7月27日「スイカの日」
スイカの縞模様を綱に見立て、27を「つ(2)な(7)」(綱)とよむ語呂合せから。
goo-国語辞典で [ すいか ]を調べると、”【西瓜】 :〔「すい」は「西」の唐音。「水瓜」とも書く〕。ウリ科のつる性一年草。熱帯アフリカ原産。日本へは一六世紀渡来。[季語]秋。〔「西瓜の花」の[季語]夏〕”とある。
スイカはウリ科のつる性一年草で、熱帯アフリカが原産らしい。エジプトでは紀元前6000年の壁画や絵画に西瓜が描かれているというから、本当に古くからあったものらしい。中国語では水分が多く、夏出回ることから「水瓜」「夏瓜」ともいわれている。中国の『本草綱目』によれば、「陷虜記」に「キタイ(キッタン・契丹族)がウイグル族を征服した時に、この種を得て帰った、そこで西瓜という」とあるそうで、西域から伝わったために、「西瓜」と呼ばれるようになったそうだ。
スイカが日本への渡来したのは、国語辞典では、一六世紀渡来とあるが、もっと古い時代に伝わっていたのではという見方もあるようだ。
それは、京都の高山寺に伝わる絵巻物・一般的には鳥獣戯画(国宝)と呼ばれるもの(制作年代は12世紀~13世紀[平安時代末期~鎌倉時代初期]とみられる)に西瓜らしい絵が描かれていたり、京都南禅寺の僧・義堂周信の、詩文集『空華集』(1359)にも西瓜の詩らしきものが見られることから、平安朝後期にはスイカが作られていたのではとの見方もあるようだ。
しかし、江戸時代の宮崎安貞が著わした代表的な農書『農業全書』(1696=元禄9年)には「西瓜は昔は日本になし。寛永の末ごろ(1640年ごろ)初めて其種子来り、其後やうやく諸州にひろまる」とあるそうだ。又、『長崎両面鏡』といわれるものに「天保7(1836)年、西瓜、南瓜の種来る。西瓜は常品の外、長西瓜、亀甲西瓜、白西瓜、黄西瓜あり」とあるそうで、この頃にはいくつかの品種が渡来しているようである。古くからスイカらしきものがあったような記録も見られるもののそれが、スイカだという確たる物はなく、やはり、17世紀ごろ日本に渡来とする通説が正しいようだ。
江戸時代前期の俳諧師・松尾 芭蕉の『続猿蓑』巻下:秋の中に、樽次といふものゝ孫に逢ひてと題して「そのつるや西瓜上戸の花の種」 (沾圃)の句がある。
この『続猿蓑』は沾圃(生年不詳)の撰したものを芭蕉と支考が手直しして成立したといわれているそうだが、この句の解説は、以下参考の芭蕉db /沾圃を見るとよい。要するにこの一句は”樽次の孫というものに会ったが、瓜の木に茄子は生らないが、瓜の木に瓜は生るであろう。だから彼もきっと大酒豪に違いない。”といった意味だそうだが、昔から、酒を飲んでも顔色に出ない人を「西瓜上戸」と呼ぶそうで、スイカの果実の中が赤いのは、外見からでは判らないことから生まれた言葉だとか。
又、以下参考の「奈良県川西村結崎の糸井神社」所蔵の南無天踊絵馬(1842年、天保13)にはスイカを切り分けている模様が描かれており、大和地方で既に西瓜が作られていたことや西瓜がこのような露店で売られて食べられていたことがわかる。
糸井神社所蔵の南無天踊絵馬 こちら↓http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/temple/z-01189-1.jpg
上記絵馬の画像(絵の右下・・木の下に机をおいて、スイカの切り売り)では見てもよくわからないかもしれないが、描かれている西瓜は無地皮だそうだ。
現在我々が食べている西瓜は、緑の地に黒い縞模様が一般的であるが、こうした品種が広まったのは、昭和初期以降のようで、それまでは黒皮、無地皮が一般的で、「鉄カブト」とも呼ばれていたという。以下参考の「西瓜について」の中の「西瓜と文学」を見ると、”むかしは西瓜は、歴々その外、小身ともに食うことなし。道辻番などにて切り売りするを、下々、仲間(ちゅうげん)など食うばかりなり。町にて売りても食う人なし。女などは勿論なり。『昔々物語』。”とあり、江戸時代に西瓜が低級視されていたことがわかる”という。どうも、江戸時代には果肉が赤いのは気味が悪いとされていたようで、あり、あまり広くは食べられてはいなかったようである。又、現在の西瓜のような甘さはなかったようで、『本朝食鑑』(1697年)には、西瓜を半分に割り、果肉をえぐって砂糖を入れ、暫くおいてから食べる方法が書かれているそうだ。
