今日(7月5日)は、「ビキニスタイルの日」
1946(昭和21)年の今日、世界で最初のビキニスタイルの水着がフランスで発表されたことに由来する。それより前に発表された大胆な水着が、最も小さい「アトム(原子)」と呼ばれたので、その頃アメリカが原爆実験を行ったビキニ環礁から、その名をとったという。
ビキニ(Bikini)とは、ブラジャーに似たトップと短いパンツ(ボトム)だけのセパレート型女性用水着。ビキニ・スタイルとも呼ばれる。なお、この水着のパンツに近い形の女性用の下着、男性用の水着や下着(ブリーフ)も類似のスタイルのものはビキニ(ビキニパンツ)と呼ばれることがある。
1946年にフランスのルイ・レアール(Louis Réard、「ルイ・リード」「ルイ・レアード」とも)が考案。レアールは自動車エンジニアだったが、母親が下着会社を経営しており、その手伝いをしているときにビキニを考案した。同じ頃、フランスのデザイナージャック・エイム(Jacques Heim)によってほぼ同様の水着が考案され、アトム(Atom)と名づけられている。デザイナーとしては無名だったレアールに対し、エイムはすでに高い評価を得ていたデザイナーであり、そのため「ビキニを広めたのはエイム」とされることがあるそうだ。
以下参考の「この夏・水着の傾向と対策 雑感(4)“ビキニ”誕生の謎を探る"」によると、田中千代著『新・田中千代 服飾事典』「水着」の項には、‥‥「1920年代後半には短いスカートのついた〈キルト式水着〉がみられ、1934年フランスのジャック・エイムがはじめてのツーピースの水着を発表すると、その数年後には〈ブラジャーとショート・パンツの二部式〉の水着があらわれている。こうした傾向に拍車をかけるように、裸体を賛美する風潮がさかんになり、第二次大戦後には極端に露出的な〈ビキニ・スタイル〉が人びとを驚かせ、さらに1964年にはアメリカのデザイナー、ルディ・ガーンリックによるブラジャーのない〈トップレス(topless)〉の水着が出現した。・・・」‥‥とあるように、ジャック・エイムの名はあってもルイ・レアールの名は出てこない。同HPでは、非常に深く掘り下げて、“ビキニ”誕生”について調べており、要約すると以下のようだ。
1946年6月30日以前のある日、ジャック・エイムがデザインした新型ツーピース水着“Atome”のプロモーションを行なったが、そのときの水着のキャッチコピーは、“Atome -- the world's smallest bathing suit.”(アトム -- 世界の最も小さい水着。)だったという。
そのころ、ルイ・リードは、自らが考案した新型水着のネーミングに悩んでいたが、アメリカのビキニ環礁での核実験(原子爆弾)のニュースが同年7月1日付の新聞で報じられたのを見て、水着を《ビキニ》と命名。ジャック・エイムに対抗して、水着のキャッチコピーは、“Bikini -- smaller than the smallest bathing suit in the world.”(ビキニ -- 世界で最も小さい水着よりも小さい。)としたのだそうだ。その、水着モデルには、全くなり手がなく、トップモデルではなく“Casino de Paris”でヌードダンサーをしていた“Micheline Bernardini”が起用されたが、彼女の水着写真が新聞で報じられると50,000通ものファンレターが寄せられたという逸話が残っているそうだ。ルイ・リードがファッション畑の人物ではなかったため、ファッション関連の事典では、その名を見ることすらないという。
当時ジャック・エイムによって考案された“Atome”とルイ・リードによって考案された《ビキニ》が、どのようなデザインの水着であったかは、未だその写真を見いだせていないらしいが、後者の写真は外国語ページなどには掲載されており、それを見ると、“綿素材、ホルターネックの三角ブラとハイレグ・ボトム、英字新聞プリントのストリング・ビキニ”といったコメントを付けられるような水着で、現在でも十分通用するデザインであったという。
1946(昭和21)年、「ビキニ」発表当時から、肌の露出度がかなり高い水着であり、あまりの大胆さから当時はほとんど着用されておらず、アメリカでは、1960(昭和35)年代初頭まで一般的なビーチでは着用禁止とされていたという。それでも現在のものに比べれば、同じ「ビキニ」というカテゴリーではあっても、地味なものであった。日本には1950((昭和25)年に輸入された。
生活にもゆとりができかけたこともあり、水着への関心が高まっていった時代、1950年代後半~60年代 日本でも水着ショーが盛んに行われた。
1960(昭和35)年には、ブライアン・ハイランド(Brian Hyland)が"Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka-Dot Bikini" (日本では『ビキニスタイルのお嬢さん』と訳された)という歌を歌い、アメリカ・ビルボードのHOT 100で1位を記録し、日本でもヒットした。ちなみにこの曲のモデルは作者のポール・ヴァンス(Paul Vance)の当時2歳の娘だったという。日本では田代みどりや坂本九らがカバーした。
ブライアン・ハイランド (女性コーラス)の「パッ、パッ、パッ、パッ、パラッ、パ、パ、パ、パッ」で始まるこの曲。 ただ単純に明るい雰囲気を楽しみたいときにもってこいの歌だ。
ここで視聴できるので聞いてみる?
