今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

日光の日

2006-07-26 | 記念日
今日(7月26日)は「日光の日」
820(弘仁11)年、弘法大師が日光山を命名したそうだが、私自身今日(7月26日)が命名日であるとの確証はないのだが、いつも参考にしている「今日は何の日~毎日が記念日~」では、この日が命名日となっており、他の人もそれに倣っているいるようなのでそれを信じることとした。太古の昔より、日本人は、高い山々に、恐れと尊敬の念を抱き、そこには神がいると信じた山岳信仰があった。
関東平野の北方に聳える「男体山(なんたいさん)」も、そのような、神がいる山と信じられていた。今から約1200年程前の766(天平神護2)年、この地に修行に訪れた「勝道上人(しょうどうしょうにん)」が、「補陀洛山(ふだらくさん)」と命名した。補陀洛山」(梵語のPOTALAKA=観音浄土)について、「西域記(さいいきき)」には「山頂に池あり、その水鏡にして大河を流出す」と書かれているといい、男体山、中禅寺湖、大谷川(だいやがわ)を、それに見立てたものと言われている。中禅寺湖は人造湖を除く広さ4平方キロメートル以上の湖としては、日本一高い湖である。まさに西域記にあるとおりの光景だったのだろう。
以下参考の「日光ユネスコ協会のホームページ」の日光歴史年表を見ると、”日光、特に奥日光は古くからの猟場であったと思われ、男体山の中腹からは石のヤジリが発見されている。また、日光市内には16カ所の縄文・弥生遺跡があり集落跡や土器も発見されているが、古墳は発見されておらず、「歴史」以前の日光は狩猟民族マタギが先住民であったようで、日光山の開山は勝道上人とされているが、男体山山頂からはさらに古い時代の遺物も発見されており勝道上人以前から日光は信仰の山であったと考えられる。しかし、日光が「歴史」に登場するにはやはり勝道上人を待たなければならない。 ”と紹介されている。
この「補陀洛山(ふだらくさん)」が、後に「ふたらさん」と呼ばれるようになり「補陀洛」に「二荒」の字が当てられ、さらに音読みにより「二荒山(にこうさん)」となり、その後、820(弘仁11)年に「弘法大師空海」が来山し、「二荒」の字に「日光」を宛て「日光山(にっこうさん)」と改名されたといわれている。
このことは、芭蕉の文集「おくのほそ道」の「日光」にも「卯月朔日、御山(日光山)に詣拝す。往昔、此御山を「二荒山」と書しを、空海大師開基の時、「日光」と改給ふ。」と書かれている。
詳しくはこちら「芭蕉DB・おくのほそ道・日光」で。http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno051.htm
上記にも書かれている通り、何故、弘法大師空海が、「二荒」の字に「日光」を宛て「にっこう」と読ませたか?。その理由は明確ではないが、空海は真言宗の開祖である。真言宗は大日如来を本尊としており、「大日」とは「偉大なる太陽」を意味している。空海は真言宗布教の為にも、「二荒」の字に太陽のイメージを連想させる「日光」の字を宛てたのではないか?。もともと「日光」は山岳信仰の地でもあり、山岳信仰は太陽信仰と無縁ではない。今でも、正月などにご来光を山頂で迎えるという習慣が残っており、そのような理由で、「二荒」を「日光」と改名したのだろうと推測は出来るが、恐らく、当時、地元では、この改名に色々反対もあったであろうことは推測できる。
勝道上人により、日光が「歴史」に登場。江戸時代の1617(元和3)年、東照宮が祀られたとき、幕府は神領を寄進し、社殿を造営するなどしてあがめた。そして、日光東照宮への参詣の目的で日光街道がつくられ、「日光」という呼称が全国に広がり確定したと言われている。明治の神仏分離により、日光は神社の東照宮・二荒山神社、寺院の輪王寺の「二社一寺」の形式に分立した。
東照宮は神社であり、「二社一寺」ではなく「一宮一社一寺」ではないかと思われるかもしれないが、これは、東照宮は、1645(正保2)年11月に、宮号がおくられ社名が東照宮と改められるまでは、東照社(とうしょうしゃ)と呼ばれていたからである。この二社一寺のある場所一帯は日光山内(にっこうさんない) と呼ばれている。
今日、日光東照宮が全国的に有名であるが、二代将軍秀忠公により造営された創建当初の社殿は、20年後の1636(寛永13)年三代将軍 家光公により建て替えられ、今日の絢爛豪華な社殿群となった(「寛永の大造替」)。現在の国指定文化財(国宝、重文)の建造物は、その時建立された木殿や陽明門など35棟を中心にその前後に建立されたものや、大名の奉納による五重塔や石鳥居など55棟になる。1999(平成11)年 には、ユネスコの『世界遺産』にも登録された。
日光東照宮の表門をくぐって左に進むと、主な部分を塗っていない唯一の素木造りの建物がある。「神厩舎」といい、最初には徳川家康公が関ヶ原の合戦に乗馬された馬が奉納されていたといい、この厩舎は日本の神社建築史上 最初に境内に建てられたものだそうだ。 この長押の上には あの有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」など猿の彫刻が彫られているが、それは、猿は昔から 馬を病気から守るとされたためだそうだ。左から順に8面にわったって 猿の一生を描きながら 「人の生き方」 を伝えているという。
面白いので、今一度見てみる?日光東照宮 公式ページの神厩舎彫刻の解説を見ると良い。
日光東照宮 「神厩舎彫刻の解説」
ここ→http://www.toshogu-koyoen.com/toshogu/umagoya/index.html
(画像は、日光東照宮観光時購入のパンフレット)
参考:
(社)日光観光協会HP
http://www.nikko-jp.org/index.shtml
芭蕉DB/奥の細道
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/basho.htm
日光に関する基礎用語の解説
http://www.zuisousha.co.jp/tochigi/nikkore02.htm
日光東照宮 公式ページ
http://www.toshogu-koyoen.com/toshogu/
日光市立図書館HP/日光の古写真・絵図
http://lib.nikkocity.jp/picture/index.shtml
日光ユネスコ協会のホームページ
http://www.unesco.or.jp/nikko/index.html
修学旅行のための日光ガイド
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4616/0200.htm