12月12日日曜日、天気も良く、久しぶりにウォーキングに出かけました。
行き先は、お正月に初詣客で賑わう「桜井神社」。
九州大学のキャンパスを通り、桑原の峠を越えると右手に採石場が見えてきます。
谷のバス停を過ぎると桜井の町に入ってきます。
桜井神社は、農協の先の方から右に入ります。
しばらく行くと右側に鳥居が見えてきます。
鳥居を潜り、山の方に歩き出すとそこが桜井神社の入口です。
境内の入口にはまだ紅葉が残っています。
桜井神社の創建の基は、慶長15年(1610)。
「この地方が大暴風雨に襲われた時、桜井の三郎畑という
小高い丘に大きな岩屋が出来ました。これを見ようと村人が大勢集まりました。その中の山伏が
「神様の岩屋だから人は出入りしてはならない」と厳かにいうと、人々は跪き拝むのでした。
その人たちの中に時の岩松城主浦新左衛門の妻女がいました。
その夜妻女が眠りについていると夢の中にその岩屋が現れ、その中に運ばれていきました。
奥深い所で神々のお姿にふれ、伏し拝みますとキラキラ輝く小石が飛んできて額に当たりました。
夢から覚めた妻女は神のお告げの元、5年の辛い修行を行い、正確な予言をするようになりました。
その後、「浦姫様」と呼ばれ評判が福岡藩二代藩主「黒田忠之公」にまで届きました。
忠之公は真偽を確かめるため、使者を遣わしましたが、「私には人の心の中がわかるのです」と言って
使者の浦姫への疑念や城を出るときの様子を見透したように言い当てたのです。
敬服した使者が福岡に戻り、忠之公に事の始終を報告しますと忠之公はすっかり感心されました。
その後、黒田藩にはお家騒動が起こり、幕府から呼び出されることになりました。
忠之公は、家老を江戸に上らせたのですが、不安でならず、浦姫のもとへお忍びで行かれました。
江戸の成り行きを尋ねますと浦姫は、庭にある榎の大木に登り、江戸の方をみつめ、一心に思いを
凝らします。しばらくすると浦姫の心に江戸城の裁きの様子が映り家老の明快な返答ぶりを教えてくれました。
忠之公は、その信じられないような能力に驚かれ、後に浦姫の話が事実と少しも違わないことを知ると、
その信頼は益々深まり難しいことがおこる度に相談されたそうです。」(浦姫伝説より)
(浦姫宮)
忠之公は、大いに神威を感じて社殿造営を発願され、寛永9年(1632)ここに御神殿が完成しました。
(桜井神社全景)
(桜井神社本殿)
本殿の中には、色も鮮やかな造りになっています。
(楼門)
(御神橋)
(大神宮)
伊勢神宮を模しているといわれています。
私は、この神社の近郊に住んでいますが、初めて境内の中に入りました。
いやぁ、こんなにりっぱな神社があったなんて正に灯台下暗しです。
久々にパワーを頂きました。
このあと、大口海岸に出て、糸島サンセットロードを歩きました。この分はまた後日アップします。
行き先は、お正月に初詣客で賑わう「桜井神社」。
九州大学のキャンパスを通り、桑原の峠を越えると右手に採石場が見えてきます。
谷のバス停を過ぎると桜井の町に入ってきます。
桜井神社は、農協の先の方から右に入ります。
しばらく行くと右側に鳥居が見えてきます。
鳥居を潜り、山の方に歩き出すとそこが桜井神社の入口です。
境内の入口にはまだ紅葉が残っています。
桜井神社の創建の基は、慶長15年(1610)。
「この地方が大暴風雨に襲われた時、桜井の三郎畑という
小高い丘に大きな岩屋が出来ました。これを見ようと村人が大勢集まりました。その中の山伏が
「神様の岩屋だから人は出入りしてはならない」と厳かにいうと、人々は跪き拝むのでした。
その人たちの中に時の岩松城主浦新左衛門の妻女がいました。
その夜妻女が眠りについていると夢の中にその岩屋が現れ、その中に運ばれていきました。
奥深い所で神々のお姿にふれ、伏し拝みますとキラキラ輝く小石が飛んできて額に当たりました。
夢から覚めた妻女は神のお告げの元、5年の辛い修行を行い、正確な予言をするようになりました。
その後、「浦姫様」と呼ばれ評判が福岡藩二代藩主「黒田忠之公」にまで届きました。
忠之公は真偽を確かめるため、使者を遣わしましたが、「私には人の心の中がわかるのです」と言って
使者の浦姫への疑念や城を出るときの様子を見透したように言い当てたのです。
敬服した使者が福岡に戻り、忠之公に事の始終を報告しますと忠之公はすっかり感心されました。
その後、黒田藩にはお家騒動が起こり、幕府から呼び出されることになりました。
忠之公は、家老を江戸に上らせたのですが、不安でならず、浦姫のもとへお忍びで行かれました。
江戸の成り行きを尋ねますと浦姫は、庭にある榎の大木に登り、江戸の方をみつめ、一心に思いを
凝らします。しばらくすると浦姫の心に江戸城の裁きの様子が映り家老の明快な返答ぶりを教えてくれました。
忠之公は、その信じられないような能力に驚かれ、後に浦姫の話が事実と少しも違わないことを知ると、
その信頼は益々深まり難しいことがおこる度に相談されたそうです。」(浦姫伝説より)
(浦姫宮)
忠之公は、大いに神威を感じて社殿造営を発願され、寛永9年(1632)ここに御神殿が完成しました。
(桜井神社全景)
(桜井神社本殿)
本殿の中には、色も鮮やかな造りになっています。
(楼門)
(御神橋)
(大神宮)
伊勢神宮を模しているといわれています。
私は、この神社の近郊に住んでいますが、初めて境内の中に入りました。
いやぁ、こんなにりっぱな神社があったなんて正に灯台下暗しです。
久々にパワーを頂きました。
このあと、大口海岸に出て、糸島サンセットロードを歩きました。この分はまた後日アップします。
素敵なブログをお持ちだったのですね。
写真が大きくて多くて、とてもグーです。
忘年会は食う、飲む、撮るで忙しかったでしょう。
月星さんもこちらも両方寄らせていただきます。
遠い所お越し下さり有難うございます。
ここは、しばらく休養していたのですが、
11月ごろから営業再開しました。(笑)
ここは、なにより写真をたくさん入れられますのでいいですね。
忘年会でしょう。25日は、この中の何種類かを向こうでアップします。