よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

唐津・虹ノ松原ツーデーウォーク「せっかくウォークで神集島」へ

2018-03-12 14:39:34 | ウォーキング

3/9(金)唐津・虹ノ松原ツーデーウォークの「せっかくウォーク」で神集島(かしわじま)」に行ってきました。

唐津市には、宝当神社で有名な高島、小川島、松島、馬渡島、向島、加唐島、そしてこの日に行く「神集島」の七島があります。

「神集島」と書いて「かしわじま」。島の名前が珍しく、興味を引くネーミングです。

  

「神集島」は、神功皇后が西暦367年、三韓征伐で新羅に行かれた時、この島に神々を集め、軍議を開いたことに由来します。

また、昔は、「狛島」と呼んでいましたが、漢字で「柏島」と書いたことから「かしわじま」とも呼ばれたと言われています。

島の周囲1,4k㎡、周囲8km。唐津市湊町から定期船で約8分の所にあります。

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13:00 集合場所の浜玉町中央公民館からバスでせっかくウォーク参加者28名を乗せ、渡船場の湊町に移動。

FBの友達の福井・Fさんご夫妻もご一緒でした。

今日は、風が強く、時々強い雨が降る悪天候です。13:50定期船「荒神丸」で出航。今日は海も荒れ、乗っているとまるでサーフィンをしているような状態です。

約8分で神集島に到着。島では、高崎区長さんが出迎えてくれました。

島には、遣新羅使の一行が、神集島に滞在した時詠んだ万葉歌碑があり、七首の歌が残っています。

  

  

西暦736年(天平8年)6月遣新羅使の一行は、大阪・難波津を出発して瀬戸内海を通り、博多に滞在した後、福岡の西端唐泊、芥屋を経て、日本最後の泊地である狛島(神集島)にやってきました。

この一行の正使は、『安倍継麻呂』氏で、副使は『大伴三中』氏でした。 一行は、この神集島で旅の準備をし、風待ちして玄界灘に乗り出して行きました。

当時の船の構造からして、玄界灘を乗り切ることは至難の業でしたから、彼らは、船待ちをしている間に故郷や都を偲んで歌を詠んだそうです。

歴史的に万葉集に綴られた歌七首がここ神集島に残され、現在では石碑として島民が守っています。

命がけの旅を続ける人たちの孤独と、妻や恋人を慕う気持ちが玄界灘の潮の香りとともに胸に迫ってくるようです。(神集島公民館の掲額から)

1号歌碑

「帰り来て 見ぬと思ひし 我が宿の 秋萩すすき 散りにけむかも」  秦田麻呂  (これには作者の名前が書かれています)

  訳)「都に帰ってきて見られると思っていた 我が家の庭の秋萩やススキは、もう散りはててしまったかも 新羅に行き着かないうちに 年月ばかり過ぎて」

     

2号歌碑は、旧中学校の裏の玄界灘に面する地にありました。ここからは風を遮るものがなく、強風で飛ばされそうになりました。  

「あしひきの 山飛びこゆる 雁がねは 都に行かば 妹に逢いて来ね」    雁がね(かりがね)

 訳)「雁がねは、飛んでゆく 山を越えて もし都に行くのなら 我妻に出会って 妻の便りを運んできておくれ 山を越えてゆく雁がねよ 妻に伝えておくれ 私はまめにしていると」 

  

2号歌碑から休憩の為、旧小学校に行きます。旧小学校では、「神集島ひ~な祭り」が行われていました。

 

 

お茶と羊羹が振る舞われました。

2002年2月、神集島沖で深海魚の「リュウグウノツカイ」が捕獲されました。その時の魚拓が展示されています。体長433cm、体高37cm、体重37,8kgでした。

   

一服してから、再びスタート。住吉神社へ向かいます。途中に「岩本三吉翁顕彰碑」がありました。

岩本三吉翁は、大正末期の長崎県生月島での漁労修業の末、大敷網(底引網の一種)組合を設立し、近隣漁業振興に貢献すると同時に、島民にも株分けし、神集島の中興の祖として貢献しました。

  

海の中に鳥居がある「住吉神社」。神功皇后が、神を集めて戦勝を祈願したと伝えられています。

  

ここには、「蒙古碇石」があります。昭和2年神集島沖から発見されたそうです。

  

3号歌碑

  天地の 神を祈ひつつ 吾またむ 早来ませ君 待たば苦しも

 訳)天地の神々に無事をお祈りしながら私は、待ちます。あなたが早く無事でお帰りになるように ただお待ちするのはつらいだけなので 、神々に無事をお祈りして私は待っています。

  

住吉神社の裏手には、4号歌碑があります。

足姫 御船泊てけむ 松浦の海 妹が待つべき 月は経につつ 

訳) その昔、神功皇后が御船が泊まったという松浦の海で 船泊りは続いて妻に帰ると告げた月は、いたづらに過ぎていく 妻の待つ想いをよそに松浦で船泊りは続く。

   

神集島は、ハマユウ(浜木綿)の群生地としても知られています。6月ごろには、白い花が咲きだします。

時間も15時を過ぎました。万葉歌碑はあと3つ残っていますが、帰りの船は15:30 です。時間がありませんのでここで終了します。

 

16:00過ぎに集合場所の浜玉中央公民館に戻りました。

このあと18:00から福井・Fさんご夫妻と食事会の為、唐津シーサイドホテルに移動しました。