明治末期に西洋種(アイスクリーム種)がアメリカから導入されて改良が進み、本格的な西瓜栽培が始まったという。昭和初期になると、奈良中心の大和西瓜と関東地方中心の都西瓜の二大品種郡が形成され、縞模様の西瓜が出てきた。現在の品種はほとんどがこの二大品種の血筋だという。
スイカは、栄養的には可食部の成分、95%が水分(果汁)で、このうち4~6%が糖分だそうで、果糖やブドウ糖はエネルギー転換が速やかなので、夏の炎暑で疲れた身体を癒すにはスイカを食べると即効性があるという。西瓜はなんといっても利尿作用がよく知られている。むくみや腎臓に効き、西瓜の種は干したものが解熱、便秘にいいとか。私の母も腎臓が悪いとか言ってよくスイカを食べていた。
昔は、西瓜は1玉単位で買っていた。棚ボタでないみずみずしい西瓜を買うのに西瓜を指ではじいて試していた。おいしい西瓜はふっくらと丸く、果皮に つやがあり、指ではじくと、コンコンと澄んだ音がした。今の人には見分けられるかな?私が子どもの頃には、今のように、大きな電気冷蔵庫がなかった。我が家には、木製の氷で冷やす小さな冷蔵庫は有ったが、スイカは1玉買っても量が多く、冷蔵庫には入らない。幸い我が家には、都心であるにもかかわらず家に井戸があったので、ネットにいれ井戸につけて冷やしていた。夏の井戸水は冷たいのでよく冷えた。氷の冷蔵庫などで冷やすよりよく冷えた。これを切って、種などとらずにそのままかぶりつき、器用に種を残し実だけを食べて、種は、食べた後で口の中から吹き飛ばしていた。
西瓜は甘さが命、そのためこのごろ、スーパーなどでは糖度を記しているのを見かける。糖度13%以上ならば甘く、10~12%で合格とみてよい。又、昔と違って、核家族化し一家の人数が少なくなった今では、1玉単位で買う人は少なくなり、小さく切り売りもしている。かって西瓜は「夏の果物の王様」であったが、最近は、甘いメロンなど色々な果物が食べられるようになり、西瓜の売れ行きは昔より相当落ちただろう。昔は、実を食べた後の西瓜の皮も漬物にして食べていたよな~。
夏になると子どもが、西瓜にかぶりついている姿や、海などで「西瓜割り」をしている光景は、かっての日本の「夏の風物詩」でもあった。しかしこのような光景も余り見ることは少なくなった。そういえば、今回スイカについて調べていて「スイカ割り」に公式ルールがあるというのがわかった。なんでも、全国農業協同組合(JA)が設立した「日本すいか割り協会 ( Japan Suika-Wari Association )」が、1991年に定めたものらしい。なお、JSWAはJAがスイカの消費拡大を目的として行ったキャンペーンのために設立されたものであり、現在は存在していないらしいが・・・。 すいか割り公式ルール知りたい人は以下を見て。
「すいか割り公式ルール」ここ→http://www.mitinoku.or.jp/tokusan/suika_wari.htm
(画像のスイカはフリー百科事典Wikipediaより借用)
参考
スイカ-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AB
西瓜について(食品広場)
http://www.mint-j.com/fruit/04/4_12.htm
スイカの歴史/(株)萩原農場
http://www.suika-net.co.jp/suikanorekisi.htm
今週の花 18 夏野菜の花(1)
http://www010.upp.so-net.ne.jp/pha/flo0208veget.htm
芭蕉db
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/basho.htm
奈良県磯城郡川西町 糸井神社
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/temple/itoi-shrine01.htm
本朝食鑑
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=1295
鳥獣人物戯画 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%8D%A3%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%88%AF%E7%94%BB