ブライアン・ハイランド「ビキニスタイルのお嬢さん」(医学都市伝説)→ http://med-legend.com/mt/archives/2005/08/post_618.html
ここでもゴールデンハーフの「ビキニスタイルのお嬢さん」視聴できるよ。→ http://listen.jp/store/album_4988006197039.htm
この当時、水着は、まだ、ワンピース型とセパレート型が主流ある。日本で、「ビキニスタイル」のものが、一般に着用されるようになったのは1970(昭和45)年代になってからである。
キャンペーンガールであったアグネス・ラム(Agnes Nalani Lum 1956年5月21日 - )のビキニ姿のポスターが人気になった。アグネス・ラムは、1970年代後半に活躍したハワイ出身の女性アイドル。愛称はラムちゃん。うる星やつらの主人公のラムの原型ともなった。
1975(昭和50)年に初代クラリオンガールに選ばれ、つぶらな瞳、日焼けした肌、豊かな胸、愛くるしいルックスなどで一世を風靡した。1976(昭和51)年にシングル『雨上がりのダウンタウン』をリリースし歌手としても活動。同年、NHK紅白歌合戦に応援ゲストとして出場。元祖グラビアアイドルと呼ばれる存在である。
「インターネット篠山紀信」では、高画質写真集を販売しているが、ここで、アグネス・ラムのサンプル画像が見れるよ。→アグネス・ラム1 アグネス・ラム2
昔は、男の子にとって、女の子が肌を露出している姿など、夏の海辺でしか見れなかったが、今の時代の女の子など、街中においてもおへそ丸出しのミニスカートにタンクトップといった露出度の高い服装で闊歩しており、もう、女性が肌を露出しているくらいでは、何の刺戟もなくなってしまったのではないかな~?やっぱり、身内の孫娘などには着て欲しくないと思うが、大きくなれば同じ様な格好をするのだろうと心配。
ところが、水着メーカーの業界団体「日本スイムスーツ協会(JSA)」は、昨年、2006年度の新作水着を紹介する「第3回2006JSA合同展示発表会」を開いたが、今年の水着のキーワードは「PlayigRetro」と設定し、色や素材の重ね着を基本に70年代のヒッピースタイルなどクラシックなものをとりいれていくといってたな~。そこで、以下参考の東レのホームページ「2006ファッション水着」を見ると、東レの今年の水着のキーワードは、『Refined Natural(洗練されたナチュラルさ)』とし、「美褐色の肌に映える「デニム素材」や「ヴィンテージ風の花柄・リーフ柄」が、自然体で大人の女性を演出します・・・とあった。デザインを見ると、ややクラシックな感じのする落ち着いた雰囲気のものが多く、なかなかいいな~と思った。街のファッションも、このように、もう少し、クラシックなものにならないかな~・・・。
(画像は「ビキニ後姿。フリー百科事典ウィキペディアより借用)
参考:
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
ビキニ (水着) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%8B_(%E6%B0%B4%E7%9D%80)
この夏・水着の傾向と対策 雑感(4)“ビキニ”誕生の謎を探る"
http://kononatu.hp.infoseek.co.jp/KOUSATU/zakkan4.htm
インターネット篠山紀信
http://shinoyama.cplaza.ne.jp/d_pg/
MSN-Mainichi INTERACTIVE ファッション
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/graph/fashion/20051116/
2006ファッション水着(TOPAY)
http://www.toray.co.jp/mizugi/trend/index.html
ファッション:大胆ビキニで開放感を表現 ブラジル(MSN)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060607k0000e040112000c.html
1946(昭和21)年の今日、世界で最初のビキニスタイルの水着がフランスで発表されたことに由来する。それより前に発表された大胆な水着が、最も小さい「アトム(原子)」と呼ばれたので、その頃アメリカが原爆実験を行ったビキニ環礁から、その名をとったという。
ビキニ(Bikini)とは、ブラジャーに似たトップと短いパンツ(ボトム)だけのセパレート型女性用水着。ビキニ・スタイルとも呼ばれる。なお、この水着のパンツに近い形の女性用の下着、男性用の水着や下着(ブリーフ)も類似のスタイルのものはビキニ(ビキニパンツ)と呼ばれることがある。
