4/13(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「直方(のおがた)チューリップフェアと直方の歴史探索」でした。
この時期、直方には、1,000人を超えるボランティアの方々の協力によって植えられた約20万球のチューリップが、遠賀川の河川敷に咲き誇ります。
集合場所は、JR直方駅。参加者31名。
「直方(のおがた)」という地名は、福岡に住んでいるものだったら難なく読めるのですが、他の地区の方には、難解地名だと思います。
直方市のHPを見ると、「直方の中心部は、かつて、鞍手郡倉久村(現 宮若市倉久)に所在する内山寺の末寺である東蓮寺があったことから東蓮寺村と呼ばれていました。
元和9年(西暦1623年)、初代福岡黒田藩主の黒田長政が亡くなりました。その遺言で、四男高政に4万石を与え、この地に支藩を作ることになりました。藩主の館がこの東蓮寺村に
おかれたので、この藩は東蓮寺藩となりました。延宝3年(西暦1675年)、東蓮寺藩は直方藩と改名しました。「東蓮寺」を改名するにあたり、儒学者貝原益軒の兄で、当時本藩である
福岡藩から出向いていた貝原元端が「直方」と命名しました。これは、藩内の小村「直方(能方)村」(現直方市中泉)の読みを取り、中国の古典『易経』から縁起の良い「直方」の字を
当てたといわれています。
また、命名にあたっては南北朝時代にこの地方が、勤皇方(きんのうがた)であったり、懐良親王(かねながしんのう)方、つまり王方(のうがた)であったことにちなみ、
そう呼ばれていたとも伝えられています。」
また、大相撲元大関「魁皇」の出身地としても知られています。
9:30スタート。
多賀神社へ。多賀神社は直方城下町の鎮守として、元禄4年(1691年)から現在の場所に鎮座しています。別名を日若宮といい、江戸時代以来「日若踊」が奉納され、京都の葵祭りに
ならった御神幸とともに、県の無形民俗文化財に指定されています。一の鳥居は、宝永4年(1707年)直方藩最後の藩主黒田長清が寄進したことが、石柱の左右に刻まれており、
直方市で二番目に古い鳥居です。
多賀神社から遠賀川沿いに歩きます。
須賀神社へ。「須賀(すが)神社」は、1350年以上の古い歴史があり、平安時代の貞観3(861)年には、境内に隕石が落ちてきたという摩訶不思議な神社です。
この隕石は「直方隕石」と呼ばれています。目撃記録が残り、科学的に鑑定・証明された世界最古の隕石として知られています。境内には、記念碑が建てられており、隕石のレプリカが
一般公開されていますが、5年に1度10月の「神幸大祭」では、実物の隕石が公開されます。
神社には、狛犬のほか、大黒様・恵比寿様もあります。
須賀神社から再スタート
もち吉チューリップ園 もち吉は、直方が本社、チューリップフェアに合わせ、チューリップ園には、何種類ものチューリップがあります。
もち吉で買い物を済ませ、再スタート
東勘六橋を渡り、遠賀川河川敷へ。
河川敷では、チューリップフェアが開催されています。
見事なチューリップの数々です。
綺麗なチューリップのもとで記念写真
チューリップ鑑賞の後、ゴールの直方駅に向かいます。
商店街の処には、長崎街道直方宿西構え口があります。
直方のお菓子と言えば、「成金饅頭」です。
成金饅頭は投機に失敗したある青年が生み出したとされている。明治時代のこと、日露戦争で物資の値が高騰することを見込んだ青年はうずら豆を大量に買い込んだ。しかしその直後に日露戦争は終結。相場は暴落し、青年は貨車数台分のうずら豆を抱えることとなった。途方に暮れた青年が大量の豆を処分するためにうずら豆から白餡を作り饅頭を製造したところ、好評な売れ行きを博したのが成金饅頭の始まりであるとされている。当時の筑豊では重労働で疲労した炭鉱労働者たちに甘い菓子類が大変好まれていた。
「成金」の名称については、炭鉱で財を成した成金が多かったため、地元で炭鉱王と呼ばれた貝島太助が名付けたため、鉱山機械を売って財を成した沼田槌蔵にちなんだなど諸説がある。
最盛期の1950年代には10軒ほどの店で作られていたが、炭鉱の衰退とともに2020年の時点では大石、喜久屋、博多屋、まとやの4軒まで減少した。一方で、近年ではインターネットや電話による通信販売での売れ行きが伸びている。2000年には直方市出身の魁皇が大関に昇進したのを記念して魁皇の焼印を押したものが商品化され、九州場所期間中やイベントなどで
販売されるようになった。 (wikipediaより)
12:15 直方駅にゴールしました。
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