スイカの縞模様を綱に見立て、27を「つ(2)な(7)」(綱)とよむ語呂合せから。
goo-国語辞典で [ すいか ]を調べると、”【西瓜】 :〔「すい」は「西」の唐音。「水瓜」とも書く〕。ウリ科のつる性一年草。熱帯アフリカ原産。日本へは一六世紀渡来。[季語]秋。〔「西瓜の花」の[季語]夏〕”とある。
スイカはウリ科のつる性一年草で、熱帯アフリカが原産らしい。エジプトでは紀元前6000年の壁画や絵画に西瓜が描かれているというから、本当に古くからあったものらしい。中国語では水分が多く、夏出回ることから「水瓜」「夏瓜」ともいわれている。中国の『本草綱目』によれば、「陷虜記」に「キタイ(キッタン・契丹族)がウイグル族を征服した時に、この種を得て帰った、そこで西瓜という」とあるそうで、西域から伝わったために、「西瓜」と呼ばれるようになったそうだ。
スイカが日本への渡来したのは、国語辞典では、一六世紀渡来とあるが、もっと古い時代に伝わっていたのではという見方もあるようだ。
それは、京都の高山寺に伝わる絵巻物・一般的には鳥獣戯画(国宝)と呼ばれるもの(制作年代は12世紀~13世紀[平安時代末期~鎌倉時代初期]とみられる)に西瓜らしい絵が描かれていたり、京都南禅寺の僧・義堂周信の、詩文集『空華集』(1359)にも西瓜の詩らしきものが見られることから、平安朝後期にはスイカが作られていたのではとの見方もあるようだ。
しかし、江戸時代の宮崎安貞が著わした代表的な農書『農業全書』(1696=元禄9年)には「西瓜は昔は日本になし。寛永の末ごろ(1640年ごろ)初めて其種子来り、其後やうやく諸州にひろまる」とあるそうだ。又、『長崎両面鏡』といわれるものに「天保7(1836)年、西瓜、南瓜の種来る。西瓜は常品の外、長西瓜、亀甲西瓜、白西瓜、黄西瓜あり」とあるそうで、この頃にはいくつかの品種が渡来しているようである。古くからスイカらしきものがあったような記録も見られるもののそれが、スイカだという確たる物はなく、やはり、17世紀ごろ日本に渡来とする通説が正しいようだ。
江戸時代前期の俳諧師・松尾 芭蕉の『続猿蓑』巻下:秋の中に、樽次といふものゝ孫に逢ひてと題して「そのつるや西瓜上戸の花の種」 (沾圃)の句がある。
この『続猿蓑』は沾圃(生年不詳)の撰したものを芭蕉と支考が手直しして成立したといわれているそうだが、この句の解説は、以下参考の芭蕉db /沾圃を見るとよい。要するにこの一句は”樽次の孫というものに会ったが、瓜の木に茄子は生らないが、瓜の木に瓜は生るであろう。だから彼もきっと大酒豪に違いない。”といった意味だそうだが、昔から、酒を飲んでも顔色に出ない人を「西瓜上戸」と呼ぶそうで、スイカの果実の中が赤いのは、外見からでは判らないことから生まれた言葉だとか。
又、以下参考の「奈良県川西村結崎の糸井神社」所蔵の南無天踊絵馬(1842年、天保13)にはスイカを切り分けている模様が描かれており、大和地方で既に西瓜が作られていたことや西瓜がこのような露店で売られて食べられていたことがわかる。
糸井神社所蔵の南無天踊絵馬 こちら↓http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/temple/z-01189-1.jpg
上記絵馬の画像(絵の右下・・木の下に机をおいて、スイカの切り売り)では見てもよくわからないかもしれないが、描かれている西瓜は無地皮だそうだ。
現在我々が食べている西瓜は、緑の地に黒い縞模様が一般的であるが、こうした品種が広まったのは、昭和初期以降のようで、それまでは黒皮、無地皮が一般的で、「鉄カブト」とも呼ばれていたという。以下参考の「西瓜について」の中の「西瓜と文学」を見ると、”むかしは西瓜は、歴々その外、小身ともに食うことなし。道辻番などにて切り売りするを、下々、仲間(ちゅうげん)など食うばかりなり。町にて売りても食う人なし。女などは勿論なり。『昔々物語』。”とあり、江戸時代に西瓜が低級視されていたことがわかる”という。どうも、江戸時代には果肉が赤いのは気味が悪いとされていたようで、あり、あまり広くは食べられてはいなかったようである。又、現在の西瓜のような甘さはなかったようで、『本朝食鑑』(1697年)には、西瓜を半分に割り、果肉をえぐって砂糖を入れ、暫くおいてから食べる方法が書かれているそうだ。
