よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

大阿蘇元気ウォーク1日目20kmコース(熊本県阿蘇市)

2023-09-06 19:27:17 | ウォーキング

9/2(土)は、熊本県阿蘇市で行われる「第11回大阿蘇元気ウォーク」に参加しました。

この大会コロナで中止になっており、4年ぶりの再開です。

朝4時に福岡の自宅を車で出発し、途中何回か休憩し会場の阿蘇神社駐車場に着いたのは、7時半でした。

 

今年5月から地元の協会の役員をしていて慣れるまで遠征ができない状態が続きましたが、やっと遠征ができるようになりました。

ただ、ほとんど10km程度のウォーキングでしたので20kmを歩けるかどうか不安です。

佐藤阿蘇市長の歓迎の“歌”で出発式が始まり、8:30 20kmコーススタート。

今日は、曇り空で気温も30度を切っているのか、歩きやすいコンディションです。

 

八代ウォーキング協会のMさんは、今日、20kコースのアンカーを務めるそうです。

 

 

 

 

 

振り返ると阿蘇五岳が見えています。ここから見ると「涅槃像」に似ていますね。

「阿蘇山」という山は存在せず、阿蘇五岳(杵島岳、烏帽子岳、中岳、高岳、根子岳)と外輪山を総称した名前となります。

 

 

国造神社に到着。国造神社は、熊本で古い神社の一つで、阿蘇神社の北に位置する為 「北宮」とも呼ばれる。 祭神は阿蘇の開拓神健磐龍命の第1子である速瓶玉命のほか、

雨宮媛命、高橋神、火宮神の 4神である。 速瓶玉命は父の健磐龍命とともに阿蘇の開拓につくしたといわれ、牛馬を育て、田畑に水を引き農業を起こしたと伝えられている。

このような理由から農業の神様、 五穀豊穣の神様としての信仰が厚い。境内にはこの他、大鯰の霊を祀った 「鯰宮」、「手野の大杉」、「白蛇の桧」 などがある。

 

国造神社の所が1回目のチェックポイント。ここでは、きゅうりの塩漬けや、冷やしトマトなどが振舞われました。

トマトを丸かじりするのは何年ぶりだろう? このトマト、形は悪いが、本当においしいです。

 

手野の大杉は、ここ国造神社の主祭神 速瓶玉命のお手植えの神杉として伝えられ、県下でも最大級の巨木であった。昔は「手野の神杉」「手野の二本杉(夫婦杉)」といい、2本あったというが、男杉は文政年間(1818~30)に雷火により伐採され、この女杉だけが残っていた。現在、男杉の株痕横に天保2年(1831)に植えられたという杉がある。これは男杉の古株から生じたヒコバエを植えたものといわれ。「神杉 天保二年 御郡御目附中村荘右衛門 植之」と刻んである植杉碑が建てられている。また、伐採された男杉は香りが高く、その一部を御笏の材料として仁考天皇に献上したところ、おほめの言葉を頂いたとも伝えられている。
平成3年の台風19号により地上約11m付近から主幹が折損した。そのため保存を第一として土壌改良など懸命な養生作業を行ったがやむなく枯死してしまった。残念ながら国の指定は解除となったが、地元にて「手野の大杉 保存事業期成会」を立ち上げ、折れ残った地上2.5mから7mを切断し、上屋をかけ平成14年に現在の姿となった。元国指定にふさわしく堂々とした貫禄の杉で、神の鎮まる神域を感じさせる。

国造り神社の方には、幹の部分が置かれてある。

 

下御倉古墳   国造神社南西、上御倉古墳の南東20mほどにある墳丘直径30m・高さ4.5mの円墳です。隣にある上御倉古墳と同様の複室構造で、奥行8.7mの横穴式石室を持ちますが、残念ながら石室は土砂に埋もれてしまっています。被葬者は速瓶玉命(はやみかたまのみこと)の妃、雨宮媛命(あまみやひめのみこと)との伝承があります。

 

 

草泊り  昔の人たちは、離れた場所の農作業や放牧をする期間、この草泊りを作り寝泊りしていたそうです。

 

 

 

田園地帯を歩く。春牧中学校跡は、昭和23年(1948)発足、昭和47年(1971)人口減少により廃校となりました。

  

JA小野田選果場がエイドステーション。横には湧水があり、手を入れると冷たく気持ちがいいです。

 

町の至る所に湧水があります。

 

 

約15km地点の「道の駅阿蘇」が2回目のチェックポイント。

 

阿蘇の牛乳が出されたが、牛乳が苦手の私は、道の駅に行ってソフトクリームを買ってきました。

 

阿蘇駅前の信号を直進します。

 

民家の庭には、珍しい花が咲いていました。

 

萩の花ももう咲いています。

 

旧黒川村には、詩人蔵原伸二郎の生誕地がありました。(現在も蔵原さんがお住まいでした)伸二郎の母親は、医学者北里柴三郎の妹さんです。

蔵原伸二郎は、本名を惟賢と言い、明治32年旧黒川村西町に生まれた。7歳の時熊本市へ移り、大正7年上京、美術を志したが、父の反対で慶応大学に入学した。在学中から詩や小説を書き同人誌などで活躍しました。
 詩集「東洋の満月」や「暦日の鬼」などがあるが、昭和39年に出版した「岩魚」で読売文学賞を受賞しました。
 40年3月埼玉県飯能市で死去、65歳だった。飯能市には市の観光協会の手で大きな詩碑が建てられています。
 西町の生家跡に残っている詩碑は、昭和59年7七月、阿蘇郷土の会(会長永田珠一)によって建てられました。

故郷の山
わが故郷は荒涼たるかな累々として火山岩のみ黒く光り高原の陽は肌寒くして山間の小駅に人影もなし祖先の墓に参らんとひとり風はやき荒野をゆくこれぞこれわが誕生の黒川村か重なり重なり波うち怒れる丘陵ああ黒一點鳥の低く飛び去るあたり噴煙たかく大阿蘇山は神さびにけり

 

阿蘇神社の鳥居が見えてきました。阿蘇神社の楼門も地震で被害を受けていましたが、工事も終盤に入っているようです。

 

13:00 阿蘇神社駐車場にゴールしました。

  

ゴールすると冷やしトマト、かき氷のサービスがありました。曇り空でしたけどしっかり汗をかきました。

今日のGPSです。

 

 

 


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