1946年にフランスのルイ・レアール(Louis Réard、「ルイ・リード」「ルイ・レアード」とも)が考案。レアールは自動車エンジニアだったが、母親が下着会社を経営しており、その手伝いをしているときにビキニを考案した。同じ頃、フランスのデザイナージャック・エイム(Jacques Heim)によってほぼ同様の水着が考案され、アトム(Atom)と名づけられている。デザイナーとしては無名だったレアールに対し、エイムはすでに高い評価を得ていたデザイナーであり、そのため「ビキニを広めたのはエイム」とされることがあるそうだ。
以下参考の「この夏・水着の傾向と対策 雑感(4)“ビキニ”誕生の謎を探る"」によると、田中千代著『新・田中千代 服飾事典』「水着」の項には、‥‥「1920年代後半には短いスカートのついた〈キルト式水着〉がみられ、1934年フランスのジャック・エイムがはじめてのツーピースの水着を発表すると、その数年後には〈ブラジャーとショート・パンツの二部式〉の水着があらわれている。こうした傾向に拍車をかけるように、裸体を賛美する風潮がさかんになり、第二次大戦後には極端に露出的な〈ビキニ・スタイル〉が人びとを驚かせ、さらに1964年にはアメリカのデザイナー、ルディ・ガーンリックによるブラジャーのない〈トップレス(topless)〉の水着が出現した。・・・」‥‥とあるように、ジャック・エイムの名はあってもルイ・レアールの名は出てこない。同HPでは、非常に深く掘り下げて、“ビキニ”誕生”について調べており、要約すると以下のようだ。
1946年6月30日以前のある日、ジャック・エイムがデザインした新型ツーピース水着“Atome”のプロモーションを行なったが、そのときの水着のキャッチコピーは、“Atome -- the world's smallest bathing suit.”(アトム -- 世界の最も小さい水着。)だったという。
そのころ、ルイ・リードは、自らが考案した新型水着のネーミングに悩んでいたが、アメリカのビキニ環礁での核実験(原子爆弾)のニュースが同年7月1日付の新聞で報じられたのを見て、水着を《ビキニ》と命名。ジャック・エイムに対抗して、水着のキャッチコピーは、“Bikini -- smaller than the smallest bathing suit in the world.”(ビキニ -- 世界で最も小さい水着よりも小さい。)としたのだそうだ。その、水着モデルには、全くなり手がなく、トップモデルではなく“Casino de Paris”でヌードダンサーをしていた“Micheline Bernardini”が起用されたが、彼女の水着写真が新聞で報じられると50,000通ものファンレターが寄せられたという逸話が残っているそうだ。ルイ・リードがファッション畑の人物ではなかったため、ファッション関連の事典では、その名を見ることすらないという。
当時ジャック・エイムによって考案された“Atome”とルイ・リードによって考案された《ビキニ》が、どのようなデザインの水着であったかは、未だその写真を見いだせていないらしいが、後者の写真は外国語ページなどには掲載されており、それを見ると、“綿素材、ホルターネックの三角ブラとハイレグ・ボトム、英字新聞プリントのストリング・ビキニ”といったコメントを付けられるような水着で、現在でも十分通用するデザインであったという。
1946(昭和21)年、「ビキニ」発表当時から、肌の露出度がかなり高い水着であり、あまりの大胆さから当時はほとんど着用されておらず、アメリカでは、1960(昭和35)年代初頭まで一般的なビーチでは着用禁止とされていたという。それでも現在のものに比べれば、同じ「ビキニ」というカテゴリーではあっても、地味なものであった。日本には1950((昭和25)年に輸入された。
生活にもゆとりができかけたこともあり、水着への関心が高まっていった時代、1950年代後半~60年代 日本でも水着ショーが盛んに行われた。
1960(昭和35)年には、ブライアン・ハイランド(Brian Hyland)が"Itsy Bitsy Teenie Weenie Yellow Polka-Dot Bikini" (日本では『ビキニスタイルのお嬢さん』と訳された)という歌を歌い、アメリカ・ビルボードのHOT 100で1位を記録し、日本でもヒットした。ちなみにこの曲のモデルは作者のポール・ヴァンス(Paul Vance)の当時2歳の娘だったという。日本では田代みどりや坂本九らがカバーした。
ブライアン・ハイランド (女性コーラス)の「パッ、パッ、パッ、パッ、パラッ、パ、パ、パ、パッ」で始まるこの曲。 ただ単純に明るい雰囲気を楽しみたいときにもってこいの歌だ。
ここで視聴できるので聞いてみる?