明治末期に西洋種(アイスクリーム種)がアメリカから導入されて改良が進み、本格的な西瓜栽培が始まったという。昭和初期になると、奈良中心の大和西瓜と関東地方中心の都西瓜の二大品種郡が形成され、縞模様の西瓜が出てきた。現在の品種はほとんどがこの二大品種の血筋だという。
スイカは、栄養的には可食部の成分、95%が水分(果汁)で、このうち4~6%が糖分だそうで、果糖やブドウ糖はエネルギー転換が速やかなので、夏の炎暑で疲れた身体を癒すにはスイカを食べると即効性があるという。西瓜はなんといっても利尿作用がよく知られている。むくみや腎臓に効き、西瓜の種は干したものが解熱、便秘にいいとか。私の母も腎臓が悪いとか言ってよくスイカを食べていた。
昔は、西瓜は1玉単位で買っていた。棚ボタでないみずみずしい西瓜を買うのに西瓜を指ではじいて試していた。おいしい西瓜はふっくらと丸く、果皮に つやがあり、指ではじくと、コンコンと澄んだ音がした。今の人には見分けられるかな?私が子どもの頃には、今のように、大きな電気冷蔵庫がなかった。我が家には、木製の氷で冷やす小さな冷蔵庫は有ったが、スイカは1玉買っても量が多く、冷蔵庫には入らない。幸い我が家には、都心であるにもかかわらず家に井戸があったので、ネットにいれ井戸につけて冷やしていた。夏の井戸水は冷たいのでよく冷えた。氷の冷蔵庫などで冷やすよりよく冷えた。これを切って、種などとらずにそのままかぶりつき、器用に種を残し実だけを食べて、種は、食べた後で口の中から吹き飛ばしていた。
西瓜は甘さが命、そのためこのごろ、スーパーなどでは糖度を記しているのを見かける。糖度13%以上ならば甘く、10~12%で合格とみてよい。又、昔と違って、核家族化し一家の人数が少なくなった今では、1玉単位で買う人は少なくなり、小さく切り売りもしている。かって西瓜は「夏の果物の王様」であったが、最近は、甘いメロンなど色々な果物が食べられるようになり、西瓜の売れ行きは昔より相当落ちただろう。昔は、実を食べた後の西瓜の皮も漬物にして食べていたよな~。
夏になると子どもが、西瓜にかぶりついている姿や、海などで「西瓜割り」をしている光景は、かっての日本の「夏の風物詩」でもあった。しかしこのような光景も余り見ることは少なくなった。そういえば、今回スイカについて調べていて「スイカ割り」に公式ルールがあるというのがわかった。なんでも、全国農業協同組合(JA)が設立した「日本すいか割り協会 ( Japan Suika-Wari Association )」が、1991年に定めたものらしい。なお、JSWAはJAがスイカの消費拡大を目的として行ったキャンペーンのために設立されたものであり、現在は存在していないらしいが・・・。 すいか割り公式ルール知りたい人は以下を見て。
「すいか割り公式ルール」ここ→http://www.mitinoku.or.jp/tokusan/suika_wari.htm
(画像のスイカはフリー百科事典Wikipediaより借用)
参考
スイカ-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AB
西瓜について(食品広場)
http://www.mint-j.com/fruit/04/4_12.htm
スイカの歴史/(株)萩原農場
http://www.suika-net.co.jp/suikanorekisi.htm
今週の花 18 夏野菜の花(1)
http://www010.upp.so-net.ne.jp/pha/flo0208veget.htm
芭蕉db
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/basho.htm
奈良県磯城郡川西町 糸井神社
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/temple/itoi-shrine01.htm
本朝食鑑
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=1295
鳥獣人物戯画 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%8D%A3%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%88%AF%E7%94%BB