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3/1(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「吉塚駅界隈を散策」でした。
鹿児島本線博多駅から1つ目の駅「吉塚」には、現在福岡県庁の玄関口になっています。
「吉塚」という地名は、筑後の城主、星野吉実(ほしのよしざね)と吉兼兄弟は、九州に侵攻してきた豊臣秀吉の軍勢に抵抗。1586年8月24日、敵将・高橋紹運(たかはししょううん)を
四王寺山の岩屋城に追い込み倒しました。今の岩屋城趾近くには高橋紹運のお墓がたっています。その後、高橋紹運の長男の立花宗茂(たちばなむねしげ)が攻撃を仕掛け落城。
星野兄弟は自害しました。兄弟の武勇をたたえ丁寧に葬ったことから、吉実を祀った塚、吉塚と呼ばれるようになりました。
一人の尼が没後100年に地蔵尊を祭り弔ったことが今の「吉塚地蔵尊」につながりました。
集合場所は吉塚駅東口。参加者は39人でした。9:30スタート。
コースは、吉塚駅スタート~崇福寺~吉塚商店街~マルキョウ~空港通り~大井中央公園~二又瀬橋~吉塚通り~吉塚駅ゴールの約10km。
崇福寺へ。ここの鶯餅がおいしい。
松原水・・・・説明文によると「明治初期、まだ井戸水を利用していたころ、博多部の井戸は水質に恵まれず、そのため飲料水は当時の那珂郡千代村一帯(現在の博多区千代付近)に続く
松林(千代松原)の砂地から汲む井戸水を運んでまかなわれていた。これも次第に建て込む人家の家庭汚水で利用できなくなってきた。そこで明治29(1896)年福岡市は、
飲料水確保のため千代村堅粕(現在の博多区東公園)の東公園内の国有地約1アールを年間1円8銭で借り受け、工費50円で市設の井戸を掘った。これが「松原水」の起こりである。
明治34(1901)年には、福岡市による「市設井戸取締規程」が定められている。井戸には看守を置く事、汲む者は給水許可証を携帯すること、料金は1石(180リットル)に10銭宛などと
細かく規定して本格的に管理された。
このようにして、業者も水桶12個積んだ大八車をガラガラ引いて、戸別に配達したため、上水道通水(大正12年)まで、松原水売りは博多の風物詩であった。
なお、明治33(1900)年皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が来福の際、飲料水として使われ、記念の石碑が傍に建っている。」
天ぷらのだるま・・・福岡で天ぷらの御三家といえば、「だるま」「ひらお」「たかお」です。
この「だるま」は、昭和38年(1963)創業。私もサラリーマン時代何回も通ったことがあります。
歩いていると、スーツケースを持った人がいます。何だろう?と看板を見てみると、「晴」「灯」「時」博多テラスと書いてあります。民泊なんでしょうか?
吉塚商店街に入りました。
吉塚商店街(吉塚市場)は、ベトナム、タイ、中国、韓国などの国の食材や料理店が立ち並ぶ「リトルアジアマーケット」です。
一度ゆっくり歩いてみたいところです。トップページ - 吉塚市場リトルアジアマーケット (yoshiduka-yla.com)
「吉塚」の地名の由来になった「吉塚地蔵大菩薩」
空港通りへ
空港通りから大井中央公園へ。空港が近いからか、遊戯施設も飛行機に関連しています。
12:00 吉塚駅東口にゴールしました。
今日のGPSです。
納得でした
ウォークも美味しいものも大好きです