今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ローリング・ストーンズ記念日

2006-07-12 | 記念日
今日(7月12日)は、「ローリング・ストーンズ記念日」
1962(昭和37)年の今日(7月12日)は、イギリスのロックバンド、ローリング・ストーンズがロンドンのクラブに初出演した日。
ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) は、1963(昭和38)年にレコードデビューしたイギリスのロックバンドである。
1960年代のブリティッシュ・ロックの黄金期といえるこの時代、英国にはジャズやクラシック、サイケデリック、あるいはトラッド等のあらゆるジャンルのエッセンスをロックに導入し革新的、実験的なグループが数多く輩出したが、 ロックの初期から第一線で活動をし続けるバンドは数少ない。そして、これらの中でも、真に活躍したバンドは、ビートルズとローリング・ストーンズの2組である。この2グループは音楽シーンのみならず、社会全体に強烈なインパクトを与え、20世紀にその名前を刻み込んだ。
ミック・ジャガー(Mick Jagger)は1960年に結成していた自分のバンドのメンバー に、キース・リチャーズ (Keith Richards)ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)、を加入させる。
そして、1962年の今日(の7月12日)、初めてロンドンのマーキー・クラブのステージに「THE ROLLING STONES(ザ・ローリング・ストーンズ)」として出演した。
バンド名はシカゴブルースの巨匠、マディ・ウォーターズの"Rollin' Stone"にちなんで、当時リーダーであったブライアン・ジョーンズが命名したそうだ。
1963年、ブルース・インコーポレイテッド出身のチャーリー・ワッツ(Charlie Watts)が、次いで、ビル・ワイマン(Bill Wyman)も参加。同1963年英デッカ・レコードと契約。6月、デビューシングル「カム・オン」を発売した。
このときのメンバーは、ミック・ジャガー(Vo)、ブライアン・ジョーンズ(G)、キース・リチャーズ(G)、ビル・ワイマン(B)、チャーリー・ワッツ(Ds)の5人である。
ローリング・ストーンズの音楽的ルーツは、黒人のブルースにあり、デビュー曲のこの「カム・オン」はチャック・ベリーのカバーである。
1964年に、シングル「イッツ・オーヴァー・ナウ」がいきなり全英1位を記録。デビュー・アルバム『The Rolling Stones』をリリース。このアルバムは『With The Beatles』からアルバム・チャート1位の座を奪取した。 数々の名曲を生むことになるミック・ジャガーとキース・リチャーズの共作活動が始まったのも、このアルバムと前後してのことだった。
ローリング・ストーンズがデビューした、1960年代前半のアメリカは、まだまだ黒人に対する差別が根強く、白人と黒人の間に厚い壁があり、刺激的な黒人音楽を聴くのは一部の音楽好きだけで、大勢はロックンロールのブームが終息した後の白人アイドルによる甘く健全なポップスを聴いていた。ロックンロールや黒人音楽をかけないラジオ局もまだ多く、たとえ黒人アーティストが大ヒットを出しても黒人である以上決してメインストリームにはなれなかった時代である。白人が黒人音楽を模倣し、不良イメージで大成功を収めた元祖はエルヴィス・プレスリーだが、徴兵後1960年以降のプレスリーは以前の輝きを失っており、またプレスリーと同時期に活躍したロックンロールのスターたちも事故死やスキャンダルで姿を消していたため、新しいスターの登場が待ち望まれていた。こうした時代にイギリス出身の白人のグループでありながら、黒人の音楽であるブルースとR&Bに深く傾倒し、影響を受け、黒人になりきって歌や演奏に表現しようとしたバンドがローリング・ストーンズである。そして、アメリカの若い聴衆が殆ど無縁だった黒人の音楽にアメリカの白人を結びつけた功績は大きい。その結果、現在では、黒人ミュージシャンからも敬意を受ける数少ない白人のバンドとなった。
周到なプロモーション戦略のもと、1964年2月には、ビートルズがアメリカに上陸し、大成功を収めた。ローリング・ストーンズも1964年の6月に初渡米し、同年内に再度の渡米を果たし、ツアーの合間にかのエド・サリヴァン・ショーにも出演している。これを機にイギリスのバンドが続々とアメリカに進出し、この3年ほどに渡って全米のヒットチャートを席巻、そのブームは世界中に広まった。
ローリング・ストーンズは、その後も1965年のシングル「サティスファクション」など、次々とヒット曲をリリース。ビートルズが解散してからも着実な活動を続け、その精力的なコンサート・ツアーと併せ、世界最高のロックンロール・バンドのひとつと言われている。ローリング・ストーンズは、ビートルズに比べると、よりヘビィでブルース調のマディ・ウォーターズハウリン・ウルフなどの影響を受けていたといわれる。ローリング・ストーンズ最大の強みは何と言っても、彼らの興味の対象だった東洋音楽やサイケデリック・ロック、カントリー・ミュージック、さらにはディスコ・ミュージックの要素など、さまざまな流行の音楽をもブルース・ロックの枠の中に自在に取り込むことができた点だといえるだろうが、ローリング・ストーンズは度重なるメンバー・チェンジを経てきており、これが彼らの音楽の多様性に貢献したという見方もできるかもしれない。しかし、この紆余曲折を経てきたバンドの中でも数少ない不変のものと言えば、それは、やはりミック・ジャガーの独特の節回しと、キース・リチャーズのだらしなさげでいて優雅なギター・プレイである。
同じ頃にデビューしたビートルズのマッシュルームカットと、こぎれいで、優等生的なイメージに対し、ローリング・ストーンズは、衣装をあえて統一せず、一般人の普段着のような服をステージでも着、髪もきれいにカットせずに伸ばし放題にするなど、不良っぽいイメージを打ち出しビートルズに対抗していたように見えるが、実際のところは、両グループは仲が良く、シングルの発売時期が重ならないよう連絡を取り合っていたほどだったという。ローリング・ストーンズのイメージは、その後のミュージシャン(とりわけロック)のスタイルに大きく影響を与えたとされる。日本には、1990年、1995年、1998年、2003年そして、今年・2006年3月末~4月初めに5度目の来日公演を行っている。
「YAMAHAおんがく日めくり」の以下のページでは、夫々に、ローリング・ストーンズの曲が視聴できるよ。
●ローリング・ストーンズ、初来日コンサート開始(1990) →「サティスファクション」( 作曲:Mick Jagger,Keith Richards )
http://www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=20001218
●ローリング・ストーンズがアメリカの人気TV番組「エド・サリヴァン・ショー」に初出演(1964)→「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」 (作曲:Mick Jagger,Keith Richard )
http://www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=20011024
●ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズ誕生(1943~)→ ブラウン・シュガー 作曲:Mick Jagger,Keith Richard
http://www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=20001218
(画像は、CD「ビトゥイーン・ザ・バトンズ」発売元 - ユニバーサル インターナショナル )
参考:
ローリング・ストーンズ・オフィシャルサイト
http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/rolling_stones/index.html
The Rolling Stones/ローリング・ストーンズ
http://rock.princess.cc/rock-4/R.Stones.html
ローリング・ストーンズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA
ザ・ローリング・ストーンズ スペシャルサイト
http://rs.msn.co.jp/fashion/default.htm
ブリティッシュ・ロックのページ
http://homepage3.nifty.com/ishizuka_n/music/ukrock/index.html
音楽用語略語集
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/chior/Abbreviation-105.html
試聴:Howlin' Wolf (はうりん・うるふ)(ハウリン・ウルフ)
http://listen.jp/store/artist_15970.htm
ローリング・ストーンズの作品
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81