前編からの続きです。 西公園から大濠公園に戻ってきます。コースは大濠公園を通り舞鶴公園に向かいます。
舞鶴公園は、福岡市の都心に近く、福岡城址をシンボルにした公園。桜の名所としても有名な美しい公園です。
福岡城址は、福岡藩初代藩主黒田長政が慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて築いた城跡です。天守台を中心にして本丸、二の丸、東西の三の丸からなり、周囲を濠で囲む
構造です。多門櫓、祈念櫓、潮見櫓は現在でも見ることができます。藩主所縁の地備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市)に因んで「福岡城」と名付けられました。
別名舞鶴城とも呼ばれています。(案内文より)
以前は、福岡城址の所に西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)の本拠地、平和台球場がありました。
私が子供の頃、(S31~S33)巨人を破って3連覇した時のことは、今でもよく覚えています。豊田、中西、大下、関口、高倉、仰木、稲尾・・・・名選手ばかりでした。
当時は、交通機関の関係からか、ダブルヘッターの試合が多く、よく親父に連れられて観戦していました。また、サラリーマンになってからは、職場が球場のすぐ近くでしたので
会社帰りよく試合を見に行ってました。(当時はパリーグの弱小球団でした)
そのライオンズですが、1978年(昭和53年)10月に西武鉄道に買収され、これにより福岡に本拠地を置く球団が無くなりました。ショックでした。
西武球団は、年間10~20試合平和台で公式戦を開催していましたが、どうも西武ファンにはなれませんでした。
それからロッテ球団が稲尾さん監督に迎えて福岡に移転という話もありましたが、1988年(昭和63年)大阪の南海ホークスをスーパーのダイエーが買収して福岡に本拠地を置くという
ニュースが舞い込んできました。南海ホークスは、西鉄ライオンズにとって永遠のライバル球団です。然し、せっかく福岡に来てくれるのですから応援しなくてはいけませんね。
福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)誕生です。ダイエー球団による平和台球場の改修工事中に、古代アジアの玄関口とされる「鴻臚館(こうろかん)跡」が発見され、
市によると遺跡の発掘を進めるとともに今後歴史公園として活用していくという方針がなされました。ちょうどそのころ、福岡市は、百道浜(ももちはま)を埋め立てていましたので
埋立地にダイエー球団の新しい本拠地「福岡ドーム」の建築構想を明らかにしました。
その後、福岡地方を襲った「福岡西方沖地震」で被害を被り、平和台球場は取り壊されることになりました。
小生は、西鉄ライオンズが好きだったせいか、子供のころから野球が好きで社会人になってからは、草野球のチームに所属していました。
所属していたリーグは、パート優勝すると決勝大会を平和台球場で行います。子供のころからの憧れの球場でプレーできるのですから頑張って頑張って決勝大会の切符を手に入れました。
写真は、わがチームが二連覇した時の写真です。
「鴻臚館(こうろかん)」とは、平安時代に築かれた外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、そして筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。その中で唯一遺跡が確認されているのが
現福岡市中央区にある筑紫の「鴻臚館」なのだ。文献上には持統2年(688)、「筑紫館(つくしのむろつみ)」として初めて現れ、平安時代になって中国風の「鴻臚館」という名に変わった。
7世紀後半から11世紀まで約400年の間、遣唐使や新羅の使節団、商客らを迎え入れたとされる。(よかなびより)
鴻臚館展示場には、発掘された遺跡などが展示されています。
福岡城址から明治通りに入ります。旧大名小学校跡には、現在「天神ビックバン」といって2024天神未来創造というプロジェクトが行われています。
天神ビックバンとは、天神交差点を中心に半径500m圏内を対象としたエリアで行われている再開発です。2024年までに30棟の民間ビルの建て替えを目標に掲げています。
この大名地区には、「ザ・リッツ・カールトンホテル」など24階建てのオフィスやホテルの建設が行われます。
福岡市の中心部「天神」にやってきました。今日は日曜日、街にはたくさんの人がいます。この中の若い人の中には、マスクをしていない人も見かけました。
自分は若いからうつらないと思っているのでしょうか、街には私たちみたいな高齢者(自分では認めたくないですが)もいるんですよね。
天神中央公園は、元福岡県庁があったところです。1981年(昭和56)東公園に移転した旧福岡県庁跡地を整備し、1989年(平成元年)県営公園として生まれ変わりました。
公園には、旧福岡県公会堂貴賓室があります。明治43年(1910年)に造られていますのでもう110年の歴史を有しています。
貴賓室前を歩くと那珂川にかかる「福博出会い橋」があります。ここが城下町福岡の町と商人の町博多の町の境界です。
福岡を代表するお祭りに「博多祇園山笠」がありますが、これは博多部のお祭りですが、山笠期間中一度だけ那珂川を越えて福岡部に入ります。これを「集団山見せ」といいます。
福博出会い橋を通ると「中州」です。博多川と那珂川の間にできた中州で、九州一の歓楽街です。
昼間は、人が少なくガラ~んとしていますが、夜になると人通りも多くなりにぎやかさを増してきます。(現在は、コロナ騒動で人通りも少ない)
コースは、博多座から川端通商店街に入ります。川端通商店街には、博多弁番付が貼られています。とっとうと、す・す・す、は、代表格ですが、
しぇんしぇい=先生、なおす=片づける・・・他には、お金をこまめる=お金を両替する、えずか=怖い、かたせる=仲間に入れる、そ~つく=うろつく、いぼる=泥るみにはまる、
さっち=必ず、しぇからしか=やかましい、へっぱく=屁理屈、じょうもんさん=美人の娘さん、あたき=私・・・などがあるっちゃが・・・・
川端通の終点には、博多の総鎮守「櫛田神社」です。櫛田神社から国体道路に入ります。すぐ「かろのうどんや」さんが目につきます。角のうどんやさんが訛ってかろのうどんになったそうです。
創業は明治15年(1882年)。以前、永六輔さんがラジオ番組「誰かとどこかで」でこの店を紹介していました。
ここからは、町の名も「御供所町」。筥崎八幡宮の御供え物を調えたことからこの町名がつきました。
また、大きな寺院が集まっているところでもあります。
空海が唐から帰朝後初めて建立した東長寺には、国指定重要文化財の木造千手観音が収められているほか、木造坐像として日本最大の「福岡大仏」があります。
宋から帰朝した栄西禅師によって開かれた聖福寺。栄西が中国からお茶を持ち帰ったことでも有名です。
聖福寺には、博多塀があります。
博多山笠発祥の地として有名な承天寺は、聖一国師が開山しました。聖一国師は、うどん、蕎麦、羊羹、饅頭の製法を初めて日本に伝えました。
千年門から博多駅に向かいます。ゴールの博多駅には13:00ちょうどにゴールしました。4時間13分のウォーキングでした。15,5km。
雨も一回だけ遭遇しましたが、その後は降りませんでした。
今日のGPSです。
ゴール後、博多阪急のウォーキングステーションに行って今日の分の登録をしました。