7/18(土)は、ふくおかウォーキング協会のサタデーウォーク「水と炎と2000年蓮・みやき歴史ウォーク」でした。
集合場所は、JR長崎本線中原(なかばる)駅。参加者は48人でした。
9:30 スタート。今回は、5歳児ウォークカー蒼汰君の妹3歳児「あおい」ちゃんも参加しました。
コースは国道34号線から旧長崎街道に向かいます。
長崎街道中原宿は、小生2011年9月に歩きました。中原宿は、神埼宿と轟木宿の間宿(あいのしゅく)です。
中原宿の説明文を見ると、
中原宿の始まりははっきりとしないが、正保3年(1646)に幕府に提出された「正保絵図」には宿を示す記号があることからこの頃には宿として成立していたと見られる。
また、元禄14年(1701)に幕府に提出された元禄絵図には中原宿の記述と宿を示す記号がある。中原宿は、鍋島藩親類筆頭家老「白石鍋島家」の知行地となっており、中原宿は長崎街道の
本宿(公的な宿)だったが鳥栖の轟宿と神埼宿の間の宿であったため規模は小さかった。中原宿には6軒の旅籠があり道の北側には東から泉屋、長崎屋、桜屋、南側には東から
松坂屋、大阪屋、岡崎屋があった。岡崎屋の2階の手摺には「中原駅岡崎屋御定宿」の透かし彫りの看板が残っている。
中原宿は、明治18(1885)8月14日の大火で大部分が焼失した。全80戸中74戸を飲み込んだ大火災だった。
祇園社の所が中原宿東木戸です。※木戸とは、江戸時代に、町の境や要所に警備のために設けられた門。夜間や非常時には閉鎖されました。
木戸の所にもエビスさんが祀られていました。
東木戸から右折して白石に向かいます。
コースは、白石焼に入りました。
みやき町皿山の周辺の窯元で焼成されるやきものを白石焼(しらいしやき)と呼びます。昔から、有田が「西目の皿山」なら、「東目の皿山」は白石とまでいわれていました。
白石焼(しらいしやき)は、文化3(1806)年白石鍋島家が本藩御用窯大川内(おおかわち)から陶工を呼び寄せ、白石で御用焼を命じ、この土地一帯にある「五穀さん」(ごこくさん)
という白い砂まじりの石と天草陶石を原料にした白磁に似たひび焼を作ったのがはじまりといわれています。このやきものは佐賀藩では「南京手」(なんきんて)と呼ばれ大変珍重されました。
江戸時代末期には臼井走波を招き、野菊・ザクロ・蘭などの花鳥画を中心に絵付し、京風の走波焼を作り上げ、現在の白石焼の基盤をつくります。窯元は、白石神社の近くに4軒あり、
民芸陶器を中心に個性的で独特の味わいを作り上げています。(あそぼーさがより引用)
白石神社の由来は、
佐賀藩は肥前国の佐嘉・神埼・小城・杵島・藤津・三根全域と養父・松浦、高来、彼杵の一部を合わせ持った(35万7千石を領有していた)外様大藩でした。この領地を3支藩(蓮池、小城、鹿島)と鍋島4庶流家(白石、川久保、村田、久保田)、龍造寺4家で守っていました。
この白石神社に祀られている鍋島直弘公は、初代佐賀藩主・鍋島勝茂の八男で、初代白石邑主(ゆうしゅ)です。
父、勝茂の信頼厚かった家臣の成富兵庫茂安は、直弘の教育係として見込まれ、直弘は幼少の頃に養子として成富家で育てられました。
寛永11年(1634)茂安が75歳で没すると翌年白石邑(現在の北茂安校区・白石地区)に居をかまえ、のちに鍋島姓に戻った直弘はこれよりのちを白石鍋島家と称しました。(ちなみに「白石」という地名は成富兵庫茂安がかつて杵島郡白石(現在の杵島郡白石町)に知行地をもっていた事に由来するそうです。)
文政6(1823)白石鍋島家6代目邑主、直章公はこの地に邑祖直弘公を祭神とした社殿を建立し、その後、筑後川の治水土木事業に功績を残した成富兵庫茂安公を合祀しました。(みやき町HPより)
このあたりは、毎年4月に行われる久留米つつじマーチの2日目のコースの一部です。
千栗土居公園です。県道整備工事に伴い、姿を消してしまう千栗堤を後世に伝えるため平成12年に佐賀県文化財の認定を受け、千栗堤の一部を町が公園化したものです。
千栗堤は、佐賀平野における土木・治水事業の偉人「成富兵庫茂安公」の行った水利事業の一部で、古くは千栗土居といい、現在のみやき町千栗地区~坂口地区迄12km位あったと
いわれています。
その千栗土居公園には、現在、古代ハス「大賀ハス」が咲いています。
大賀ハスは、昭和26年(1951)3月30日 千葉市内の東京帝大検見川厚生農場の泥炭層から 発見されました。発見者は植物学者・大賀一郎博士で、発見された3粒実のうち1粒の発芽に成功、
翌年7月18日に見事に大輪の花を咲かせました。ハスは博士の姓を採って「大賀ハス」と名づけられました。
このハスは多久市の聖光寺さんより苗を頂いたそうです。
千栗土居公園から筑後川へ向かいます。今月の初め九州豪雨で、この筑後川でも氾濫の事態が発生しました。
一見前と同じ筑後川に見えますが、川の淵には、草が倒れており、豪雨の凄さを物語っています。
筑後川を渡り、久留米市内へ。11;50ゴールのJR久留米駅に到着しました。約10kmのウォーキングでした。
今日のGPS
ふくおかウォーキング協会では、明日より夏休みに入ります。次回は、8/22の例会から再開します。