ブライアン・ハイランド「ビキニスタイルのお嬢さん」(医学都市伝説)→ http://med-legend.com/mt/archives/2005/08/post_618.html
ここでもゴールデンハーフの「ビキニスタイルのお嬢さん」視聴できるよ。→ http://listen.jp/store/album_4988006197039.htm
この当時、水着は、まだ、ワンピース型とセパレート型が主流ある。日本で、「ビキニスタイル」のものが、一般に着用されるようになったのは1970(昭和45)年代になってからである。
キャンペーンガールであったアグネス・ラム(Agnes Nalani Lum 1956年5月21日 - )のビキニ姿のポスターが人気になった。アグネス・ラムは、1970年代後半に活躍したハワイ出身の女性アイドル。愛称はラムちゃん。うる星やつらの主人公のラムの原型ともなった。
1975(昭和50)年に初代クラリオンガールに選ばれ、つぶらな瞳、日焼けした肌、豊かな胸、愛くるしいルックスなどで一世を風靡した。1976(昭和51)年にシングル『雨上がりのダウンタウン』をリリースし歌手としても活動。同年、NHK紅白歌合戦に応援ゲストとして出場。元祖グラビアアイドルと呼ばれる存在である。
「インターネット篠山紀信」では、高画質写真集を販売しているが、ここで、アグネス・ラムのサンプル画像が見れるよ。→アグネス・ラム1 アグネス・ラム2
昔は、男の子にとって、女の子が肌を露出している姿など、夏の海辺でしか見れなかったが、今の時代の女の子など、街中においてもおへそ丸出しのミニスカートにタンクトップといった露出度の高い服装で闊歩しており、もう、女性が肌を露出しているくらいでは、何の刺戟もなくなってしまったのではないかな~?やっぱり、身内の孫娘などには着て欲しくないと思うが、大きくなれば同じ様な格好をするのだろうと心配。
ところが、水着メーカーの業界団体「日本スイムスーツ協会(JSA)」は、昨年、2006年度の新作水着を紹介する「第3回2006JSA合同展示発表会」を開いたが、今年の水着のキーワードは「PlayigRetro」と設定し、色や素材の重ね着を基本に70年代のヒッピースタイルなどクラシックなものをとりいれていくといってたな~。そこで、以下参考の東レのホームページ「2006ファッション水着」を見ると、東レの今年の水着のキーワードは、『Refined Natural(洗練されたナチュラルさ)』とし、「美褐色の肌に映える「デニム素材」や「ヴィンテージ風の花柄・リーフ柄」が、自然体で大人の女性を演出します・・・とあった。デザインを見ると、ややクラシックな感じのする落ち着いた雰囲気のものが多く、なかなかいいな~と思った。街のファッションも、このように、もう少し、クラシックなものにならないかな~・・・。
(画像は「ビキニ後姿。フリー百科事典ウィキペディアより借用)
参考:
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
ビキニ (水着) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%8B_(%E6%B0%B4%E7%9D%80)
この夏・水着の傾向と対策 雑感(4)“ビキニ”誕生の謎を探る"
http://kononatu.hp.infoseek.co.jp/KOUSATU/zakkan4.htm
インターネット篠山紀信
http://shinoyama.cplaza.ne.jp/d_pg/
MSN-Mainichi INTERACTIVE ファッション
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/graph/fashion/20051116/
2006ファッション水着(TOPAY)
http://www.toray.co.jp/mizugi/trend/index.html
ファッション:大胆ビキニで開放感を表現 ブラジル(MSN)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060607k0000e040112000c.html