よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

東海道道草ウオーク№27(その1)(日坂宿~金谷宿~島田宿)掛川市~島田市

2017-07-18 07:00:29 | 「東海道(京~日本橋)道草ウオーキング」

昨日の九州北部の集中豪雨は、朝倉、うきは、東峰村、日田あたりに被害をもたらした。我が家の方は大丈夫かと近くに住む姉に電話すると、雨はひどかったが、被害はなかったとの返事。

東峰村、うきは、日田あたりは、JR九州ウオーキングで何回も行っているので被害が心配です。

 

今回の東海道ウオーキング第4日。今日の予定は、日坂宿~金谷宿~島田宿までの約11kmです。15時過ぎの掛川からの新幹線を予約していますので、その時間まで行けるよう頑張りたいと思ってます。

掛川駅から掛川バスサービス東山線7:50に乗って昨日ゴール地日坂宿本陣跡まで行きます。バスは、約30分ぐらいで本陣跡に到着。

広重の東海道日坂宿の浮世絵は、急坂の小夜の中山峠を描いています。小夜の中山峠は、箱根峠、鈴鹿峠と並ぶ東海道三大難所の一つです。

       

バイパスの下に「弘法の井戸」があります。説明文もなく、仕方ないのでバイパスを渡り、小夜の中山峠に向かいます。

  

広重の浮世絵にもあるようにこの小夜の中山峠は、最初から急坂です。20分ぐらい歩いてやっと平坦な道になってきました。

  

歌枕として古今集などで歌われている中山峠は、標高252m、昔はたびたび合戦などもありました。

遠州七不思議の一つ「夜泣き石」の伝説が残っています。

昔、妊婦が峠で山賊に襲われ、お腹の子は助かりましたが、母親の霊は、丸石に乗り移り、夜ごと泣き声が聞こえたそうです。久延寺の和尚に飴で育てられた子は、成長し、母親の仇を討ちました。

この話に同情した弘法大師が「南無阿弥陀仏」と石に刻んだと伝えられています。

佐夜の中山の歌碑

  「甲斐が嶺 さやにも見しがけけれなく 横ほり臥せるさやの中山」(読人しらず)」

意味は、   甲斐の白根をはっきりみたいよ、人の気も知らぬげに寝そべっている 佐夜の中山よ どいてはくれまいか 

  「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」 (松尾芭蕉)

  早立ちの馬上で馬ともども目覚めが悪く 残りの夢を見るようにとぼとぼと歩いている。有明の月は遠くの山の端にかかり 日坂の里から朝茶の用意の煙が細く上がっている。

 「命なり わずかの笠の 下涼み」 (松尾芭蕉)

  西行の歌に有名な小夜の中山を通っていると、ほんとうに日陰がなくて照りつける陽を受けながらの峠越えはつらい。まさに「命なりけり‥‥」だ。木陰といえば笠のようにわずかな陰をみつけるくらいだ

 

    

   

  「道のべの むくげは馬に くばれけり」 (芭蕉)

 むくげの花を馬の上から眺めていると、あれよという間に、その花を馬が食べてしまったよ。そうでなくても短命な花であるのに。

 「ふるさとに聞きし あらしの声もにず 忘れね人を さやの中山」(藤原家隆)

 旅に出て耳にするここ 佐夜の中山の山風の音は 都で聞いたのとは似ても似つかない このように都も遠ざかったのであるから いっそ都の人など忘れてしまえよ

 「甲斐が嶺は はや雪しろし 神無月 しぐれてこゆる さやの中山 」(蓮生法師)

 遥か甲斐の白根の峰々は雪で白い 今、神無月(10月)時雨の中、さやの中山を超えることだ

      

この佐夜の中山を歩いていると、何年か前に熊本「草枕の道」を歩いたことを思い出します。何かよく似ているような道です。

草枕の道は、ミカン畑ですが、ここは、道の両側に茶畑が広がっています。日坂の茶畑は「茶草場農法」といって茶園周辺で刈り取ったススキやササなどを茶畑に有機物として投入する農法で

世界農業遺産に登録されています。

    

    

扇屋・子育て飴・・・・・・江戸時代創業の茶屋。夜泣き石伝説にちなんだ「子育て飴」が名物です。ただ、土・日・祝日のみしか開いておらず中には入れませんでした。

   

西行法師の歌碑 年たけて また超ゆべしとおもひきや 命なりけり さやの中山 

意味は、年老いてから、この山をまた超えることができる(旅ができる)と思っただろうか、いや思いはしなかった。小夜の中山を越えることができるのは、命があるからこそだなぁ。

文治2年(1186)西行法師69歳、2度目の奥州の旅の時に詠んだそうです。

阿佛尼の歌碑・・・・・・雲かかる中山超えぬとは都に告げよ有明の月 

     雲のかかる佐夜の中山を超えたと、都の子供たちに伝えておくれ有明の月

壬生忠岑の歌碑   東路のさやの中山さやかにも見えぬ雲井に世をや尽くさん

         東国への道中、佐夜の中山よ 都を離れて遥か遠く ここまで来たが はっきりとも見えない 遠く旅の空の下で生涯を燃えることであろうか 

   

久延寺・・・・・真言宗の寺院で、山号佐夜山。本尊は、子育て観音と称され、「昔、住職が山賊に殺された妊婦の子を育て、成長した子は、親の仇を討つことができた。これはひとえに本尊の加護に

よるものであり、ゆえに子育て観音と称す」といういわれがあります。  慶長5年(1600)、会津の上杉景勝討伐に向かう徳川家康を掛川城主山内一豊が茶亭を建ててもてなした所といわれています

 そういえば、夜泣き石跡、妊婦の墓を見逃していました。今から引き返すわけにはいきませんし、ここは先に進みます。

掛川市・島田市の市境です。ここから島田市菊川に入ります。菊川も斜面いっぱいに茶畑が広がっています。

 

  

ここからは、「青木坂(箭置(やおき)坂)」になります。日坂からは、かなり急な下りで、2年前、新潟山古志で膝を痛めた時もこのような急な下り坂でした。

今回は、膝を痛めないよう慎重にゆっくりゆっくり下りていきます。ちょうど下り口の所が工事中で新しく橋脚などが建っており、この道も何年か後には、広くなるのでしょうか?

工事現場の所には、菊川神社があります。

菊川は、日坂宿と金谷宿の間にある「間の宿」です。最初、「菊川」というと、高校野球の強豪「常葉菊川高校」がある所かな?と思ってましたが、この高校は、菊川市にあり、間の宿菊川は、島田市になります。

ちょっと紛らわしいですが、「菊川市」は、JR金谷駅と掛川駅の間にある「菊川駅」の所です。

話が横道にそれましたが、間の宿菊川では、「菜飯田楽」が名物でした。菜飯田楽は、米の飯に大根葉を乾燥させ炊き込んだものと味噌田楽を合わせた料理です。

    

さんぽ茶屋は、平成9年に建てられた菊川の里のお休み処で、営業日は毎週日曜日。運営は地元の女性たちが仲間で行っていて、食堂のメニューは手作りの「そば」「とろろめし」「ところてん」など

おふくろの味が中心。お土産には地元菊川茶を使ったお菓子やお漬物などがありますが、今日は木曜日お店は開いていませんでした。

高麗橋を渡り、東海道の名所「菊川の石畳」を歩きます。

 

    

(その2)に続く