餅を食べながら、街道歩きの先輩、ランドセルさんに
今日スタートしたことをメールで報告する。
ランドセルさんからの返事はすぐ来た。
街道歩きの先輩から励ましのメールです。
ちょっと道がわからず、疲れ気味の私達に「元気」をいただいた。

日吉神社、JR二島駅を過ぎると大きなショッピングセンターが目に入ってきた。
見ると、車がいっぱい。
お腹も減ってきたけど、まだ今日の半分の行程もいっていない。
もう少し、もう少し・・・・・

地図を見ると、先を左折して払川沿いに歩くことになっている。
その通りにいくと、大規模な河川の護岸工事が行われている。
遊歩道は、バリケートがされ、通行止めになっている。
仕方なく、県道の方へ。
ショッピングセンターを過ぎた頃から車の通行が少なくなった。
お腹もだいぶん減ってきた。
然し、廻りは田園地帯。
食堂もコンビニもなにもない。
河島さんの地図には、大鳥居の所にコンビニのマークがされている。
とにかくそこまで歩こう。
払川沿いには桜が植樹されている。
桜の季節にここを歩いたらさぞかし気持ちがいいだろう。
廻りは、マックとか、レストランの看板。
私は、普段はマックなんか食べないのだが、マックの看板がいとしく見えてきた。

大鳥居の所のコンビニに着いた。
然し、このコンビニ閉まっている。どうやら廃業したらしい。
しばらく歩くと、左手に回転すし屋さん、右手にカレー屋さんが見えてきた。
回転すし屋さんは家族連れか、人が多い。入り口の外まで行列が出来ている。
昔、流行ったコマーシャルの「おせちもいいけどカレーもね」が頭にひらめき、
カレー屋さんへ。
このカレー屋さん、(カレー屋さんには、悪いが)全然期待してなかったのですが、
注文した「石焼カレー」実においしい。辛さも調整でき、今まで食べたカレー屋さんでも
5本の指に入るくらいだ。

時計を見ると2時。
確か、このあたりに「太閤水」があるはずなんだが・・・
近くに人がおられたので聞いてみる。
その方、昔はこのあたりは、海だった、川を浚渫すると牡蠣が出てきたなど
詳しく説明してくれた。太閤水はすぐわかった。
太閤水とは、文禄元年(1592)豊臣秀吉は朝鮮出兵の為、肥前名護屋に
出陣した。その時、大阪から肥前名護屋までの道々に太閤水や給水所を
設けるなど道路を整備した。
秀吉に因む水は殆どが「太閤水」と呼ばれている。

そういえば、我が家の近くにも「太閤水」があったなぁ。

朝はあんなに晴れていた空も雲が多くなり、天気が怪しくなってきた。
芦屋まではもうすぐ。                  (続く)



唐津街道を行く№3(海老津~赤間宿)

2010-01-05 05:23:51 | 唐津街道
1月17日快晴。唐津街道2日目。
博多発8:45の電車で前回ゴール地のJR海老津駅へ。
今日は、海老津から、赤間宿~原町宿~畦町宿(あぜまち)までの
約20kmのコースです。
前回は、終盤、マメが出来たり、雨が降ったりで散々でしたが、
今回は、天気もよく絶好のウオーキング日和になりそうです。

海老津駅から松田の信号を渡り、旧道へ。
地図を見ると旧道は、国道とほぼ平行に走っており、だいたいわかりやすい。
1時間ほど歩いたでしょうか、この街道の難所の「城山峠」に差し掛かりました。
地図では、武丸北の信号から右斜めに入るようになっています。
舗装道がきれ、ここからは土の道。
太平寺福岡分院を過ぎると唐津街道の標識が・・・・
この街道歩き始めて最初の標識です。
記念にここで写真を1枚。

竹藪の道を奥のほうに入る。足元を見るとなにやら猪の足跡が・・・・
「猪が出てきたら怖かね」と妻の声。
「なんば、いいようとっか、猪が出てきたら俺がこの棒で叩いちゃ」
と道端にあったちょっと太い棒をとって私が言った。
猪は出てきませんでしたが、若し出てきたら私が家内の後に隠れたかも
しれません。(笑)

※写真説明 左、城山峠山道、右、唐津街道の標識

城山峠を下りると福岡教育大学が見えてきました。
その先が、JR福岡教育大学前駅。
そこを左に曲がると、唐津街道・赤間宿の標識。海老津駅から約7km。
赤間は、その昔、赤馬と呼ばれていたそうで、これは、神武天皇を
赤い馬でお迎えにいったことからその名がついたと何かの本に書いてありました。
それがいつの間にか、赤馬が赤間になりました。

赤間宿を歩いていくと左側に「須賀神社」があります。
須賀神社の境内には、「節婦阿政之碑」が建っています。
それによると
「宗像三偉人の一人で孝女と言い伝えられているのが、節婦阿政こと
赤間のお政。政は約200年前に風流人として名を馳せた七兵衛の後妻の
娘として生まれたが、両親を早くに亡くした為、腹違いの姉夫婦に育てられた。
その姉夫婦から大庄屋の嫁にとの縁談が持ち込まれたが、
政には、亡父から言われた本家筋の許婚がいた。ところが、許婚の家は
貧しく、姉夫婦は裕福な大庄屋との婚姻を勧めたため、悩んだ政は、婚礼の夜に
「我身ひとつかくこを極め参らせ候」という遺書を残して自害してしまった。
享和元年(1801)政が18歳のことだった。政の貞節は頼山陽著の
「節婦阿政伝」に記され、婦女子の鏡と言われたと説明されています。」
節婦とは、節操の堅固な女性のことです。
お政のお墓は宿場町の終わりの方の小高い丘の上に建っています。

須賀神社の先の右側には「法然寺」があります。
寺の廻りを見てみますと、出光家の墓があります。
ここが、出光家の菩提寺なんでしょうか?
そういえば出光興産の創業者の方もここ赤間のご出身です。
寺の横には、幕末、三条実美ら5人の公卿が幕府から逃れるため、
長州から太宰府へ移る途中、この地を訪れ、約1ヶ月間滞在したという
「五卿西遷之碑」が建っています。
また、ここは木屋瀬からの道と交差し、交通の要所でした。

宿場町を歩いてきますと、江戸時代からの酒屋、鏝絵の民家などが
あります。                  (次回 原町宿へ続く)

※写真説明 左上、須賀神社、右上、法然寺
        左下、鏝絵の民家、右下、勝屋酒造